2016年2月19日金曜日

反面教師:宮崎謙介氏と日本国

1)宮崎謙介氏は、国会中に男性議員も育休をとると言い出した元衆議院議員である。その育休中には、育児に協力するのではなく、何か別のことに専念しただろう。既に議員を辞職したが、彼の業績は有権者に対して反面教師となったことである。

週刊誌やテレビは、彼の公人としての情けない姿を延々と大衆の娯楽に供しているが、それだけで良いのか? 折角、宮崎氏が反面教師の役を演じてくれたのに、正面教師としての役割があるのと違うのか? 

政治評論をマスコミに流し、それを仕事にしながら宮崎氏のようなタイプの政治家に取って代わることを目指さない多くの人たちは、日本国に負う父祖からの恩を忘れた人たちである。しかしあまり強く非難ができないのは、真面目に考えた場合、政治家は割りに合わない仕事だからである。

政治家という職業が、日本国と国民の将来を決める大変重要な仕事であるということを知れば知るほど、その重責とあまりにも軽い待遇のギャップが、政治家を目指そうとする人の障害となる。政治家として国家国民の為に仕事をすることは、よほどの幸運がない限り割に合わない。何かをすれば、業績は他人に盗られ、自分は失敗をしたとして非難される可能性も大きいだろう。

また、政治家を目指す際、最初に汚名を覚悟しなければならないということもある。

2)その汚名とは何か?

日本では、遺産相続で政治家になる人が多分最も多いだろう。遺産として政治家の椅子を継げない人は、3本の道を経由しなければならない。それらは、議員秘書、芸能やスポーツなどテレビ界、官僚などの世界から通じている。

遺産相続以外の道から、敢えて政治家を職業として目指す人は、幾つかのタイプに分けられると思う。(タイプ1)何もしないでサラリーマンとしては最高レベルの待遇が得られるという理由で、政治家を選ぶ人もその一つである。その典型例が宮崎氏だったと思う。そしてこのタイプが最も多いので、誰でも政治家を目指す人は、一旦この汚名を着せられる。それを覚悟しなければ、政治家を目指せないのである。

その他のタイプであるが、(タイプ2)漠然とボス猿的な権威権力に憧れる人と(タイプ3)世を憂いその身を犠牲にすることを厭わない英雄的な人である。前者のタイプ(タイプ2)だと思うのは、元コメディアンの男である。地方から国に舞台を換える時に、馬脚を現したのである。これも汚名かもしれない。何故なら、彼は他のタイプ1の政治家よりも優秀だと思われるからである。

最後のタイプ(タイプ3)が現れる確率は、宝くじの当選の確率程度だろう。後者のタイプは、善悪どちらかわからないが、歴史に名を残すだろう。このタイプでも汚名を歴史に残す可能性がかなり大きいから、政治家という仕事は割りが合わない。少しトライしたのだが、一旦身を引いた元大阪市長をこのタイプと期待した(している)人は多いだろう。橋下氏がこれまで残した一つの確かな業績は、この「政治家は割りの合わない仕事である」という上記の考え方を、周知した(と思われる)ことである。

3)外国では英雄らしき人物が政治家として現れ消えている(補足1)。彼らが失う命をまるで自業自得のように眺めている人が多いだろうが、本当にそれで良いのか?明治維新の時に命を失った多くの英雄たちと同じではないのか。

大衆のだれもが国家に危機感を持つ時、必ず英雄が現れるのは不思議でもなんでもない。「平和ボケしている国に英雄が現れない」の、待遇(数学or論理学)を採ればそうなる。つまり、日本の現在の状況は諸外国にとっての反面教師だということになる。

政治家は専門職である。専門と素人の差は、白井選手の床運動と自分の運動を比べればわかる。政治も経済同様にグローバル化している。大国の虚々実々の駆け引きの中で、事実を認識して国家の舵をとるのは専門家にしかできない。従って、優れた専門家としての政治家を育成するシステムを、日本は考えるべきである。

例えば、政治学部を国立大学全てに創設するのも一つである。大学に独立して政治学部がないのは異常である。

国民も、戦国時代から江戸時代までに、諸藩が生き残りの為に取った多くの戦略と戦術をもう一度研究し学習したほうが良いのだろう。あの歴史の中から、血のでないチャンバラ劇や勧善懲悪の印籠を見せる劇だけしか抽出しないのは、あまりにも愚かである。大河ドラマでその種の放送を1年間行うNHKには、視聴料を支払う理由はないと思う。

しかし、マスコミにも期待したい。国家の危うい状況を素早く感じる感覚を多くの国民が持った時、英雄は現れる。その感覚は、世界の状況を知らなければ育たない。世界の状況を把握するのは、事実とそれらをつなぐ論理である。マスコミには利益追求だけでなく、事実を報じることで社会の公益に奉仕してもらいたい。その意味で現在多少の貢献をしているのは、木曜日発売の週刊誌くらいだろう。

補足:
1)英雄らしき人物としたのは、米国などによる自由と民主主義の輸出により、殺された人たちを指す。貧しい国では独裁しか統治の方法はないだろうし、反対する者の粛清などで、悪人と決めつけるのは無理がある。経済の発展段階に応じて政治体制が変化するというのは、やはり真理だと思う。

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