2017年10月24日火曜日

日本の政治における最高裁判所の責任(日本再生には、歴史の再評価が不可欠)

先日の選挙では、自民党が圧勝した。これで政権はしばらく安定し、トランプ大統領の来訪に際しても、受け入れ体制に混乱はないだろう。それを期待して、小選挙区では自民党に一票を投じた。比例区では橋下氏の次回での再出馬や、片山虎之助氏を応援したい気持もあり、日本維新の会に投票した。

そして、最高裁判所の判事の国民審査であるが、中にはまともな姿勢の方もいるだろうが記憶が定かでないので、全員にバツ印を入れた。その理由は、表題に書いたように、最高裁が三権分立の原則があるにも関わらず、その責任果たして居ないからである。

1)以下、例をあげて説明する。日本の政治家のレベルが諸外国に比べて貧弱なのは、最高裁が一票の格差が大きい選挙に対して、訴訟を起こされても違憲判決を出さないのが一因である。民主主義の要諦は、すべての有権者の政治参加の権利が等しくなければならないという点にある。

産業の近代化による経済の発展により、多くの若者は都会に集まった。そして、受けた教育のレベルの平均値も都会居住者で高いだろう。それらの人は政治にも比較的関心が高い筈である。その一票を、田舎の一票よりも軽くすることで、田舎に拠点を持つ世襲政治家の選挙を有利にしてきたのである。

もし、一票の格差が大きい時に、最高裁が違憲判決を出し、選挙無効の宣言をしておれば、その歪みが早期に是正されていただろう。違憲状態とか、違憲だが選挙自体は有効という類の判決は、自分たちの地位を守るためのごまかしである。一言で言えば、最高裁は行政の下僕となっているのである。https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%80%E7%A5%A8%E3%81%AE%E6%A0%BC%E5%B7%AE

もう一つの重要な例は、自衛隊の憲法判断を避ける最高裁の姿勢である。もし、自衛隊を違憲だとする判断をしておれば、政治家も自分の議席を掛けて、憲法改正に臨む気持ちになるだろうし、選挙民も防衛とは何かを真剣に考える機会を与えられるだろう。 https://ja.wikipedia.org/wiki/長沼ナイキ事件

この種の判断を裁判所が避ける理由は、“国家統治の基本に関する高度な政治性”を有する国家の行為については、法律上の争訟として裁判所による法律判断が可能であっても、これゆえに司法審査の対象から除外すべきとする理論(統治行為論)だろう。しかし、そんな理論は法学者の一つの学説であり、それを裁判での根拠にするのは御都合主義である。

最高裁がこの種の行政に阿る姿勢をとるのは、日本は三権分立が完全には成立していないからである。つまり、最高裁長官は内閣が指命し、判事は内閣が任命することでわかるように、司法は行政の下にある。一方、内閣総理大臣は、国会が指名するので、司法は国民から遠い存在である。

幾分失礼な言い方だが、プロ根性に乏しい最高裁長官や判事は、行政の方向を向くのは当然である。その政治形態は、明治の時代から変わって居ない。もし、大統領制が採用できておれば、三権分立は可能である。(補足1)しかし、その際には天皇は元首の地位から降りなければならない。それは、天皇の立場としては、江戸時代の形に戻ることになる。

2)江戸時代には、天皇は政治上完全に象徴的存在であった。言葉の上では、現在の制度と似ているが、“完全に”という点が異なる。つまり、将軍が国家元首であった。その制度を、日本は明治の革命で無くしてしまった。それは、薩長の下級武士が倒幕を成し遂げるには、錦の御旗の偽造と天皇の担ぎ出ししかなかったからである。

その結果、大日本帝国憲法第11条「天皇ハ陸海軍ヲ統帥ス」の文章が出来上がる。錦の御旗の下で戦うことを憲法に書けば、この条文となる。この“明治維新”の政治形態の欠点を知っているのは“明治の元勲”たちだが、彼らが死んだのちには、明治憲法の改正の必要性を強く感じる政治家があまり居なかったのだろう。

つまり、天皇を政治利用したのだが、もう一度江戸時代のように御簾の中深くに退いてもらう工夫をする前に、明治維新の成果に酔ってしまったのである。なぜ酔ったのか、それは自分の意思で飲んだ酒ではないからである。

つまり、明治の革命は、英国の支援のもとで英国のモノマネを実行したに過ぎない。その歴史の検証と自分の両足で立つという作業がなされないままに、日露戦争での勝利まで進んでしまった。明治38年のことである。歴史の検証は、それが辛い人が居るうちにしなければならないのだ。

ポーツマスで、なんとか講和を無事成し遂げた外相小村寿太郎を非難したのは、戦争の勝利に酔ってしまった国民である。その非難が骨身にしみてしまったのか、桂・ハリマン協定を破棄することになる。そこから、米国との戦争に進むことになる。満州での権益を否定された米国はすぐに、オレンジ計画で日本との戦争をシミュレーションしたのである。その後日本は一直線で英米の敵として破滅の道を歩むことになった。

何が言いたいのか。それは明治以降の歴史の再評価や、日本文化の特徴などを通して、自国を知ることが将来の安定した日本の基礎であるということである。何が何でも天皇を元首にするという、自民党の憲法草案などでは、日本は再生しない。

補足:

1)似た方法として、首相公選制の採用がある。しかし、首相が最高裁長官を任命したのでは、実質的に大統領である。それでも首相の任命を天皇が行うのは、どう考えてもおかしい。その制度は、天皇は首相の任命を拒否する事態を全く念頭に置いて居ないからである。天皇が人間宣言をした以上、独立した意志があると考えるのが普通だが、それを否定したことになる。もし、それでもそのような事態は全くないと信じる根拠があるとすれば、暗闇の中では正義が行われると宣言していることになる。日本の民主主義の根本的欠陥である。

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