2013年8月23日金曜日

苛めが無くならないのは、苛めとは何かを社会が理解していないからである。

苛めによる中高生の自殺が続いている。その原因の一つとして、苛めという言葉が社会において十分理解されていない為、その有効な対策をとり得ないからだと思う。(注1)


 本来、我々が社会の中で生活する際、なんらかの利害の発生を伴う対人行為は、全て法律になければならない。しかもそれが間接的とはいえ、人の命に拘る行為であれば、なおさらのことである。しかし、”苛め”はこの様な対人行為として法律用語として存在しなかった。今年、いじめ防止対策推進法(平成25年法律第71号)が制定されたが、“いじめ”の定義が十分な形でなされていない。(注2) 誰も何も言わないのは、日本が社会で生じた問題を、法律に照らして解決することに慣れていないことの証明である。例えば、最近の小倉さんの朝のTV番組(愛知県、地上波1CH;8:00~)によれば、自殺した高校生が校内でお腹を膝蹴りで暴行されているのを目撃したという、クラスメイトの証言があったという。この番組でも、学校長へのアンケートや教育委員会の考えなどが放送の中心であった。この行為は法的には暴行事件であり、警察の出番の筈であるが、全くそのような言及はなかった。全ての中高生達にも、たとえ平手打ちでも法的には暴行になり得、(注3)告発があれば刑法208条に従って刑事事件として処罰される可能性があることを教えるべきである。


 ここで、“いじめ”を私なりに定義しておく。「いじめとは、ある共同体において、特定の構成員を孤立した状態及びそれに近い状態に置いて、集団での心理的圧迫や肉体的暴行を加える行為である。」(注4) このように現在いじめと言われている行為になるべく近くなるように定義すれば、自ずとその対策が見えてくる。心理的圧迫には、個人のその集団からの離脱を勧めることを含めたカウンセリングを、暴行には警察を利用することで、解決される。もちろん、解決とは言え、当事者“双方”に負担となることは当然である。その負担が苛めを減少させることになると思う。  苛めによる自殺が示唆する、根本的なもう一つの問題点は、個人と共同体(ここでは学校のクラス)の関係を被害者を含めて構成員が重く考え過ぎていることである。幼少期には仕方がないが、中学生以降は個人の自立を教育の一つの主眼とすべきである。大人の社会を含め、日本では個人が共同体に依存する割合が高すぎるのではないだろうか。


注釈:
注1)私は元理系の研究者であり、法学は大学の教養課程で一年間学んだだけである。指摘事項があれば歓迎したい。
注2)殺人(人を殺したるもは、。。。)などについては刑法に定義はない。これは言語上明確だから問題はない。
注3)平手打ち(平手で顔面を殴打すること)でも、相手が侮辱された又は被害を受けたという感覚を持ったなら、暴行である。つまり、被害者がどう受け取るかにより変わりうる。それは裁判において決せられると思う。

注4)苛めの対象となる個人も苛めを行う側も、同じ共同体に属していることが大切な点である。上記法律の第2条の定義らしき文にはこの点が欠けている。

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