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2014年4月27日日曜日

日本人の交渉 =国際社会に於ける日本誤解の原因=

 外交は国際間の交渉であるが、日本は一般に交渉事に弱いと考えられている。従軍慰安婦問題を例にとると、河野氏が、”その経緯や実態についての調査結果などに十分考慮しないで、慰安婦と呼ばれる方々個人への配慮が表に押し出された謝罪発言”を、国家の中枢から発表した。その河野談話により、その問題は解決に向かうよりも、より大きなものになってしまったのである。そこで、何故そのように相手側の事情を自分の都合よりも優先するような事態に、日本人は陥ってしまうのか?、その理由を考えてみた。
 一般的に交渉の進展をステップに分けると:1)Aは、何かを自分の都合や権利などを考えて相手Bに要求する;2)Bは、自分の都合と義務などを考えて、Aの要求の正統性や実行可能性を考えて、YES或いはNOか、3)Aの要求の一部を除いて、或いは、変更すれば受け入れ可能であるなどの返答をする;4)Aは、Bの指摘の正統性や要求変更の可能性を検討して、Bに返答する;5)そして合意或いは拒絶という結論に至るまで、3)と4)の交渉が継続される。(注1)
 ここで、日本においてこのような交渉過程が一般的だろうかというのが、今回の主題である。
 最初に指摘したいことは:上記1)のプロセスの段階で、Aは相手側Bの都合や実行可能性を、西欧などの場合に比較して重く考えて発言することが、日本の交渉における大きな特徴ではないだろうかということである。当然、交渉事はその成立可能性が無ければ、時間とエネルギーの浪費になるので、ある程度の成立可能性がなければ始めるのは愚かな行為ということになる。しかし、最初から相手側Bの都合を重く考えすぎると、交渉において損をするばかりか、社会全体としての能動性に欠けることになる。(注2)
 日本人が、相手側の都合を交渉事が始まる前に、過剰といえる位に重く考えるのは、日本文化の特徴のひとつである。そして、それは日本社会の性質に由来していると考える。幼少期に、親から「言い訳をするな、素直な人間になれ」と叱られた経験を持つ人は多いだろう。この教育上の台詞は、上記交渉事の2)からのプロセスを否定することを意味している。そして、「要求」は上位に在る者から、下位にあるものになされる行為であり、そして、その要求には十分下位の者の事情にも配慮が行なわれている筈のものであるから、答えは「YES」しか本来あり得ないという考え方に基づいている。
 つまり、上記交渉事のプロセス1)ー5)は、AとBが個人として対等の立場にあることが前提で成立するのであるが、日本は民主主義を標榜しながら、上位と下位の者が峻別されている儒教社会の国であり、その前提が成立していないということである。今でも、時代劇にあるように、「お代官さんが百姓どもの事情も十分考えた上での“お達し”なのだから、唯々諾々とお達しの通りに振る舞うのが人の道と言うものだ」的な社会なのである。この日本文化の特徴とそれがグローバル社会におけるデメリットになることについては、既に他の場所で「敬語の愚」と題して述べた(注3)。
 裁判における検察、弁護、判事の役割分担や、論理学における弁証法などの発想も、上記ステップbyステップの交渉プロセスと同様、人間一人では正しい”神の判断”に近づけないことを知り尽くした集団が考えだした、人類文明の近代化の礎とも言うべき智慧であると思う。これらは、ギリシャなどで開花した地中海文明にその基礎があるのだろう。(注4)  そのような西欧の伝統が、地球規模のスタンダードになっている今、社会に層状構造を持ち込んだ儒教の教えに順応してきた日本文化は、現状では賞味期限切れと言わざるを得ない。この儒教社会からの脱却は、幼少期の教育から進めなければでできない難題だろう。私は、この件については、明治維新のときの様に、国家の枠組みから換えなければ解決しないと考えている。突飛な提案だろうが、可能性があると思うのは、大阪都の実現と首都の江戸から大阪に移すことである。それを契機(ショック療法的契機)にして、社会の構造を原点から考え、構築し直すことであると考える。(注5)

注釈:
1)このプロセスは、研究者が論文を学会誌などに投稿して、編集者(とその手助けをする査読者)との交渉を経て、発表に至るプロセスと全く同じである。尚、甘利大臣のTPP交渉は、この範疇には入らないようだ。
2)社会は様々な問題を、指摘する側とされた側の交渉というプロセスを経て、解決する。それが、社会の”枠組み”がより実態にあった形に変化していくことにつながるのである。
3)敬語の愚
4)これは理系人間の浅い考えかも知れませんので、コメント期待します。 5)大阪の本音文化と東京の建前文化の違いを、積極的に利用すべきだと言う趣旨です。日本は官僚組織が支えている国家ですが、そこへ西日本の人間を多量に送り組むことで、新しい発想を持ち込むことが可能かと思う。関西圏の本音文化は、儒教的な江戸文化から脱却するチャンスを日本に与えるかもしれない。
[4/27投稿、4/30修正]

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