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2015年7月26日日曜日

東京裁判で日本人被告の無罪を主張した米国人

昨夜の池上彰氏のテレビ放送(そもそも戦争とはSP)で、東京裁判についての解説があった。これは連合国が行なった裁判形式の報復であるが、”裁判”だけに日本人や米国人の弁護人をつけて、戦犯達を弁護させた。

その番組で、米国人のブレイクニー弁護士が滔滔と、戦争は犯罪ではないと演説している様子が映されていた。その中で非常に驚いたのは、“日本軍人が為した行いが犯罪なら、原爆を落したことも犯罪ではないのか。それを落した人間は解っている、それを命令した指導者の名前も解っている”、と続けたのである(注釈1)。あの場面で、あの発言が出来る人が、あの時の米国軍人の中にいた事は、あの時の米国の強さと米国社会の健全さ(米国政府ではなく)を示している様に思った。

裁判では、裁判長と思しき人間が、一言「却下」と発言して、その弁護人の主張は退けられた。

あの裁判で、インドのパール判事が、平和に対する罪と人道に対する罪は戦勝国により作られた事後法であり、事後法をもって裁くことは国際法に反するなどの理由で、被告人全員の無罪を主張したことはよく知られている。そして、この弁護士の話も有名だと言う事だが、私は知らなかった。

米国社会は、個人が独立して意見を公表するという、民主主義の前提となる文化を持っていることを、ブレイクニー氏は実証した様に思う(注釈2)。

日本では、人々は周囲の雰囲気、或いは、空気に支配され、民主主義国の体裁をとりながら、自分の信念に従って意見を述べる場面をあまり見ない。そして、物事は全体主義的にきまっていく。

ブレイクニー氏のように自分の信念に従って、意見を述べることが出来る文化が日本にあれば、あのように戦争の泥沼にズルズルとはまり込まなかっただろう。

補足:

1)その部分をウィキペディアから再録:「キッド提督の死が真珠湾攻撃による殺人罪になるならば、我々は、広島に原爆を投下した者の名を挙げることができる。投下を計画した参謀長の名も承知している。その国の元首の名前も承知している。彼らは、殺人罪を意識していたか?してはいまい。我々もそう思う。それは彼らの戦闘行為が正義で、敵の行為が不正義だからではなく、戦争自体が犯罪ではないからである。何の罪科でいかなる証拠で戦争による殺人が違法なのか。原爆を投下した者がいる。この投下を計画し、その実行を命じ、これを黙認したものがいる。その者達が裁いているのだ。彼らも殺人者ではないか」

2)個人の自立が民主政治には不可欠であることを示したのが、小沢一郎の日本改造計画という本であった。昨今の自民党は見事に一枚岩である。個人が信念に従って自分の意見を公表することなど、現在の政治の社会だけでなく、古来日本の何処にもないのだろう。

1 件のコメント:

  1. ブレイクニー氏の名前は知っていたが、この発言は知らなかった。
    感動した。

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