2017年12月28日木曜日

日本国は背骨の無い軟体動物である:貴ノ岩暴行事件をプローブ(検針)にして見た日本

1)「日本国は日本国民一人一人が支えている」と言えば、恐らく殆どの人が同意するだろう。しかし、日本国を支えているとの自覚は日本人にはあまり無いだろう。それが、貴ノ岩暴行事件に対する多くの人の反応を観ての感想である。

日本国を、一つの細胞にたとえると、壁に囲まれた色んな組織が見えるだろう。その壁の強さに順番があり、それを知ることが小学校以来教えられている「社会科」の最も基本的なテーマである。しかし、日本国民の殆どがそれを学んでいない。

日本国は、国民つまり個人により構成されている。その背景には、国土や歴史などがある。その個人は独立しており、他人が入り込めない領域を持つ。今用いている喩え話では、その個人を壁に囲まれた侵すことのできない領域を持つ存在と見ているのである。

近代国家では、その個人という領域が国内において外から明確に見え無ければならない。そして、その次に強い壁として、国家を取り囲む壁が存在する。これら二つの存在は、相互依存的である。国民の居ない国家はないが、国家無くしては個人の生存は危ういからである。国家を細胞に喩えたのは、それが世界における生存の基本的単位だからである。

勿論、個人は移民などとなって異なる国家を構成することもあるが、その場合はその新しい国家なくしては、その個人の存在は危ういのである。

その次に目立つ壁に囲まれた存在は、個人と同様、親族である。親族がそのように国家により認められているのは、互いの協力が国家の成立と安定に寄与するからである。親族の壁の中に手をいれる場合、国家の力も遠慮すべき場面がある。(補足1)

更に、もう少し弱い壁でつくられた色んな組織がある。法的人格が認められた存在の「法人」の壁も見える筈である。更に、法的人格は無いが、開放的或いは閉鎖的な個人が結びついた色んな組織がある。(補足2)

日本相撲協会は、その法人の一つである。相撲協会の人たちは、自分達の組織を「内部」と意識しているかもしれないが、それは国家あっての組織であり、国家の法の執行が当然優先される。法人は個人のあつまりであるが、その個人間には明確なすき間或いは空間がなければならない。その空間は国家の空気(つまり法秩序)が満たしている。(補足3)その部分を、公(おおやけ)という言葉で表現することもできるだろう。

今回の事件は、法人の壁の外で行われた私的犯罪である。貴乃花親方のすべきことは、相撲協会が如何なる取り決めをしていても、国家の組織である警察に連絡することであり、その捜査に協力することである。その結果、法人の業務に支障が出ると考えられるのなら、その事実について法人が知らされていないのなら、何らかの手段で報告する義務があるだろう。

しかし、その義務を果すことが、警察の捜査を妨害する可能性があると常識的に考えられれば、その義務違反で貴乃花親方が処分される理由はない。その常識として、「犯罪捜査は、犯行現場にいた人たちが互いに連絡を取り合うことを嫌う。そこで、捜査当局は関係者の夫々を隔離する」などが考えられる。

犯行の現場に最も近い相撲協会の担当理事が、そのように判断して事件の報告を直接理事長にせず、警察を経由して知らせたのなら、それは正しい判断である。

今朝の「とくダネ!」を観ていたが、元検事以外の人たちは、全く上記社会科の基礎がわかっていなかった。貴乃花親方処分はすべきでないという人はいたが、それも「犯罪を切掛として、貴乃花親方の協会内規違反が生じたのだから、処分すべきでない」というものであった。

2)因みに、①個人が国家に優先するただ一つの存在であり、そしてその個人が国家を支えていることを、日本人は意識していない。また、②国家が個人以外のあらゆる組織に優先することを、日本人は理解していない。更に、③国民が支える国家以外の強い壁は、その外には全くないということも理解していない。つまり、世界は国家と国家が互いの利益を追求する野生の世界であることを理解していないのである。

①や②は、③を原因としている。その原因は、ヨーロッパのように、国家間での悲惨な戦争を繰り返して、その結果、主権国家という概念に到達したという歴史を日本は持たないことである。この主権国家から、市民が支える国民国家になり、奴隷解放から民主国家になったのである。そして、民主国家の基本は個人主義である。

この個人主義や国民国家という考えは、西欧の伝統の中から生じたのだろうが、それを取り入れる決断を日本国が明治の時代にした。それは、日本国が独自に決断したと言って良いと思う。明治維新については、英国の企みであると言う人も多いだろう。しかし、それでも、その後の日本国の運命は日本国が背負うのであるから、外国の力と知恵を利用して、日本国が独自に成し遂げたと考えるべきであり、その覚悟を持つべきである。

それを、日本国は2,600年前から連続して存在するという風に考えようとするから、「明治維新という過ち」という解釈が出てくるのである。

(編集:17時20分) 補足:
1)親族間が庇い合うことを、国家もおおめに見る。例えば、犯人隠匿や証拠隠滅の罪は、親族の犯罪においては罰せられない場合もある。(刑法105条)
2)閉鎖的な組織として、高校の同窓会や米国の「ドクロと骨」のような組織がある。開放的な組織として、俳句の会や短歌の会などもある。
3)国内から個人の壁が明確に見えなければならないと上に書いた。換言すれば、国家以外の組織から個人が自立していることが、近代国家成立の要諦である。この個人間の空間から公を排除する組織がある。それらは、ヤクザであり、テロ組織である。相撲協会がヤクザ的組織になってはならない。

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