2016年9月14日水曜日

グローバリズムという米国の夢の挫折

グローバリズムは米国の夢であり、同時に、人類の夢だったのかもしれない。世界が真の意味で平和になるには、地球市民を善良なる人に教育し、自由でオープン且つ物質的に豊かな社会を世界に広めることが必要である。そうすれば、この地球上の人類が世界共通のルールで統治されることになる。

ある政治的にも経済的にも突出した国家が世界を支配すれば、それが実現するかもしれない。その様な国家として最も相応しいのは、米国である。日本も日本人も、戦争に敗れた相手国ではあるが、その明るい未来に向けて進む米国を、憧れと尊敬の念を持って眺めてきたと思う。その米国を牛耳ってきたのは、ロックフェラーなどの金融資本であり、グローバリズムは彼らが米国を動かして実現しようとしたのは事実だろう。

政治評論家の馬淵睦夫氏は、ロックフェラーの回顧録に「自分がグローバリストと呼ばれるのなら、それを誇りに思う」と書かれていると指摘している。また、共和党の政治顧問であった「キッシンジャー元国務長官は、ニクソンに忠実だったのではなく、ロックフェラーに忠実だった」と言っている。資本主義の旗頭が、グローバリズムの旗頭だったという訳である。

資本主義社会の発展は、必然的に世界を一つの経済活動の場に統一する方向に向かう。そして、国々の間に張られた境界を、人と資本の流通において開けば、必然的に少数の資本家が世界の資本主義経済を支配するようになるだろう。ロスチャイルドやロックフェラーがそれらの筆頭である。政治と経済は社会の生命力の両輪であるから、必然的に彼らの思想であるグローバリズム(=グローバル資本主義)が英米を始めその影響下に入る国々の政治に反映されるだろう。それは、民主主義という無知なる大衆が主権を持つ政治形態の必然だと思う。その政治バターンをアジアやアラブに移植すれば、グローバル国家建設は夢ではないと思ったかもしれない。

しかし、世界は広い。国の面積を人口に比例した世界地図を見れば、英米中心の世界に住んできた上記資本家たち、その世界こそ地球のほとんどであると信じてきた日本人たちも、広大な中国とインドを抱き込んだグローバル国家を作るのは至難の技であると、最近になってようやく気づいたのではないだろうか。

その足踏み状態を、評論家の田中宇氏は「隠れ多極主義」の人たちが米国を牛耳っていると考えている。しかし、それは単極化&均質化という難題に挑戦してきたグローバリストたちが、なかなか成功の方向に進まない姿を見間違えたのだろう。異質な国である中国、更には、アラブやアフリカなどへの資本主義の移入は、グローバリストの思惑に反して、それらの国々の政治的発言力を増し、世界を多極化に導くことになる。

資本主義は、移入された国において自身を最適化する柔軟な性質を持つので、英米では民主主義との相性が良かったとしても、アジアやアフリカでは別の政治体制と相性を良くする方向に変化する。中国では「賄賂と共産党独裁国家」という体制に馴染み、世界の多極化の旗頭に育て上げた。

そして、世界は再び、混乱の入り口にある。
馬渕睦夫氏が米国の金融資本を悪の権化のように言うが、それはちょっと違うと思う。彼らユダヤ資本は、ロックフェラーの言葉として馬渕氏が引用したように、誇りをもって人類の為にグローバリズムを実現しようと考えたと思う。自分たちの利益と人類の夢が共通であったうちは良かったのだが、それが実現には遠いと思われる事態になるに従って、悪や陰謀という言葉が使われるようになったのだろう。

以上が、素人である筆者の考えである。


http://www.huffingtonpost.jp/2015/08/16/population-map_n_7995854.htmlより引用

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