2018年1月25日木曜日

西部邁さんの安倍批判は非現実的

今月21日に評論家の西部邁氏が多摩川に身を投げて死亡した。最近、チャネル桜などでしばしば、氏の話を聞いていたのでやっぱりと思った。「相当痛みがキツかったのだろうか」とか「精一杯生きて、日本の政治やマスコミの批判などやって欲しかった」という思いも同時に心の中に生じた。

1)ここで、西部氏と村本大輔という芸能人との対談で、西部氏が話した内容について批判しようと思う。死した後も議論をふっかけられるというのも、西部さんなら嫌な気がしないように思う。この対談、西部氏は相当楽しんだようで、予定をだいぶ超えて3時間に及んだと何処かに書いてあった。 https://dot.asahi.com/aera/2017121300053.html?page=4

その議論のなかで、村本は「芸人はもともとオオカミ。でも、途中から犬になるのです。最初は絶滅したオオカミのように魅力的なところがあったのに、テレビに出だすと首輪をした犬になってしまう。」と言った。

それに対して西部氏は、「インテリも同じ。自分の昔の原稿を読むとオオカミとして書いている。それがわずかと思うけど少しずつおとなしくなっている。ワンワンに読んでもらうためにね。」と答えた。

村本氏の芸能人についての言葉は、2-3年前のピース又吉による芥川賞受賞作の「火花」のなかで、漫才師「徳永」の姿勢として描写されているので、意外性は全くない。http://rcbyspinmanipulation.blogspot.jp/2015/08/blog-post_18.html

西部氏の言葉の前半も「インテリ」の定義によるが、「インテリ=学者」と考えるのなら、その通りだろう。(補足1)しかし、後半の言葉は無知蒙昧の大衆の対義語としてインテリを用いているのだろう。西部氏の持つ優越意識、大衆蔑視、劣等感の混合から生じた言葉に聞こえる。本を購入してくれた読者を馬鹿にしたことばである。又吉氏の小説では、漫才師徳永は自分の漫才と大衆受けする漫才の間で苦しんだが、学者と大衆の間で苦しむ姿は西部氏の言葉の中には無い。

なお、学者が論文を書く場合、仲間或いは同業者を対象に書き、同業者の審査を経て学会誌に掲載される。あくまで仲間を対象に文章(理系では実験をした上で)を書くのが学者の仕事であり、それは専門書の場合も同様である。上記のような言葉は口から出ない筈である。それが啓蒙書でも、将来仲間になり得る若い人を対象に書くのだから、そのような言葉はあり得ない。

人を狼型と犬型の二種類に分けて、犬(大衆)用に本を書いたというのなら、それは芸の世界と同じであり、決して客を犬呼ばわりしてはいけない。そしてその金儲け(芸人なら入場料)が目的の行為を、学者たる自分が恥じて居るのなら、普通の学者連中がそうであるように、黙っているだろう。それでも犬用に書いたというのなら、単に目立つようにベンツの高級モデルを下町にある自宅の前に路上駐車させるのと同じ類の行為だろう。

2)西部氏は以前、「60年安保闘争のとき安保反対を叫んでいたが、学生たちは安保条約をまともに読んでいなかった」と言っておられた。出典を示せないのは残念だが、非常に印象的だったので明確に頭の中に叩き込まれている。あれは、感覚的反米闘争であり、現実的闘争ではなかったと思う。

岸政権の安保改定は、少なくとも条約の改善であった。また、当時米国支配の中から抜け出ることは不可能であり、もしそれをクーデターでも起こして実行したのなら、日本国により多くの悲劇をもたらしたと思う。

西部氏は、村本氏との対談で安倍総理と安保法制について以下のように語っている。
安倍さんとは彼が最初に総理を辞めた後、1年間研究会を開いて正しい保守についてレクチャーをしていました。そのうえで気に入らないことを言わせてもらえば、日米同盟の下で安保法制をつくったことです。
僕は安保法制自体には何の問題もないとの立場で、自衛隊が行く必要のある特殊事情があるなら、地球の裏側でも行け、鉄砲も撃てと思う。だけど、それを米国のような国とやるな。米国は北朝鮮の核武装はけしからんと言っておいて、自分たちの友好国のイスラエルなどには、どんどんやれと言っているような国です。


安倍さんにレクチャーしたことを述べた上で、「気に入らないことを言わせて貰えば」というのは、先生が生徒の習熟度に関して採点するという趣旨で使っているのだろう。それは、上記の狼と犬を持ち出した発言を思い出させる。その様な形で安倍政権の政治を批判するのは、間接的だが安倍総理を選んだ国民に対して失礼だと思う。

西辺氏の米国に関する記述はその通りだと思うし、それは伊藤貫氏を招いての議論でも、下記の講演などでも明らかである。https://www.youtube.com/watch?v=_5uUlM_w0_4&t=3s 尚、その他の伊藤貫氏の講演も非常に勉強になる。(補足2)

憲法改正及び集団的自衛権を持つことは、独立して普通の国になる第一歩であるので、保守系の政治家なら誰もが考えることだろう。そして、そのような第一歩がようやく安倍政権になって踏み出せる可能性が出て来たように思う。岸信介総理の時代には、そして、その後の池田、佐藤、中曽根など保守本流の長期政権でも為し得なかったことである。現実問題として、他のだれがそれを実行出来るのか?

真の保守とは、現実主義でなくてはならないと思うのだが、保守を看板にする西部氏の上記言葉は、単に理想論を述べただけで現実性がない。例えば、「総理候補の岸田氏や石破氏ならこのように外交ができるから、安倍総理の間の憲法改正などには反対だ」というのならわかる。しかし、思想家西部氏の考えは、安倍総理は理想の総理からかけ離れているので、安倍総理の下での集団的自衛権法制化には反対だったと言っているように聞こえる。

しかし、日本国は、米国、中国、ロシアに囲まれて、どこかと同盟関係を結んで生きる道を選ぶ以外に道はない。(補足3)その3カ国の中で同盟国として選ぶ場合には、米国が依然として選択肢のトップにある。その上で、中国やロシアとの友好の道も、将来の同盟も視野に入れつつ考えるのが政治家の使命であり、それを安倍政権は行っていると思う。それも国民のバックアップがあってこそ可能なことである。石破氏や岸田氏では、そのようなバックアップはないだろう。何故なら、政治家と政治屋は狼と犬の関係にあるからだ。

補足:
1)インテリとは知識階級のことであり、対義語は大衆である。
2)慶応大学で行われた昨年の講演などでは、米国の現状とトランプ政権との関係が良く分かる。https://www.youtube.com/watch?v=Y_oD0ZWfWz4&t=4225s
3)伊藤貫氏は講演で、近代西欧はウエストファリア体制を維持してきた。その根本は、独立国は互いの内政には介入しないで節度を保とうと言う考えであると説明している。現在、米国、ロシア、中国、ヨーロッパ、インドの5大政治勢力があり、米国一極集中していた世界の覇権が、この5グループに移りつつある。そのなかで、どこかと同盟関係を築く方向で、日本は将来の安定した位置を探るのである。それは、毛沢東が自宅に田中角栄を招いた際に言ったことと同じである。その時インドは眼中になかったかもしれないが。

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