2015年12月20日日曜日

夫婦別姓を考える

1)現在日本では、夫婦と子供が、同じ姓を名乗ることで家族の絆を確認しているが、その絆を取り除く企みが民主党を中心に進められている。

引き合いに出されるのが、西欧社会の多くが夫婦別姓を採用していることである。しかし、西欧文化における家族の形はどの様なものなのか、そして西欧のコミュニティーがどのような状態なのか、西欧は高い離婚率をどう考えどう対処しているのか、などについての議論が、引き合いに出す前に説明されなくてはならない。そのような考察なしに、単に男女同権を理由に、夫婦別姓を主張するのは浅はかである。

現在でも夫婦は、どちらかの姓を選択できる。95%が夫の姓を名乗るから、男女同権が侵されているというのは、自分好みの旦那を選べなかった女性の恨み節にしか聞こえない。男女同権を理由に夫婦別姓を主張する民主党の方々に聞きたい。夫婦が別姓になれば、その子供の姓はどうするのか。二人の子供が別々の姓を名乗るのか。子供たちの姓が片方だけだと、男女同権の原理に反すると思うが、それはどうするのか?

現在、会社など多くの組織で、旧姓を名乗ることは許されている。何故、戸籍簿での姓にこだわるのか。旦那の姓を名乗ることになった人に聞きたい。あなたは何故、旦那の姓を名乗ることになったのか? 二人で話し合い決めたのではないのか? その時点に戻って、そんなに旦那の姓を名乗るのが嫌だったのか?

もちろん、姓が別々であっても、家族の絆にいささかの揺らぎもないと言い切る人は多いかもしれない。しかし、夫婦の片方の姓を名乗るという覚悟も出来ない二人だとしたら、将来家族の絆を維持できるだろうか? ミドルネームを用いる手もあるが、それは未婚既婚の人種差別になるのか? まさか、家族なんて病気だと主張している、売らんかな商売の元女性アナウンサーに同調しているのではあるまい。

2)人は社会を作って生きている。社会は地域文化的共同体(コミュニティー, community)と法人や公共団体(コーポレーション;corporation)から成り立っていると思う(補足1)。人間が生きる上に大切なのは、人が集合の要素であるコミュニティーの方である。そして現在、家族はコミュニティーの基本単位となっている。
一方、コーポレーションは目的を持った人の集まりであり、目的がその集合の第一の要素である。

現代社会では、地域コミュニティーが崩壊しつつある。それは、西欧模倣型社会の国におけるコーポレーションによるコミュニティーの浸食現象として理解できる(補足2)。つまり、コーポレーションが目的を達成する為に人を遠方よりリクルートして使役し、老齢になれば捨て去ることでコミュニティーを破壊するのである。現在、家族が崩壊すれば人に残された空間は、ほとんど無くなると思う(補足3)。最後の砦というべき家族の危機もそこまで来ていると思う。

最近読み始めた本に山崎豊子著の「大地の子」がある。その中に描かれている中国東北地方に残された日本人残留孤児である主人公と養父母との間の絆が描かれている。また、数ヶ月前に見たテレビ報道で、中国農村部から都市部に出稼ぎに出た青年が、地下の狭い部屋に住みながら、稼いだ金を病気の養父母に送り、将来の夢を語る姿が映し出されていた。

日本では弱まりつつ家族の絆と、中国での家族の強い繋がりの差は、経済の発展段階の違いだけでは説明できないのではないだろうか。考えるべきは家族の絆をいかにして強め、家族をもつことの人生における重要性を示して、上がりつつある晩婚化や生涯未婚率を下げることではないのか。また、家族のあり方に法律が乗り込む場合には、その国の文化と慣習を考え、後を追う形で進めるべきである。民主党は夫婦別姓が日本の誰もが、あるいは、多くが望んでいると確信をもって言えるのか?

補足:

1)ゲマインシャフト(共同体組織、Gemeinschaft)とゲゼルシャフト(機能体組織、Gesellschaft)のことである。
2)経済発展によりこの現象は加速された。(午後6時50分追加)
3)都会部では、宗教活動でコミュニティーを作る人も多い。しかし、宗教が個人の思想の根底ではなく、コミュニティー形成の動機となるのは不純だと考える。

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