2015年2月28日土曜日

中一殺害事件に関して:

中学一年生殺害事件についての報道がいろいろなされている。何の為に報道しているのか疑問に思うものが多く(注1)、大きな犠牲を払っても何も学ばないのは情けない。

犯人と思われる高校生3人が昨日逮捕されたが、ほとんど黙秘しているようだ。今朝のウエイクというテレビ番組でもその件に触れ、“主犯と思われる男が、「人を殺してみたい」と言っていた”との証言を、友人関係の中から得ていることが報道されていた。

以前の投稿(2/21のブログ参照)で、「人を殺してみたい」という人間は、幼少時に健全なる親子関係を経験していないだろうと書いた。健全なる親子関係とは、親から愛情を受けて育てられていることを実感しながら、社会に生きる為の基本ルールを教わることである。

気になるのは、最近そのような幼少期を持てないこどもたちが増加してはいないかということである。もし増加しているとしたら、それは“社会を構成する基本ユニットは家庭であるべきである”という意識が、社会からそして行政から無くなりつつあることが原因ではないのか。

行政は、男女共同参画と称して、家庭を基本ユニットとする伝統的枠組みを敢えて破壊しようとしている。また、グローバル経済の中で、多くの人が国内外で右往左往している様に見える。そして、成人全ての人生の中心に仕事があり、“家庭とそこで生まれる子供”を中心に置くべきであるということを、日本政府も日本社会もほとんど忘れている様に見える。

個人を社会の基本的構成員として考えるのは、神を精神の中心に置くキリスト教社会の伝統であると思う(注2)。そこでは、男女二人が神にたいする誓いでもって家庭を築くという、伝統も同時に存在する。その後者の伝統が無いにも拘らず、前者の形だけ丸呑みで受け入れようとしている現在の日本社会の姿勢に、基本的問題があるのではないだろうか。

注釈:
1)推理小説を紹介する様な報道は控えてもらいたい。1人の将来ある若者が殺されたのだから。 2)キリスト教などでは、唯一神と人は一対一で信仰という”契約関係”を結ぶ。そして、神の像や崇拝の為の物体など神と人の間に介入するものの存在を、厳しく禁止している。(モーセの十戒)
知的文化の象徴である大学でも、欧米の伝統と日本のそれとは大きく違う。今年一月に米国の大学に移った、経済学の伊藤隆敏教授の講義前(大学院)の準備は、学生の名前と顔を覚えることだった。議論を教授と学生達の間で、明確に個人を特定して進めるためである。(モーニングサテライトにて放送;写真は伊藤教授のコロンビア大ではないが、同じくアイビーリーグの一つであるコーネル大)

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