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2014年1月14日火曜日

”ポエム”日本にあふれる優しいことばと厳しい現実

 今日、NHKクローズアップ現代で放送された『あふれる“ポエム”不透明な社会を覆う優しいことば』という番組を視た。一日の労働時間が16時間になることも屢々ある厳しい職場で、客、上司、同僚の間での優しい言葉を、生きる力として毎日を送っている若者、厳しい財政情況にある地方自治体での“優しい言葉の条例”、など、今の日本に見られる不思議な情景が放送されていた。論理的な言語空間で生きてきた一人として、大きな違和感を持った。そう言えば、安倍総理が「美しい国日本」という本を出版されたときにも、通読して同じ様な感覚を持った記憶がある。決して優しくない社会、美しくない日本、それとバランスをとるように用いられる優しい言葉と美しいが空しいことば。しかし、その優しい言葉、美しい言葉に論理で反論することはこの国では容易でない。
 そして、ある本を思い出した。イザヤベンザサン(山本七平)著の「日本教について」である。その中に、日本人の特殊な言語空間についての記述がある。それは、『人間』は“実体語”(現実の世界の言葉)と“空体語”(実体語とバランスをとる為の言葉)の支点の位置に存在するというものである。日本人は嘘つきだという西欧社会の評価は、この特殊な言語空間の中に日本人が生きていて、しかも、世界の全ての人も同じであると信じていることによる。あの「京都の茶漬けでも召し上がって」も、おそらく空体語に類するものであり(注1)、それを発せられた情況から考えて、“実体語”と受け取らない芸当が即座に出来るのは日本教の信者、つまり、日本人だけである。NHKで放送されたケースでは、「16時間労働は厳しい。相応の超過勤務手当を貰って当然である」とか、「優しい言葉は優しい行動をとりえる能力を前提とする」、などと言えば、場がしらけて「もやもやしたしかし幸せそうな空気」は瞬間的に霧と消えるのである。そして、そのような言葉を発した者は、理屈屋、偏屈者などと言われて、その集団から排除される。また、空体語は厳しい情況になった時に大きくなり、同時に支点にある『人間』が現実を表す”実体語”から“空体語”の方向に移動してバランスをとる。つまり、上記情況は、将に厳しい日本の雇用環境を示しているのではと思う。
 この対話形式は、日常的な場面では日本人の間であれば誤解を生じないが、近代政治の様に西欧から輸入した舞台(注2)においては誤解を招くことが多い。つまり、日常の言語空間と同じ感覚で政治に参加した場合、合意された『あるべき人間』という支点の位置がひとによりまちまちであり、”空体語”と”実体語”との区別が出来なくなる場合が多くなるのである。「非武装中立」「恒久平和」なども、歴史を冷徹に見れば非現実的でり、具体的に国家の理想形態ともなり得ない。しかし、他国により懲罰的に持ち込まれたにも拘らず、かなりの人に“空体語”(注3)としてではなく”実体語”として受け取られ、戦後70年経っても憲法の中に生き残ったのではないだろうか。
因に、日本教は日本語でのみ語られ、日本語と不可分である。

注釈:
1)言葉の意味は”茶漬け(本当はごちそう)を準備します”です。実際には”そろそろ帰るかどうか決めて下さい=>お帰りにならないのなら、ごちそうを準備しなければなりませんという意味です。そして、それほど歓待してもらう根拠がない場合、「そろそろお帰りになったら如何でしょう。」を意味します。従って、本当の意味は空体語からどの程度離れて、人間としての支点があるかにより変化すると思います。
2)政治は、正義、自由、権利、義務などの定義された言葉で、論理が展開されるべき空間である。
3)空体語は具体的な理想を語った言葉ではない。イマジナリー(虚)なことばというべきものである。
== 日本教について、理解が不十分(私も自覚しています。)である点など、具体的な批判を歓迎します。==
(2014/1/14/21:30; 1/15/12:00改訂)

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