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2015年10月29日木曜日

日本のマスコミの福沢諭吉による評価

日本のマスコミは、社会における役割を正常に果たしていない。一億玉砕を紙面に踊らせながら、戦後は論調がコロッと変わって、自分たちが神輿を担いだにもかかわらず、その主を批判するのに何のためらいも見せない。朝になれば、昨日の事は夢の中と言わんばかりに、韓国や中国に日本攻撃のネタを捏造し提供する。節操も何もない。

それは半島や台湾併合の後のことかと思えば、そうではないらしい。再度眺めた「明治維新という過ち」(原田伊織著、毎日ワンズ)の中に、福沢諭吉の次のようなことばがあった。「新聞記者は政府の飼い犬に似たり」

西南戦争の際、新政権が西郷隆盛の官位を剥奪した瞬間に、新聞各紙が西郷非難を始め、世論がそれに迎合したことを、福沢は怒って言ったセリフだという。

政治に節操を求めるのは、魚屋で野菜を呉れというようなものかもしれない。また、節操を保つ政府に命を託すことは、学者に政治をさせるようなものである。

しかし、そこにマスコミの出番があるのではないか。国民には“歴史の動きとその真実”を知る方法がないが、マスコミは現場に出かけてその正体の陰か気配を掴んで報道することが可能である。それが出来ないのなら、存在価値など何もない。

言論の自由とか、民主主義とかいうのは、日本では全く借り物である。100年暮らしても、その地が自分の故郷でないと言い張る一族のようなものだ。それはその一族に問題があるのか、それともその地に問題があるのか、どちらかである。

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