2015年12月16日水曜日

移民の受け入れには相応の覚悟が必要

昨日のBSフジのプライムニュースで、シリア難民や移民などの受け入れと、それに伴う困難、日本人の必要な覚悟などが議論されていた。ゲストの曽野綾子さんの指摘は、受け入れる日本の人たちに宗教特に一神教への理解が欠けており、また、各種トラブルへの心構えが全く用意されていないということであった。

人口減少や労働力の不足の解消などのメリットを狙って、移民難民を受け入れるという動機では失敗するだろう。理性的愛(アガペー)をもって、年寄りも犯罪者予備軍も一切合切受け入れるという覚悟が必要だということである。

安倍政権は、日本は国連を通して難民対策について資金面で協力するというが、そしてネットで緒方貞子さんが寄付を募っているが、その金は難民の役に立つ前に、途中で消えるだろうと曽野綾子さんは仰った。

日本は過去に難民を何度か受け入れている。例えば、戦後朴正煕政権のときチェジュ島で悲惨な殺戮事件があった。そこから逃れた数千人とか数万人とかいう人たちが、合法あるいは非合法に日本に入国し、結果として日本は彼らを受け入れた。しかしそれでも、チェジュ島の大学生組織が、慰安婦の像を済州島の日本総領事館前の広場にも設置しようとしているという。 http://www.sankei.com/premium/print/151019/prm1510190006-c.html 恩を仇で報いるとはこのことである。このような腹立たしいこともあり得るのが国際関係である。それでも難民をアガペーを動機とし覚悟を新たにして、受け入れることができるのか?

シリア難民の元々の原因は、第一次大戦後の欧米の植民地支配から始まっていることも考え、やはりこの件では日本は国際政治の表舞台で避難されない程度にしておくべきだろう。その厳しい国際関係の理解を通して、自国は自国の軍隊が核兵器でもなんでも作って守るのだという覚悟を、国民が自分たちの社会の中に醸成すべきである。国際関係は未だに本質は野生の関係なのだから。

以前難民を受け入れるべきという文章を書いたが、この内容と抵触する部分については恥を忍んで訂正したい。

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