2013年12月12日木曜日

特定秘密保護法案と報道の自由

  特定秘密保護法は、主として安全保障に関する国家の秘密を守る為の法律であるということであり(注1)、その必要性は理解できる。ただ、昨日石破氏の発言にあった様な、”法律違反(注2)で漏らしたと思われる機密情報の報道をメディアに対して禁止する“こと(注3)、つまり報道機関を機密情報の二段目の防波堤とすることは、やり過ぎであると思う。それは、一つの法律という範囲を超えて、もっと大切な価値を破壊しかねない。つまり、そのような規制は、言論統制の入口を通過してしまうことになり、人類が築いて来た知恵を否定する傲慢なものであると思う。
 本来、この法律は行政の都合で制定するものであり、他分野の基本的な自由を束縛してはならない。メディアの報道の自由(もちろん報道しない自由もある。)と国民の発言の自由は、正義に基づくとそれらが信じる場合、如何に政府の活動にマイナスになると現政権が判断する場合でも保障されるべきである。その情報伝搬の責任は、別の件として国民の良識などにより裁かれるべきであると思う。現在の政府は日本国を代表するが、日本国の中心でも全てでもない。言論と報道の自由の統制は、近代国家であるべき日本国の致命的問題であり、当座日本国を代表する内閣、つまり政府、が汚名に晒されても、守るべきものであると考える。
 上記の様な発言が与党幹部から出るところを見ると、日本国には近代国家で常識とされる諸概念が、未だ十分根付いていないのだろう。実際、この国では自由主義、法治国家、三権分立などが確立していないと思われる出来事が多い。最近の報道でも、“最高裁判所も、行政を追認する機関に過ぎない”とか、“法の適用も行政(検察)のさじ加減で変わる”などの印象を受けた。具体的には:最高裁が「7月の選挙は、一票の格差が4倍程あり違憲状態だが、違憲でない」(参議院選)という訳の判らない判断をしたり;国家公安委員長が、宣言速度が60km/hのところでも交通の流れに乗れば70km/hで走っても良いと言ったり;首相が私企業に労働者の給与を上げる様要請した、などである。より深刻なのは、これらをメディアもそれほど大きく報道していないことである。
 近代国家の枠組みや基本理念を学校でしっかり教えるべきだと思う。

注釈: 1) ウィキペディアの記事を参照のこと。
2) それが法律違反かどうかは、裁判をしなければ判らない。従って、その規制は、広い範囲の言論統制に変貌しうる。
3) その後、石破氏はこの意見を打ち消したらしい。(12/11投稿、12/12大幅に修正)
 <理系人間の意見ですので、批判等歓迎します。>

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