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2016年10月8日土曜日

電通社員の自殺は労災か?

1)今朝の読売新聞によると、昨年12月に株式会社「電通」の新入社員が自殺した件に対して、労働基準監督署は今年9月30日に労災の認定をした。労基署は、直前1カ月の時間外労働が約105時間に達しており、長時間労働で精神障害(うつ病)を発症し自殺したと認定した。うつ病発症の根拠であるが、昨年11月頃に友人へ送ったメイルの内容などから推定したと書かれている。

労働災害は、例えばタクシードライバーが交通事故を引き起こした場合とか、架線工事中に誤って鉄塔などから落下したとか、低いが一定の確率で生じる労働中の事故や災害の補償のための制度だと思う。上司に暴力があったとか、過重な労働を強いられたというような場合は、労基法など別の制度で対応すべきではないのか。

このニュースを読んだ時、新入社員が単に電通という会社の業務に不適応だっただけではないだろうかという疑問が生じた。上司の言葉にその方のパーフォーマンスが高くないことへの言及というか非難が含まれており、残業時間が延びた理由のようだからである。人には向き不向きがあるので、もし自分に向いていない仕事なら、退職して職場を代わるのが普通ではないのか。最高学府を出たその人には、広い選択の自由があった筈である。

自殺の多くは、今後の人生における大きな不安や不満を抱えて、鬱状態から発作的に実行されると想像する。残業(過労)の問題、職場での人間関係の問題などが引き金になるかもしれないが、それが主原因になり得ないと思う。おそらく、この方の描いた自分の将来計画と自分の適正との不一致が大きかったのではないかと想像する。それなら、厚労省の基準にある個体側要因が本質的な原因であり、労災にはならないと思う。
http://www.mhlw.go.jp/bunya/roudoukijun/rousaihoken04/120427.html

2)このようなケースで労働災害を認めることは、自由社会における適材適所の機能を否定することになる。(補足1)自分で夢を持つのは自由である。しかし、自分の能力や適性を考えて、自分の進むべき道を選ぶのが社会で生きて行く上での基本である。それは、場合によってはその職場の上司に対する反論や“戦い”を通して気づく場合もあるかもしれない。

つまり、上司による叱責なら反論か甘受のどちらかだろう。甘受できない不条理と思う叱責なら、受けた側も反論や反撃をすべきだし、それが出来ず最早耐えられないと判断すれば退職するしかない。一年の浪人だと思えば、そんなにハンディーを背負うことにならない筈だ。(遺族は、パワーハラースメントを受けていたと主張したそうである。補足2)

もちろん言うのは簡単だが、実際には労働の流動性が低く、自己抑制的な振る舞いを善とするこの国では、かなり困難なのかもしれない。しかし、戦わずして自分から命を断つ人にあまりに同情的になるのは好ましくないと思う。兎に角、社会に出れば自律した個人としての行動をとるべきであるし、そのように振る舞えるような人間を育てるべく教育すべきである。原因と結果の関係を曖昧にして、あたかも天災のごとくに処理するのは日本文化的であるが改めるべきであると考える。

補足:
1)退職と就職において自由な選択をとることが、適材適所を実現する。通常、嫌な仕事は適さない仕事である場合がほとんどで、就職の段階で適材適所の人材配分が機能する。しかし、社会での評判やマスコミなどで流れる情報は、好きな仕事と”自分が就くべき(と思い込む)仕事”にズレを生じさせる場合も多い。このような状況は、学業成績に優れた人に多く出現する。例えば、医師が優れた仕事という社会での通説により、多くの優れた才能が向かない医師の仕事に就くことで浪費されていないか心配である。
2)新聞が論理的な文章を書くメディアなら、パワハラという曖昧な言葉は定義なしで使うべきではない。違法行為(暴力)なのか合法行為(助言)なのか、どちらかに割り振るべきである。結論として出された労災認定というのは公的な行為であり、それには灰色領域はない。

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