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2017年11月22日水曜日

日馬富士の暴行事件について(2)

1)日馬富士が貴ノ岩を暴行した事件が話題になり、そのプロセスで依然として古い相撲協会の姿や、外国人力士の特殊性が徐々に明らかになっている。今放送中のテレビ放送のスクランブルでも話題になっているが、その中で、今回の事件はモンゴル人力士の間の派閥抗争的な面があるという新聞報道が紹介されていた。

貴乃花が現役で活躍した時期を最後に、大相撲の上位番付はモンゴル勢に占拠されている。そして、時々モンゴル勢の土俵上などでのマナーが問題になる。(補足1)それらは、大相撲を真面目に考える人には、看過できないだろう。つまり、現在大相撲は単なる人気格闘技になっているのである。その一方で、大相撲は日本古来の神事であり、その継承を使命としているが故に、日本相撲協会は公益法人となっている。

例えば、優勝力士の表彰での君が代斉唱の際、モンゴル人力士に”口パク”をやらせている。この木に竹を継ぐという状態は、相撲協会のあり方にも見られる。昔ながらの年寄制度で、引退後の力士の面倒を見るのは、限界がある。才能のある力士候補生の入門を国内で求めるには、昇進できなかった若者の再就職制度を考える必要がある。(補足2)

それらの改革を真面目に考えている代表的人物は、相撲協会内では貴乃花親方である。現在の執行部は、何もかも中途半端な状態で、古い体質のままに発展途上国や経済的に落ち込んだ東欧などから外国人を入れることで、なんとか大相撲を維持している。異なる文化の異国にあって、しかも数世紀前の古い体質のままの社会の中で生きる外国人には、ストレスも多いだろう。その様な大相撲の矛盾が、一点に集中したのが今回の事件の様な気がする。

この相撲協会にとってのピンチは、問題点を考えるチャンスでもある。その際、たたき台となる意見を出せるのが貴乃花親方だろう。時期巡業から貴乃花親方を外すなど、相撲協会は将来を考える時に欠かせない人物を除外する方向に進んでいるのは、情けない。

2)元に戻って、今回の事件の背景と動機について考察してみる。 動機は、何処か別の場所で下位力士との飲み会で、貴ノ岩が「もう、あの人たち(日馬富士や白鵬)の時代は終わった」という意味の言葉を喋り、それを聞いた力士が白鵬ら伝え、それに対して白鵬らは怒りを募らせていたというのである。(補足3)その話を翌日聞いた貴ノ岩は横綱に謝罪したと言われているが、それで治らなかったのだろう。

その後開催されたモンゴル人力士の懇親会で、日馬富士が説教をはじめたが、それを最優先しないで携帯にかかってきた電話をとって貴ノ岩が話をし始めたのが、横綱には生意気に映ったというのである。この部分だけを取り出して、前回ブログ記事を書いたが、それは一般論として正しいと議論だと思うが、この件の議論としては不十分であった。

同郷のよしみで集まった会合は、同窓会やクラス会的なものである。(補足4)そこには本来仕事場での上下関係は持ち込むべきではない。そのような現代的な考え方が、貴ノ岩にあったのではと想像する。しかし、それは古い大相撲の常識ではなかったのだろう。横綱と平幕の地位の差は、24時間中天地の差となって、力士を支配するのかもしれない。それに反発する貴ノ岩の考えは、合理的に考える貴乃花親方の考えが影響したのかもしれない。それは、モンゴル勢の中で浮いた存在であるとの指摘と一致している。

また、この件で貴乃花親方が何も語らないのも、その合理的判断が働いた結果だろう。つまり、暴行や障害事件の処理は、警察と司法であり、相撲協会ではない。相撲協会だけに、先ず協会で話し合って、収拾がつかない場合は警察の出番になるという、ローカルなルールを認めれば、「法の下の平等」という近代国家の大原則に反する。

3)貴乃花親方の相撲協会改革に期待する: 貴乃花親方が相撲協会に先ず被害の状況を報告すべきだったという池坊保子氏(相撲協会評議員)の意見がテレビ(スクランブル、ゴゴスマ)で紹介されていたが、この発言の趣旨は理解できない。その理由はすぐ上に書いた「法の下の平等」である。このような前近代的な意見しか言えない、不勉強な人間を評議員にすることに相撲協会の古い体質の一因があるのだろう。

また、スポーツ評論家の玉木氏は巡業中の出来事なので、巡業部長の貴乃花親方は責任追求されるべきだと言っていた。更に、守るべきは大相撲であるといっている。この人も池坊氏と同様に、法律も法治国家の原則も何もわかっていないレベルの人間である。巡業中だからと言っても、業務以外の時間はプライベート時間であり、その時間に街に出て生じた事件の第一の処理は、関係者個人と警察である。その後、第二の処理、つまり相撲協会でこの種の事件の防止や今回の協会としての処分を考えるのは、その結果が出たのちである。

日本の伝統としての大相撲を守るべきだと玉木氏は言うが、大相撲の古来の伝統はすでに破壊されている。つまり、異なった文化圏に育った外国人力士を大勢入門させ、その段階で相撲協会は伝統から営業優先に変化したのである。現状では、日本相撲協会の公益法人の資格を取り消すべきだと私は思う。税金を支払い、一般の法人として再出発すべきだろう。

もちろん、モンゴル人力士は優秀であり、現在では大相撲にはなくてはならない存在であるだろう。大相撲が国際的関係においても重要な役割を担っている可能性もある。日本相撲協会が国際化を含めて相撲のあり方とその組織の近代化を同時進行的に進めることができるのなら、公益法人としての役割を別の形で担うことができると思う。そのために、今回の事件を十分咀嚼してもらいたいと思う。それが出来ると思われる理事を拒否するようでは、相撲協会に将来はない。

補足:
1)プロレスの様に格下で弱いと思われる相手にも拘らず憎悪の感情を表に出した粗い相撲、懸賞金をガッツポーズで受け取る仕草、勝負が付いた後のダメ押しで相手を土俵下に突き落とすこと、などが指摘された。しかし、これは入門時の教育とその後の指導でなんとかなる問題だろう。
2)貴乃花親方は再就職の為の教習施設を考えていると昨日のテレビ放送で、あるコメンテーターが発言していた。
3)週刊誌にモンゴル人力士に派閥があるという記事が載ったと言う。貴ノ岩は他派閥の若い人に喋ってしまったのかもしれない。(全くの推測だが)
4)今回の事件の背景に、プロ格闘技に対する貴乃花親方の考え方があったのだろう。親方は、同じモンゴル出身力士であっても、互いに真剣勝負で明日にも戦う可能性があるのだから、本場所前に懇親会を開いて仲間意識を醸成するのは好ましくないと考え、貴ノ岩のその会合への出席に反対だったという。その様な考え方と、それに対してモンゴル勢の意見が割れていたこともこの事件の一因かもしれない。
その点について、野球界で活躍した長嶋一茂氏は、「真剣勝負で戦うことを前提に観客は相撲を見るのだから、その前に宴会を開いて仲良くしているのを知れば、相撲ファンは白けるだろう。プロ野球でも、シーズン中はそのようなことはしない。」と何処かで言っていた。https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20171117-00000045-dal-ent(このサイトは長島氏の発言を十分反映していないのですが、適当なのが見つからないので差し当たり引用します)

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