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2014年12月26日金曜日

思考のダイナミックレンジ

 人間はある情報を受け取れば、それを頭脳で処理(つまり思考)して、それに対する行動を起こす。その行動の“大きさ”は、通常刺激が大きい程大きい(注1)。従って、限られた範囲ではあるが、人間の行動における情報処理部分の記述として、信号検出器の用語を用いることが出来る。そして、政治家などの評価がこれらの用語で直感的に記述できるばあいが多いと思う。

 信号検出装置の用語として、ダイナミックレンジ(dynamic range)の他に、上下の検出限界、上の検出限界を越えた信号に対する飽和や発振、更に信号の大きさを正しく識別出来る能力である線形性という言葉がある(注2)。これらは全て、人間の行動を考える上で有効である。例えば、発振は思わぬ状況に泣き出してしまい、その状況に対処できない状態の比喩として用いうる。ここでは思考能力において大きなダイナミックレンジを持つことが、最善の選択を得る上に大切であることを述べたい。

 ある事に対するダイナミックレンジの大きな思考は、当然その周辺の広い範囲での緻密な思考を伴う。広い範囲の思考は、想像力の大きさと高い知的能力を必要とする。また、ダイナミックレンジの大きな思考は、例えば政治の場合、悲惨な状況下においても冷静さを保ち、安易な解決に逃げるという誘惑を退ける勇気も条件となる。このあたりの記述には信号検出器の比喩では無理であるので、予め承知してほしい。

 最近の例では、米国Sony Pictures Entertainment社の映画に対する、北朝鮮の米国に対する脅しやサイバーテロの件が参考になる。この映画に関して、既に書いた様に表現の自由を主張するのには無理があると思うが、仮に主張出来ると仮定して話を進める。http://blogs.yahoo.co.jp/mohkorigori/56700446.html

 表現や学問の自由を主張する理由は、真理は広い範囲の中の何処にあるか判らない場合が多いので、人の活動の範囲に枠をはめてはいけないということである。今回の場合、「人命は地球より重い」という理由で、テロ予告に屈服すれば、将来に亘って同じ方法で脅しが行なわれ、結局人間活動において正当な自由が奪われ、大きな損害を被ることになる。そして、テロで失われるかも知れない人命とテロに屈した場合の予想される損害のどちらが大きいか、その損害の大小を思考によって決定しなければならない。両方とも大きすぎて、思考のダイナミックレンジを越えてしまうのでは、大統領失格ということになる。オバマ大統領は、北朝鮮の脅しに屈した場合の予想される損害の方が大きいと答えを出したのである(注3)。

 このオバマ大統領の判断と比較すべきは、日本で1970年に起こったよど号事件の時に福田元総理(父の方)の判断である。テロに屈服した福田さん(父親の方)は、総理の器では無かったことを示している。捕われていた赤軍のメンバーを開放した理由が、「人命は地球より重い」だった。つまり、福田元首相の思考がダイナミックレンジを越えて、発散してしまったのである。「人命は地球より重い」という表現がそれを証明している。もし、特別狙撃隊を用意して用いていたなら、数人の乗客の生命が失われたかもしれない。しかしその場合は、その後北朝鮮に拉致されることになった多くの人々の自由や命の喪失は無かったかもしれない。

==(このハイジャック事件はよど号事件ではなく、1977年のダッカ日航機ハイジャック事件でした。訂正させていただきます。2015/1/12)==

 また、この福田元総理の“決断”とその後の多数の日本人拉致事件は、日本国が国家としての威厳を保持していないことを内外に印象つけた。

 ただ、その福田元総理の判断を国民は激しく非難しただろうか?非難した人は少数であり、世界の侮蔑の声とは裏腹に日本では大きな動きもなく過去のファイルの中だけに残った。つまり、福田元総理は日本人の思考のダイナミックレンジを承知の上で、自分の総理の席と日本の国家としての損失とを測定して、総理の椅子の暖かさを選択したエゴイストだっただけかもしれない。つまり、問題は日本国民の思考のダイナミックレンジなのである。

 思考のダイナミックレンジは、その国の歴史や文化によって大きく異なる。人と人のネットワークの中に埋没する様に行動してきた国民は、生まれてからの行動のレンジが狭く、思考の幅も狭くなる。その場合の思考のダイナミックレンジは当然低くなるのではないだろうか。逆に、予想される人生の幅が広ければ、それによって生じる感情の幅、思考のダイナミックレンジ全てが大きくなると思う。

 日本には、人と人の関係が定常的になる様に、古来独特の道徳規準「和をもって貴しとなす」がある。例えば、日光東照宮にある左甚五郎の彫刻「見ざる言わざる聞かざる」が示す様に、日本人は他人に自分の意見を述べるかどうかさえ、思考の範囲に置かない様に教育されている。人命どころか、人間関係破壊の危険性さえ、思考範囲の外に置くのが日本の文化である(注4)。 最近、「嫌われる勇気」と言う本が売れているとのことである。何と言う閉塞した人間空間に住む人たちだろうか(注5)。 

注釈:
1)行動の“大きさ”は判り難いかもしれない。個人では大きな買物であったり、大きな決断であったりするし、国家であれば大きな予算措置であったり、大胆な政策であったりする。 
2)ダイナミックレンジ(dynamic range)は、識別可能な信号の最小値と最大値の比率をいう。ダイナミックレンジを越えた信号が入力されると、最大の応答を示したままである場合、それを飽和という。また、一定以上の信号入力により、急に出力が最大限になってしまう場合を発散という。線形性とは、信号がA倍になったら、A倍の出力を発生することを言う。
3)相手が中国であったなら、オバマ大統領は別の対応をとったと思う。もちろん中国が相手なら、SPEはそんな映画は作らない。また、原則論で問題を処理するなら、“表現の自由”の原則よりも“人命は地球より重い”の原則の方が、説得力があるだろう。
4)“見ざる言わざる聞かざる”は、身分が上の人の悪しき行為を見たり批判したりしないということであり、儒教の考え方“避諱”だと思う。「避諱」は、孔子が「春秋」を編纂したとき、原則にしたということである。 5)私も例外ではない。反発はするものの、人間関係の重さに苦しんだ経験をもつ。

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