2015年11月16日月曜日

グローバル化経済と命の値段の低下

1)経済のグローバル化は、通信や輸送のコスト低減、冷戦終結などを背景に、米国を中心に進められたと思う。つまり、民主主義と自由主義の世界輸出である。一方昨年、経済統合という形でヨーロッパをまとめることは困難であり、生じた富の地域差をより深い政治的交渉で解決しなければならないことが、ギリシャ危機ではっきりと意識されるようになった。ギリシャ危機は、強大な政治的リーダーシップを育てることなしに経済のグローバル化を進めることは、世界に政治的混乱を招くことを教えてくれたのである。新冷戦構造が顕在化しつつある現在、米国は世界の政治をリードする意思が弱くなりつつある様に見える。米国は自国の都合だけで、経済のグローバル化を進めた責任を放棄してはならないと思う。

2)経済のグローバル化は、当然のことながらグローバル企業を生み出し、資本による世界の支配を進めた。経済評論家の三橋貴明氏が韓国経済について動画で紹介しているように、あの看板企業のサムソンは資本的にはほとんど外国に支配されている。https://www.youtube.com/watch?v=BX2vC35PCFQ しかし、それは韓国企業に限ったことではない。例えば、日産自動車が外国企業と言った方良いことはよく知られている。更に、トヨタ自動車の株の30%、日立製作所では45%が外国保有である。これらのグローバル企業が特別なわけではない。実際、日本全国の上場株式の30%以上が外国保有なのである。

資本は自由に国際的に移動することにより、仕事も先進国から賃金の安い発展途上国に流れる。結果として先進国において、失業率の上昇やデフレ経済を生んだ。ピケティの本がベストセラーになったことで有名になった、資本による収益率が成長率を上回るという関係により、資本を支配するものが富裕層となり一般労働者の相対的貧困化が起こることになった。

例えば、一人当たりのGDPを比較すると、金融関係で稼いでいるルクセンブルクと産油国のカタールが一位を争っていること(補足2)は、現代世界の歪な経済構造を象徴しているように思う。そして、経済の歪な構造により世界の内部には政治的応力が生じており、そのズレは地震のように悲劇を起こす。あのフランスのテロも、このような経済的不均衡が背景にあるのではないだろうか。

3)命の値段というのはいささか不穏当な表現である。しかし、経済的視点から見れば、人の命にも値段をつけることができる。例えば、命の値段を一生に賃金として受け取る金額や保険等での死亡時受取金額とでも定義することが可能である。そして、傾向としての話だが、それらの金額が高い国あるいは社会ほど、やはり安全や環境などを大切にするのではないだろうか。

命の値段の安いところでは、労働賃金は安く、従って失業率は高い傾向にある。社会は環境や安全に対して配慮する余裕を失い、荒廃が進む。人々が宗教に頼る傾向を強めるのは、宗教は現世の不安や不満を投げ込む異次元空間への窓口のように働く。日本でも人々が神社の賽銭箱に投げ込んでいるのはコインではあるが、不安と不満をそれに載せているのではないだろうか。投げ込む筈だった不満や不安がその手を離れなかったら、自分自身がその中に身を投じることになる。

グローバル化された現代、資本や商品が自由に国境をまたぐ。そして、人にとっても国境という敷居が低くなる。それだけなら未だ良いが、不安や不満、更にはテロにとっても国境という敷居は低くなり、その上に本来あるはずの扉も高度なIC技術により透明化されてしまっているのではないだろうか。我国は2020年のオリンピックを無事開催し、その祭りが終わった後の虚無感に浸る余裕を、国民は持つことができるだろうか。

補足:
1)現在、冷戦は終わっていないという見方があり、新冷戦構造という言葉が生まれている。しかし、2,3年前までは冷戦は過去のものと考えられていた。
2)名目つまり米ドル換算ではルクセンブルクが、購買力平価ではカタールが一位というような状況にある。

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