2016年3月19日土曜日

清原氏報道の教訓

1)元巨人軍選手の清原が保釈された。その映像がテレビに出ていたが、そこに群がる大勢のカメラマンなどは、大怪我をした動物に群がるハイエナの群れにみえた。この件についてはすでに少し書いた。http://blogs.yahoo.co.jp/mopyesr/MYBLOG/yblog.html?m=lc&sv=%C0%B6%B8%B6&sk=0

この程度の犯罪で、これほどマスコミが公共の電波を利用し、国民に時間と感情を使わせるのは、大きな浪費である。マスコミは公共の福祉に寄与するように、電波を使う義務を有する(補足1)。それにも拘らず、世の中の冷酷な部分を先頭にたって宣伝し、社会を安定且つ健全に保つ基本である人と人の間の宥和の精神を破壊しているように見える。

釈放され病院に入院した清原氏が、病室のカーテンの隙間から、外に並んでいる大勢の報道陣の姿をこっそり確認する姿をテレビは写していた。その氷のように冷たく動かない表情の裏に、やり場のない自分とその運命に対する怒りの感情を想像する。あるいは、虚しい気持ちとでも表現する方が適当かもしれない。

覚せい剤などの使用と保持の犯罪は、年間数万件あるという。それらの人々を無事健康な姿で社会に取り戻すことは、日本社会に大きな利益をもたらす。その視点で、服役後の更生を励ます姿勢をまずマスコミは示すべきである。具体的には、有名人であるから逮捕された事実とそれまでの経緯など、そこから一般人が教訓を汲み取るのに十分な情報だけ報道すれば、あとは出所まで何も報道することはないのだ。

2)清原氏は、犯罪人となって自由に動けなくなった自分を、まるで餌も求める残忍なハイエナにように囲んで攻めてくる姿を見て、ほんの少し前までヒーローの自分を追いかけて来ていた報道陣の本質を知っただろう。その画面を背景に、清原氏からの公式メッセージが流されていた。更生してもう一度社会に役立つ人間になる決意を示したものだったが、背景が背景だけに、まるで虚空に向けて発信しているように感じた。

人には落とし穴に落ち込んだ人間に石を投げつけるような残酷な側面はある。それは生存競争のメカニズムとして脳に仕組まれたものだろう。しかし、人間には互いに他人を認め合う性質を持ち、社会を作っている。その両方の性質を、バランスを保って持つのが成長した人間なのだろう。ただし、前者は個人の内面に置き、後者の性質を表に出すことが倫理的だと思う。

また人間には、集団(民族や国家)としての生存を賭けて競争するような場合もある。その場合は、個人はその憎しみの心を敵に向けて正面に出すこともある。それは、相手の集団への攻撃力を結集するためである。そのようなこころの存在について、バートランドラッセルが名言を残している。「他人、他民族、他国民を憎むことなしに幸福を感じられる人は少ない」と。(補足2)

その場合でも、国家は他の国家に対して融和的な性質を表に出さなければならないと思う。そして、競争のこころや憎しみのこころは国家の内部に置く。それが成熟した国家の政治(外交)の姿だと思う。そのバランスが崩れたとき、しばしば国家の狂気として歴史に残る。ナチスのホロコーストなどである。

補足:
1)放送法第1条:この法律は、次に掲げる原則に従つて、放送を公共の福祉に適合するように規律し、その健全な発達を図ることを目的とする。
2)英語では、Few people can be happy unless they hatesome other person, nation or creed. http://oaks.nvg.org/russell-quotes.html

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