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2015年1月16日金曜日

”核兵器持ち込み”の日米密約と日本国民の沈黙

1)今朝7時のNHKニュースで、1970年の中曽根総理とレアート米国国務長官との会談に関する外交文書が公開されたとの報道があった。その中に、“場合によっては米国の核兵器の日本国内への持ち込みもあり得ることが両者により確認された”との文章があるという。またその会談で、”中曽根氏は、「米国の核の抑止力がある限り、日本は核武装を考えない」と発言した”との記述もあるという。

自民党政権は佐藤総理以来一貫して核兵器を“持たず、作らず、持ち込ませず”の三原則を公にし、国民に約束してきた。この“有事核兵器持ち込み”の密約は、沖縄返還時に佐藤総理=ニクソン大統領間での締結以来、継続して日本の総理と米国の然るべき地位の人との間で確認されてきたのだろう。つまり、自民党政権は一貫して、米軍による核兵器持ち込みを核戦略の中に組み込んでいたことになる。それはまた、自民党政権が一貫して国民に嘘をついていたことになる。

日本の軍事及び外交において、”核の傘の確保”は基本的な最重要項目である。それを密約で確保するという、危険且つ姑息な方法で自民党は誤摩化して来たのである。密約は、代々の総理大臣に引き継がれていくという前提では、事実上政権交代ができないことになる。民主党政権が短命に終わったのは、鳩山氏や菅氏の無能が原因の一つだろうが(注1)、霞ヶ関の官僚達が協力しなかった(或いは負の協力をした)ことが主原因だろう。その官僚達の非協力の裏には、このような事情もあったのではないだろうか。

この佐藤=ニクソンの密約は、過去に”ライシャワー元駐日大使によって明らかにされた”など、ウィキペディアに記述があるくらい良く知られたことである。また昨年、安倍総理は、この“核兵器の持ち込みに関する日米間の密約”について、「ずっと国民に示さずにきたのは間違いだった」と発言した。 http://news.yahoo.co.jp/pickup/6105657

西欧の人は非常に不思議なことと思うだろうが、このような国家の基本政策について嘘をついていても、自民党政権は安泰である。それは、昨年12月19日の記事の他何度も本ブログで書いた様に、日本国民一般は、昔から政治の主人公ではなかったし、今も主人公だと思っていないからではないだろうか。そして政治は、一部貴族階級が世襲で行なうことであり、多少の知識や能力があってもその舞台への参加資格は得られない。政治的或いは準政治的集団で高い地位を得るか、テレビなどで活躍することで“新貴族”にならなければ、新たにその椅子を得ることは無理だろう。そのような事情が、国民を政治的に無気力にしたのである。

その結果、一般国民は政治家の言葉を決して信じてこなかった。“政治家は嘘をつくものだ”という考えが、全く当然のこととして国民の頭に刻み込まれているため、あの様な安倍総理の発言があっても、今回のNHKニュースがあっても、沈黙がつづくのである。

2)日光東照宮に、「見ざる言わざる聞かざる」と呼ばれる3匹の猿の彫刻が門の上に飾られている。これは、目上の者が犯した悪事は見ても見ないことにし、聞いても聞かないことにし、更に知っても人に話さないのが、この世で生きるための大事な教訓であるという意味だろう。この考えは“避諱”という儒教の教えから来たと思う。避諱の諱は「いみな」つまり本名であるから、目上の人を本名で呼ぶのを避けるということになる。本名で呼べないということは、つまり、「目上の人のことには目をつむること」と言う意味になる(注2)。

日本政府は政治を考える習慣の殆どない国民によって選ばれている。つまり、票の大半は脳漁協のような人的ネットワークが密に出来上がった所謂田舎に存在し、その共同体をまとめて票田とする自由民主党により内閣は組織されてきた(注3)。自由に政治を考える都市部の住民は、自民党政府によって作られた大きな一票の格差により、政治的に無気力な層と非現実的な左翼政党支持層の二つに分裂して、政治的機能を果たすことはなかった。自民党が一票の格差を是正しないのは、このような事情からである(注4)。

その結果、田舎には公共事業を、都市部の左翼支持層には非核三原則などの嘘を“道具”にして、自由民主党は政権を維持してきたのである。日本の儒教文化と論理展開に不向きな日本語環境(つまり、議論しないのが徳であり得であるという文化)が、そして長い国民不在の政治文化が、それを容易にしたのである。安倍総理は本音の政治家ではあるが、本格的な改革は無理であり、直線的な行動癖は外交などで大きな失敗をする可能性すらある。このような日本の政治を多少とも改良できるとしたら、差し当たり維新の会などが提唱する道州制しかないと思う。地方分権により、東京生まれ東京育ちの地方議員でなく、本当に地方で生まれて地方で育った人たちの政権が各地方に出来、それらが国内で競争するような環境を作れば、大衆にも政治参加の意欲が沸いてくるだろう。そしてその様な環境で、優秀な人材が育つだろう。

注釈:

1)無能さでは、現政権の中枢も大差ない。 2)儒(小人、つまらない人の意味)は、目上の人を本名(諱、いみな)で呼ぶべきでないというのが、儒教の本質である。更に、孔子のことば「由らしむべし知らしむべからず」とセットになって、「高貴な政府要人がお決めになることをとやかく言うべきでない」ということになる。つまり、歴代の総理大臣の密約は、儒教の教えに基づいた江戸時代的な感覚で米国と締結されたのだろう。

3)農漁業の収穫に影響する第一のファクターは天候である。また、これらの分野での需給関係は、常に供給不足である。それに加えて、票と引き換えに自民党政府からバラまかれる公共事業により、安定的な経済環境が現状維持で得られる。難解な国際政治は一定以上の知識層の関心事であっても、田舎の住民の関心事でなく、従ってこれらの地域の住民には自民党政治が継続するかぎり政治を考える必要は都市部の人間ほどない。本当の政治的問題は、地方でなく都市部に山積されているのだ。

4)「一票の格差が無ければ、都市部の人の都合が優先されて、地方(田園地方)が果たしている正常な役割が果たせなくなる。地方は、水や農作物などの食料安全保障の鍵を握る上に、緑の国土を護る役割をしている。地方と都市部のバランスを考えると、倍程度の一票の差は必要である。」このような詭弁を用いて、一票の格差を維持しているのである。しかも、地方の票田で当選する議員のかなりの人(二世、三世議員)が、都市部で生まれて都市部で育った人である。安倍晋三氏も山口県が地盤であるが、東京生まれ;小沢一郎も岩手が地盤だが、東京生まれである。「地方が都市部の人にとっても大切なのだから、都市部選出の議員も当然地方のことを考える筈である」という正論が詭弁になる、正邪ねじれの国が日本国である。

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