注目の投稿

人類史の本流は中華秩序なのか、それとも西欧型秩序なのか

1)米国が露呈させた中国共産党政権の真の姿と日本の課題   日本が抱えている最重要な課題は、コロナ問題や拉致問題等ではなく、表題の問に対して明確な答えと姿勢を持つことである。短期的な経済的利益に囚われないで、現在が世界の歴史の方向が決定される時なのかどうかを考えるべきである。...

2016年4月24日日曜日

田中角栄は天才か小物か

1)石原慎太郎氏が田中角栄は天才だとする本を書いた。一方、最近買った本のタイトルには、「田中角栄こそが対中国売国者である」(鬼塚英昭、成甲書房、2016/3)と書かれていた。天才か小物かは、科学者でも政治家でもその業績を分析すれば解ることである。鬼塚氏の本には、中国の周恩来は「田中角栄を小物と断じた」と明確な根拠とともに書かれている。(以下「頁」はこの本での記述箇所を示す)

その証拠とは、日中国交回復を決めた後、周恩来は田中角栄に「言必信、行必果」という孔子の言葉を色紙に書いておくったことである。この孔子の子路篇については、インターネットにも多く書かれている。http://www5f.biglobe.ne.jp/~mind/knowledge/classic/rongo013_2.html

周恩来は、その中の「言必信、行必果、脛脛然小人也」から上記言葉をとったのである。それは、「士」とはどういう人かと「士の資格」を問うた子貢に対して、孔子が言った言葉である。士は古代中国では支配階級の最下層であり、それも最低の士を定義した孔子の中の言葉を田中角栄に送ったのである。

それについて新聞は、「周総理から田中首相に、“言えば必ず信ずる。行われれば必ず果たす”と揮毫した書が送られ、田中首相も“信は万事の元”との所信をしたためてお返しした」(毎日新聞)と書いた。新聞は言葉の意味を解説せず、中国の完全な言いなりの日中国交回復を、田中角栄の偉大な業績とする「正史」の完成に協力したのである。

儒教は共産主義と相容れない思想である。周恩来は、その中から「君である中国に仕える小物の日本首相」という意味を込めて、「言必信、行必果」という言葉を色紙に書いたのである。因みに、孟子の中に「孟子曰、大人者言不必信、行不必果、惟義所在」という言葉がある。その訳は、大人(たいじん)は言うことを必ずしも実行しない。またやっている事業を必ずしも貫徹しない。ただ、義のあるところに従ってなすことだけがその原則なのである。

この言葉も、当然秀才の周恩来の頭の中にあったはずである。それと対比すれば、周恩来の意図は明確である(117頁)。この孟子の文章の中の“義のあるところに従ってなす”の「義」は、日中共同声明の二条と三条に照らしてみると、台湾との友好関係は守るということだと解る。台湾との日華平和条約を破棄し、共産党の支配する中国の一部として認めたことは、池に落ちた人を棒で叩くことに等しい。米国の対中国国交回復とは根本的に違うのである。(補足1)

2)当時の中国経済は、大躍進運動の失敗や文化大革命で疲弊の極限にあった。ニクソンとキッシンジャーが中国と国交を結んだ際、中国が唯一外貨を稼げるのはアヘンの密売であったという。キッシンジャーは、そのアヘンの密売に協力することで中国経済に協力したと書かれている(64頁)。中国は、日本との国交回復を早く済ませ、日本の経済協力を得ることに焦っていたのである。

米国のニクソン大統領は、経済の方でブレトンウッズ体制を崩したことと、政治の方で共産中国と国交回復するという発表をしたことで二つショックを世界に与えた。米中国交回復は歴史の必然であったが、日中国交回復も同様だと思う。ニクソンショックで狼狽えた、時の佐藤栄作総理大臣は急ぎ自民党幹事長の保利茂の書簡を訪中する美濃部亮吉東京都知事に手渡すが、取りつく島もなく拒絶される。

その一方、朝日新聞社長の広岡知男を通して、水面下で田中角栄と交渉していたという。野党の中では、共産党(ソ連の下にあった)は嫌われていたが、社会党や公明党は相当日中国交回復に向けて動いていたようである(92頁;113頁)。

実際、田中総理訪中一ヶ月前に、中国アジア貿易構造研究センターが日立製作所、富士銀行、三井物産、出光興産などの首脳を集め、稲山嘉寛新日鉄会長が団長となって訪中している。その経済協力として、おそらく最大のものは新日鉄が中心となり進められた、上海の宝山製鉄所の建設だろう(補足2)。これは日中回復の2年後の調印であるが、何も知らない日本政府(佐藤政権の時)をよそ目に、準備は着々とに進められていたことになる。何という情けないことだ。日本の新聞やNHKなどの報道機関は、いったい何のために存在するのだろうか?

補足:

1)ベトナム内戦を中国に任せること、それと引き換えに米兵向けのヘロイン納入を認めることだった(63頁)と書かれている。台湾については、米国は台湾法を制定しており、それは事実上の台湾との間の軍事同盟となっている。
2)この製鉄所は、山崎豊子著の「大地の子」の主な舞台の一つとなった。文庫版第二版から稲山の名前が屡々現れる。

0 件のコメント:

コメントを投稿