2015年12月3日木曜日

テロに訴える人たちとその敵である圧倒的に強力な人たち

テロとは卑怯な行為であり、それを行うものは人類の敵だという。何故なら、何の宣告もなく、何の罪もない人々に対して、鉄砲をぶっ放すのだから。しかし、イスラム国の軍を構成するものやその支持者が、世界を敵にまわしてテロに訴える理由は何だろう。

テロは時代をさかのぼれば、いくらでもあった。先の大戦中でもスターリンのポーランドなど東欧で行った行為は、テロと同じかそれ以上の残虐な行為だろう。日本の明治維新の時でも、薩摩が江戸で行った虐殺強盗の類もテロだろう。

イスラム教信者だからといって、イスラム国のテロリストとは一緒にしないでほしいという声をネットやテレビで聞く。その通りだろうと思う。平穏な生活を送っているかどうかが問題であり、宗教など関係ないと思うからである。

テロは卑怯な行為である。しかし、人類の敵というのはあまりにも単純な言い方である。その単純さに、混乱の原因の一つがあるのではないだろうか。状況が反対であれば、野球の攻守交代の様に全く逆の状況が起こるような気がする。

食うか食われるかの状況では、生存を賭けた争いは仕方がないかもしれない。しかし現在、中東もヨーロッパもその様な状況とは異なると思う。

日本には「盗人にも3分の理」という言葉がある。親鸞の思想は、人間を善悪で分類するのは多くの場合浅はかであるという考えだろうと、理解している。

逃げ道を塞ぎ、苦境に追い込み、そして圧倒的な力の差を見せつけられた時、あなたならどうするか? そういう問いが(お互いに)頭の片隅にも浮かばない人たち、そして同時に、強力な経済力と軍事力を持った人たちの敵にはなりたくない。そうつくづく思う。

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