2017年12月22日金曜日

日本の不景気と問題点:日本は社会構造から変革を目指すべきである

1)先日、国債暴落から高インフレになる可能性を指摘した大前研一氏の意見と、それと真っ向から反対する上念司氏や三橋貴明氏の意見を比較した。https://blogs.yahoo.co.jp/mopyesr/43502877.html

多くの先進国では、経済のグローバル化により資本も仕事も発展途上国に流出する。そこで、政府が何も経済対策をしなければデフレ気味になる。企業の国内投資を促進すべく金融緩和が行われ、(補足1)その結果の円安で国内企業の競争力も高まり、日本製品の国際競争力が維持されて雇用が守られた。それでも、賃金上昇に至らないのは、同時に行われた非正規雇用の増大などの原因となった規制緩和の影響である。

労働市場の規制緩和も金融緩和も、そして、法人税減税も、全て企業競争力をつけさせるための政策である。最近は企業業績はかなり良いものの、労働賃金がなかなか上昇しないことで、世の中には不況風が依然吹いている。その原因の一つに、金融資産を多くもっている壮年及び老年層に将来不安があり、金を使わないので需要が伸びないという事情がある。(補足2)

上記のように設備投資や起業を非常に行いやすい環境にありながら、大企業も中小企業もその動きが貧弱なことは問題である。その一方、不正検査や不正会計など、ごまかしで当座の私的利益を守ろうとしているのも問題である。それらを総合して、日本の企業などの指導層に大胆な発想も、緻密な思考もないとしたら、それが日本の最も大きな問題である。

増税に関しては、今は時期ではないと思う。また同時に期待される財政拡大は、そのままGDPの増加になるが、現在の経済環境でその波及効果(乗数効果)に期待できるかどうかが問題だろう。また、通常のインフラ整備ならともかく、大震災に備えるタイプの財政拡大は、将来へ禍根を残すと思う。

何故なら、地震は日本国土全ての問題であり、ロバート・ゲラー博士の言う通り予知不可能だからである。最近の大地震を見ても、可能性が高いと考えられてきた場所以外で全て起こっている。それに、政府のその種の投資は、偏った富の分配に終わるのが、日本のこれまでの姿だろう。内閣の中にあまり経済のことがわかっていない土木屋(SF)がいる。千島海溝地震のことを言い出したのは、そのような人たちの企みではないかと疑う。https://www3.nhk.or.jp/news/html/20171219/k10011263721000.html

日本は、鉄鉱石やアルミ(ボーキサイト)等の資源(0%)、エネルギー(10%以下)、食料を外国に頼っている。最も自給率の高い食料でも、自給率は40%程度である。その国が何で食っているかを考えるべきである。日本は海外との経済交流で稼ぐ以外に食っていく道はなく日本製品の国際競争力の低下の深刻度は、多くの先進国と比較にならない。

安易な財政拡大で、当面の貯蓄を食いつぶす政策を訴える人たちは、無責任である。日本の健全な財政(財務省は不健全だと宣伝しているが)、海外債権を世界から積み上げた健全な国家全体の財務体質は、日本に残された時間と考えるべきだと思う。

2)日本には根本的な問題が残されている。それは、日本は国際社会で生きなければならないにも拘らず、自分自身を知る作業を十分行なっていないことである。日本文化の特殊性は、日本にとって長所なのか短所なのか、日本で指導的立場にある人のほとんどは、さっぱり理解していない。例えば日本には、公(パブリックな)空間がほとんど無く、公私の区別さえ未だに明確でない。それは日本の長所なのか、短所なのか?(補足3)

日本は法治国家と言えず、徳治国家的である。労働市場の問題とも絡むが、個人のあり方、個人に対する人物評価も日本は独特である。それは、高度に発達した社会構造にどのような影響を及ぼしているのか、政治や経済制度にどう影響しているのか。日本は今、経済改革の時期だと考える向きは多いが、文化と社会の改革時期だと考えるべきではないのか。

日本企業のトップに位置する人たち、日本政府のトップに位置する人たち、日本の官庁や地方行政のトップに位置する人たち、彼らは最適な人材なのか?少なくとも、明治以降の悲惨な歴史を見ると、リーダーの選出や組織のあり方が、世界を舞台にする以上、最善からは遠いのではないかと思う。

世界標準が最良だとは思わないないが、この地球上で生きて行く為には、社会のあり方についての考え方やその制度を世界の標準に適応させる努力はやはり必要ではないのか。そして、その変更した社会に適合した人材を配布する方法、そのための教育制度などの改革なども必要ではないのか。

この問題はあまりにも大きくて、筆者も十分考えている訳ではないし、考えがまとまったとしてもここに書けないだろう。そこで、一つだけ例をあげたい。それは最近問題になっている相撲取りが起こした暴行事件とその波紋である。それは日本の上記因子を考える大きなヒントになると思う。

3)この件は、西欧的見地に立てば、ほとんどプライベートな事件に見えるだろう。業務で地方に出向いていたとは言え、時間帯は自由時間内であり、スター選手が起こした事件ではあるが、単なる暴行事件である。刑事事件として鳥取県警が捜査し、検察から裁判所に捜査結果が送られて、犯人が処罰される。それだけでほとんど全ての手続きが終わる筈である。

しかし、何故かその犯人の所属部門(相撲部屋)の長が、相撲協会という法人の理事職を引責辞任しなければならないのである。つまり、日馬富士の起こした暴行犯罪は、日本文化と社会のルールに照らした場合、その部屋のトップも共犯なのである。ただ、法体系が西欧式であるため、国家により罰せられるのは日馬富士だけである。つまり、日本社会は西欧的な法体系によって組まれた国家体制に馴染んでいないのである。

その事件の真相報告とやらを、何故労働者を纏めて地方へ引率する責任者が、警察への連絡よりも優先して、その法人の長に連絡しなければならないのか? 連絡を怠ったのが原因で、何故責任追求されているのか? これらの現象を深く考えると、相撲協会は日本列島内の小さな独立国的な組織であることがわかる。つまり、日本のあらゆる組織は部分的に、西欧的な日本国家から独立しているのである。(補足4)

相撲取りの中で、横綱というポジションにある人は、品格及び技量ともに優秀で、優秀な取り組み成績を納めなければならないという。相撲がスポーツだと思っていては、この品格という言葉がでてくる理由は理解不能である。表向きの意味は、横綱は人格が優れていて、相撲の取り口に優雅さがなければならないということらしい。それは相撲のルールにはなく、相撲協会の希望というか要求を横綱に述べただけように見えるが、その希望に十分配慮しない力士は、横綱と言えども手痛い仕打ちを受ける。

相撲のルールそのものは、相手の顔面を手で叩いたり、足を蹴ったりするのも許される。猫騙しというふざけた取り口もルール上は許される。しかし、横綱はこれらの技を掛けるのはルールでは問題ないが、品格上問題だという。単純明快を欲する人間には、訳がわからない。

実際には、大関というポジションで2回連続優勝すれば、自動的に横綱になれるのだが、横綱になれば品格技量ともに抜群でなければならない。横綱はその力士が獲得する地位ではなく、その力士が演じるべき配役なのだ。 そして、横綱は品格・技量ともに優れているのは、その配役の脚本に書かれているのであり、その力士個人の性格ではない。

4)この国では何かで抜群に優秀な結果を残せば、全人格的に高い評価を獲得する。より正確には、獲得するのではなく期待されるのである。期待に背けば、仕打ちが非常に厳しいので、期待されるという西洋語を翻訳したような表現は、本当は適切ではない。

その証拠の一つだが、オリンピックで金メダルをとれば、国会議員となる資格も得られ、場合によっては大臣級ポストまで手に入れることができる。そして、単なる刑法犯罪を受けて、相撲協会に指導とやらをすることもできるのである。

新聞記事によれば:
"日本相撲協会が元横綱日馬富士関の暴行事件で関係者の処分を決定したことを受け、スポーツ庁の鈴木大地長官は21日、「暴力根絶に向けた厳しい処分。協会の姿勢が表れた処分になったのではないか」と述べ、対応に理解を示した" と報じられている。(補足5)https://www.nikkansports.com/battle/sumo/news/201712210000384.html

鈴木長官も、金メダルをとり、代議士になった。しかし、そのポストは獲得したのではないし、授与されたのでも無い。その役柄を演じる運命になったのである。(補足6)彼は、「周囲の空気」にその役割を演じられるだろうと期待されたのだろう。彼はその地位で、独自の仕事をするのではなく、その地位に備わった脚本通りに振る舞う義務を負うのである。その期待を背負えなければ、自分から辞任しなければならない。それが日本の掟なのだろう。

このような法人と政府のトップクラスでの人材のあり方が、まさか、国際的環境で生きている大企業の中には無いと思いたいが、日本の中にそのような不連続な人材&文化前線があるとは思えない。習近平とキッシンジャーの日本評を、日本国民はもう少し真面目に受け取った方が良い。http://www.mag2.com/p/news/252419

尚、筆者には、この記事もかなり背伸びして書いているという自覚があります。遠慮なく、張り手、カチ上げを見舞ってください。 
(15:00編集;補足6は12/23am7:30追加)

補足

1)グローバル化の世界の流れに単独で逆らえば、そして、大幅な金融緩和や労働市場の規制緩和をしなければ、企業の国際競争力が失われ、本格的な不景気になる。
2)壮年、老年層の不安は、経済発展とそれによる家族制度の変質が原因である。日本社会では、個人は自立していないので、個人と個人の私的ネットワークがあまり形成されない。それが、産業の成長による人口移動と家族制度の一部崩壊により、要介護状態になった時の不安を高めているのだろう。
3)日本では会社に就職すると、そこの会社員になる。ただし、24時間365日そこの会社員である。退社後の時間は、法的にはプライベートな時間であるが、文化的には退社後も会社員である。
4)つまり、日本のあらゆる組織に所属する人間は、24時間その組織の人間である。ある組織の人間が起こした犯罪や事件などは、かなりの部分、その組織の責任となる。
5)鈴木長官殿、暴力根絶なんて可能ですか?冗談はよしてくださいと言いたい。
6)何かを獲得するのは個人であり、何かが授与されるのは個人に対してである。個人が明確でない社会では、地位は個人が獲得したり個人に授与されたりする対象ではない。従って組織では、その地位が仕事をしているのであり、個人が仕事をしているのではない。地位は組織に属し、その地位にある人が犯罪を起こした場合、個人の処罰を国家が、その地位の処分はその組織が行う。今回の場合、横綱という地位は相撲部屋の長の下にあり、24時間365日その関係は継続する。

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