2015年11月23日月曜日

イスラム国を目指す若者達

ヤフーニュースによると、インドネシアの若者約700名がこれまでにイスラム国を目指したという。イスラムのテロリズムは中東だけのものではなく、全世界的な問題であることがわかる。また、その動機であるが、これまで経済的な貧困や不平等が根幹にあるという説明がなされていたが、どうもそうではないらしい。

東大准教授の池内恵氏によると、イスラム国に向かう若者は貧困層ではなく、どちらかというと高学歴でそれほど貧困でない層が主であるとのことであり、氏は動機を”自由からの逃走”というエリックフロムの著書の題名を用いて説明している。その若者の行動は、日本のオーム真理教へ高学歴の学生が多く入信したのと似ているというのである。 http://www.yomiuri.co.jp/feature/yokoku/20150203-OYT8T50221.html?page_no=1

その状況を私流に以下解釈する。 この世界は文明が高度に発達した社会であり、そこへの参加には長い期間の教育を受ける必要がある(補足1)。方向においては自由な社会ではあるが、原点にとどまっている自由はない。つまり、ヒトの動物としてのオリジナルな生態(原点)と比較して、人為的(或いは文化的)な状態があらゆる方向に設定されている。

若者には全ての方向への自由はあるが、それは上記原点からは遠く離れたところで与えられる。そして、文明社会には期待される道があり、それに沿って自分に予定されている時間は着実に進む。その結果、時間という川に流される寄る辺なき木の葉の様な感覚に支配されるのではないだろうか。木の葉は、あたかも自由がある様にあちこちへ向かうが、それは本当の自由ではない。

すぐ近くに明確で自分の命をも超える価値を教えてくれる存在があれば、それに身を寄せるのは、人格神を知らない我々にも分からないではない。一定の知性を持ち、自分の寄る辺ない存在を知る若者ほど、暗示か悟りかは立場によって解釈は違うだろうが、確実さと安心とが得られるのだろう。そして、部外者には自由な状態ではない様に見えるが、自分の家に帰った様な心理状態となるのだろう。

ジハード(聖戦)は、そのような若者たちの住処なのだと思う。恐ろしいことである。 補足: 1)成人の定義として、「独立して生計を立てることが可能になる年齢である」というのに反対の人はいないだろう。昔、成人の儀式としての元服は、かぞえで12-16歳の間に行われていた。しかし、現在の感覚では一応大学卒の22歳くらいが成人年齢と考えられる。時代とともに成人年齢が高くなるのは、社会への参加に対する準備期間が長くなっているからである。尚、選挙権が18歳から与えられるようになったが、それは安部政権が無知な若者を必要としているからである。

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