2015年5月13日水曜日

明治維新と銃の性能:尊王攘夷派の背後に外国(英国?)の影

「明治維新の過ち」(原田伊織著)と題する本を読んだ。その感想は後ほど書く予定(注1)だが、今回は面白い記述を一つ見つけたので紹介したい。それは、鳥羽伏見の戦いから始まる戊辰戦争の勝敗を決めたのは、薩長を中心とする西軍(通常官軍と呼ぶ)の武器の性能が圧倒的に高かったことである。 

戦闘の際に重要なのは銃と大砲であるが、19世紀はそれら武器の改良が進んだ時代である。当時使われた銃の種類を下の表に示す。
前装式では銃を垂直に立てて銃弾と火薬を銃口から装填する必要があるので、時間がかかる上に、攻撃され易くなる姿勢をとらざるを得ず、不利である。また、ライフル溝が彫ってある銃から発射された銃弾は、回転しながら飛ぶので、弾道が安定して正確に的を射ることができる。更に、連発式になれば発射の時間間隔が短くなり有利になる。発射までの間隔であるが、ゲーベル銃で一発撃つ間に、ミニエー銃では2回、スナイダー銃では6回発射できるという。スペンサー銃は、機動性を重視して銃身が短く作られているが、連発式ライフルであり、更に大きな威力があっただろう。

西軍はミニエー銃、スナイドル銃、スペンサー銃を主に用いたが、仙台藩などはゲーベル銃が主であった。また、銃だけでなく大砲の性能にも同様に大差があったと書かれている。(上掲書217頁から始まるセクション)つまり、戦闘になれば武器の点でも勝負にならないのである。

従って、経済力や外国との交易能力が勝敗を決めるということになる筈である。経済力は勿論、外交能力も幕府の方優れていたことは、明らかな事実である(注2)。薩摩は密貿易などで多少金があっただろうが、長州などの藩を考えると、高価な銃や大砲を幕府側に先だって揃えるのは困難だった筈である。それなのに何故、西軍(官軍)と東軍(幕府と佐幕派)で銃の性能に大差があるのか?その点には「明治維新の過ち」はふれていないのだが、恐らく西軍は海援隊などが英国のグラバーなどを通して、武器を多量に調達したのだろう(補足追加)。

西軍は、攘夷の対象である筈の英国などの国(注3)から資金面や作戦面などで、相当密接に関係していたのではないだろうか。幕府側と外国との関係に関しては、江戸城開城のときも、フランス公使が江戸城に何度も登城して、慶喜に抗戦してはどうかと進言したという例がある。グラバー邸に(トーマスグラバーと坂本龍馬らが)密談する部屋があったということも、このあたりのことと密接に関係ありそうだが、未だ十分には明らかにされていないようだ。

ただ、最近西鋭夫(スタンフォード大、フーバー研究所教授とあるが、判らない)と言う人の講演がネットで配信されており、その中(宣伝画面;有料なので全部は見ていない。)に、”坂本龍馬に何処かから大金が出ていた”という示唆があった。

補足:
1)池田信夫氏が感想文的なものを書いて発表している。http://agora-web.jp/archives/1640889.html
2)王政復古の大号令の後、将軍慶喜は諸外国に外交の相手は幕府であることを確認させている。
3)薩長が、攘夷を叫んだのは本音ではないだろう。本音は倒幕であると思う。また、池田屋事件の動機は、御所に放火して孝明天皇を長州に拉致する計画が発覚したからであった。そのことからも、尊王の気持ちも薄いことは明らかである。
補足追加:この本は一定の知識を前提としている様なので、その後半藤一利著の幕末史を読んだ。その中に、「薩長同盟の時に、薩摩がグラバー商会を通じて武器を買い、それを長州に廻すという約束がなされた」と言う内容の記述があった。(6/26)

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