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2014年10月14日火曜日

誇張された発明家の功績:”銃・病原菌・鉄”の中の文章の考察

 ジレッド・ダイヤモンド著の「銃、病原菌、鉄」(日本語訳)を読んでいる。文明の発展の歴史を科学的視点で詳細に述べた本であり、大変興味深い記述があちこちに見られる。その中の第13章”発明は必要の母である”(注1)の中に、私も日頃から思っていることに関する文章があり、それを基に本文章を書いた。
 それは、今回日本人3人がノーベル物理学賞を授賞した際にブログに書いたこと、“科学技術文明は無数の研究者の努力により現在の形になっている。そして、応用研究では特に膨大な数の研究者や投資者の努力(注釈4)で、商品にまで至る。その中でたまたま一里塚的な位置にあった研究者をノーベル賞委員会が選び授賞する”と関連することである。上記本にあった文章の引用し、更に私の考えを加えて先のブログの補足を書く。

 上記本の13章の中の「誇張された天才発明家」のセクションで、ワットの蒸気機関の発明の経緯を用いて、そのサブタイトルの意味を説明をしている。下にネットでの調査を加えて蒸気機関の発明経緯を書く。
 
 蒸気機関と言えば、ワットがヤカンから上がる蒸気が蓋を動かすのをみて、発明したという話を信じている人が多いかもしれない。しかし、蒸気自動車や蒸気機関車に至るには、上記のような長い歴史があったのである。しかも、ピストン運動を回転運動に換えるプロセスも、ワット以外の何人かが決定的役割を果たしているのである。
 更に、エジソンが発明した白熱電球も、1841年から1978年の間に色んな発明家が特許をとった白熱電球の改良型だった。ライト兄弟の有人動力飛行機も、その前にオットー・リリエンタールの有人グライダーやサミュエル・ラングリーのエンジン付き無人飛行器があった。
著者は結論として、“あの時、あの場所で、あの人が産まれていなかったら人類史が大きく変わっていたという天才発明家は、これまで存在したことがない。功績が認められた発明家とは、社会が丁度受け入れられる様になった時、既存の技術を改良して提供できた人であり、有能な先駆者と有能な後継者に恵まれた人なのである”と書いている。それが、「誇張された天才発明家」の意味するところである。

 ノーベル賞に輝いた3名の功績で誰もが知る様になった青色発光ダイオードであるが、それも量子力学とそれによる半導体の研究、半導体内での電子とホールの再結合蛍光の研究、点接触ダイオードや接合型ダイオードの発明、赤色発光ダイオードの発明、青色発光ダイオードに相応しい結晶の研究などが既にあった。そして、それを基にして、赤崎教授と天野博士が初めて青色発光ダイオード作成した。また、工業利用を可能にした中村博士の研究であるが、徳島の中小企業である日亜化学工業の創業者が、博士課程を修了していない中村氏に、米国留学のチャンスを与え、その後の研究に5億円の投資をし、青色LEDの開発研究を進めた結果である。このような長い経緯を知って、初めてこの成果が正当に評価できるのである。
 ところで、中村教授は米・現地時間の7日、自らが勤務するサンタバーバラ校で会見を行い、 学生からの“(研究に対する)モチベーションは?”という問いに対し、「怒り(anger)。とにかく怒りだ」と回答し、日本の研究環境について、「日本の会社で発明したとしても、ボーナスをもらうだけ。米国では会社を立ち上げられる」と苦言を呈したという。(http://daily.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1413083146/
 中村氏は、開発当時勤務していた中小企業のトップの理解を得て、研究者としての修行の機会と、多額の研究費を出してもらっている。その厚遇にたいして同僚先輩などから多少の妬みなどは当然あり得る(注2)。望み通りの研究成果を得ただけでなく、訴訟したとはいえ、8億円の報奨金を手にし、更に、今回ノーベル賞の栄誉を得た。上記のような発言は、私には全く理解できない。

 研究者と言えるレベルの人は知っていると思う: 分野が科学研究でも工業技術研究でも、その発展はまるで潮が満ちる様に、文明全体と相互関連して進むものであり、特定の個人が現在のノーベル賞授賞で受ける栄誉に相当する程に目立つ功績を上げて、進むものではないことを(注3)。将にそのことを、”銃・病原菌・鉄”の中で、ジャレド・ダイヤモンドが第13章の中で書いているのである。

注釈:
1)通常良く言われるのは、「必要は発明の母である」である。しかし、この言葉で語られる発明は、大発明の中では少数派で、例えば米国による核兵器の開発がある。(”銃・病原菌・鉄”日本語文庫版、下巻、61-65頁、”発明が用途を産む”)
2)サイトにこの辺りの経緯が説明されている。http://biz-journal.jp/2014/10/post_6311_2.html しかし、ここで書かれている怒りは、本分中の講演後の怒りとは本質的に違う。
3)現在、日本のノーベル授賞者数が中国や韓国に比べて大差があることを、まるで日本国とそれらの国の文化や文明に大差があるような報道が週刊誌等でみられる。敢えて言えば、ノーベル賞なんてそんな大した問題ではない。サルトルは1964年にノーベル文学賞に選ばれるが、「いかなる人間でも生きながら神格化されるには値しない」と言って、これを辞退。もし、ノーベル賞授賞が特定の個人の神格化なら、文明にとって意味がないか有害かのどちらかである。
(10/14投稿、10/16本文の語句修正と最後の節追加;10/20最後の節と本注釈に追加)

1 件のコメント:

  1. ・人が人を裁くことの難しさ処罰のみならず授賞にても
    ・人が人に賞を授ける功罪を問う人少なし 就中罪は

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