2015年3月5日木曜日

真善美について:定義

1)真とは

真とは真理のことである。“真理とは、言語を用いて整合的に記述した世界(過去から未来への時間的変化も含む)の、夫々の要素の命題(注1)を言う”。

“真理の定義なんて、何を今更”と考える人が大半だろう。しかし、“ことばを媒介しないで、真理は定義できない”ということから、上記のような定義に思い至った。そして、過去から未来に亘って世界に居るのはたった1人、自分だけであるとしたら、言葉は不要であり、従って真理も虚偽もないだろう。

ここで、これら命題の全体としての集合は、ことばの定義になっているとも言える。つまり、ヨハネによる福音書にある様に「はじめにことばがあった。全てはことばによって創造された。」ということになる。(1)地球は西から東に回転する;(2)太陽は東から上る;(3)北は北極星の方向である;(4)上る或いは登るは、下方から上方への移動を言う;などの命題も互いに整合的であり、真理(或いは真実)である。これらの命題は、東西南北、太陽、地球、上下、時間などの言葉の定義とも関係している。従って、言葉が存在すれば、真理という概念は必要がないと言えそうだが、虚偽(うそ)との対立概念としての必要性はある。(注2)

以上から、真理全体は人が世界の中の一員であることを確認・記述する行為として、言葉を用いて創造された命題の集合と言える。

2)善とは

善とはある社会にとって良きことである。善人と悪人については既にブログで議論した。http://rcbyspinmanipulation.blogspot.jp/2013/12/blog-post_5.html ウイキペディアでは、善を“社会的な規範において是とされる存在、行為” http://ja.wikipedia.org/wiki/善 という定義が紹介されている。

善を宗教的な概念と考えることもあり得る(注3)。この場合は、その宗教の聖書に善と記述されたことが善であり、悪と記述されたことが悪になり、善悪の判別は容易である。

社会を特定した場合その中での善は、その社会の枠を換えることによって、悪に反転することがある。また、時間の経過により、善は悪に反転することもあり得る。人類全てを対象にした仮想的な社会を想定すると、善は“人としてのあり方”という抽象的な概念となり、上記のような反転などの揺らぎがなくなる。その場合、善なる思想や行為は、倫理学の対象となる。

3)美とは

美とは視覚や聴覚によって“良きもの”と判別した印(ラベル)である。これについても既に議論した。http://rcbyspinmanipulation.blogspot.jp/2014/07/blog-post_56.html

広辞苑の「美」の哲学的定義によれば、“知覚・感覚・情感を刺激して内的快感をひきおこすもの”となっている(第二版、1845頁「美」)。また、美味という単語にあるように、味覚(感覚の一つではある)にまで美という概念を持ち込むこともある。更に、美しい人生の様に、ほとんど“良い”と同じ意味で用いる場合もある。これらの用い方は、個人の好みを越えて“美”が成立しないので、美の定義領域の広げ過ぎであると考える。

例えば、視覚によって美と判別される“形、色彩、動き”は、より良い機能、より深い真理、より大きな善、などを人の心の中に想起させ、快感(注4)として受け取られるものである。つまり、美とはそのような景色、絵画、写真などを形容する“一次元座標のプラス軸につけたラベル(注5)”である。

注釈:

1)つまり、A:地球は丸い;B:地球は太陽の廻りを廻る;C:地球は惑星の一つ;D:地球上に人類は生息する;E:太陽は太陽系の中心に位置する;F:太陽は恒星の一つ;G:地球は太陽の内側から数えて3番目の惑星など、地球に関する記述(命題)は無限と言って良い程多く存在する。それらは互いに矛盾すること無く、体系をなして現実に対応している。
真理の哲学的定義として、真理の整合説(他の命題と整合的な認識が真理であるとする。)や真理の対応説(「思惟」と「事物」が一致ないし対応していることが真理であるとする。)があるが、上記真理の定義はそれら既存の定義に矛盾していない上に、より進歩したものであると思う(思い込みかも)。http://ja.wikipedia.org/wiki/真理
2)上記ウイキペディアには、真理の余剰説というのがある。
    3)英語で、善はgood悪はevilである。goodはGod(神)から派生した言葉であるので、最初は宗教的に定義されたものだろう。ただ宗教(民族宗教)は、元々社会を構成員する人々の結束を目的としたと考えられ、その場合の宗教的な善は社会規範としての善に一致する。(ユダヤ教はユダヤ民族の宗教として存在する)
4)快感とは、広辞苑では「快い(こころよい)と感じること」とある。また、“快し”とは、気持ちがよい、心中にわだかまるものがない、愉快である。気分が良いなどと書かれている。一言で言えば、「再現可能であればそれを望む感覚」と言えると思う。
5)X軸は日付でY軸は価格を表わすというグラフの場合、その日付や価格をラベルと定義する。従って、ここではマイナスの美が醜ということになる。

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