2018年3月19日月曜日

法治主義の欠陥に気づくべき:森友問題の行く末は?

1)法治主義(補足1)を背景に統治を行う国家が、法治国家である。国家の構成員とその構造、機能、構成員間の関係、及びそのあり方などについての全てを法律で定め、それに基づき国家を統治する。一方、統治者の徳で国を治めるのが徳治国家である。西欧の近代国家は前者であり、昔の中国や日本など東アジアの儒教国家は後者であったとされる。

東アジアも、産業革命をいち早く成し遂げた西欧諸国の法治主義を模倣して、現在は法治国家らしくなっている。しかし、東アジア諸国では徳治主義の残像が残っている。森友問題などは、法治主義と徳治主義の混在がその原因の一つなのだろう。「徳治思想を残像として葬り去って良いのだろうか?」が、今日の主題である。

海外で森友問題は「アベゲート」と呼ばれ、日本よりも事件性が強調されている。日本では安倍総理を守るべきとの主張も強いが、「厳格な法治主義者」を演じる野党の言葉の方が生き生きとしている。それは亡国のシナリオの可能性が高い。(補足2)

そのように考えた時、私の脳裏に「法治主義は万能なのか?」という疑問が湧く。東アジア文化圏に生きているので、答えはすぐ「NO」と出る。そして、「法治主義を万能と考える政治システムの欠陥に苦しんでいるのが、世界の実相ではないのか?」という疑問が新たに湧く。

2)人間は機械ではない。それと同様に、人間が作る社会も機械ではない。それを機械のように考えて社会を統治しようというのが法治主義である。「主義」であるからイデオロギー(理想論)であり、頭の硬い連中がハマり易いドツボのようなものである。機械の歯車はルールつまり法によって規則正しく動くが、社会を構成する人間は歯車ではなく、ルールに従うとは限らない。法治主義を厳格に追求すると、人は生きる空間を失う。(補足3)

「悪法も法なり」と毒杯を仰いだソクラテスは正しかったのか?おそらく古代ギリシャでは正しかったのだろうが、現在の世界では正しくないだろう。ここで言いたいのは「悪法」と「善法」があったとしても、それは状況により異なるということである。

社会の大多数の人間と子孫にとって幸せとなるように、法は制定されなければならない。そして、その判断は漠然とした概念ではあるが「徳」によってなされるべきである。つまり、優れた知性が徳で判断して書いた法により統治するのが、さしあたり善い法だろう。我々人間はそのような言葉にできない存在であり、その人間が社会をつくって生きていることを知るべきである。

その知性に欠けているのが、野党の連中である。野党構成員の多くは元社会主義者であり、良いルールを定めれば楽園ができるという思想に縛られた「楽天主義者」である。その「楽天」は、悲惨な結末に至るまで脳を支配する薬物のように作用することは、既にベルリンの壁崩壊以後の歴史が証明している。

法は言葉にしたルールであり、言葉にした瞬間に何か大事なものを失う。徳とか善とかいう漠然の中に、人は生きて居る。そのような面を、西欧一神教の世界は失って居る。

3)西欧社会の原点に聖書がある。何度も引用するのだが、ヨハネによる福音書の冒頭に「はじめに言葉があった。言葉は神とともにあった。言葉は神であった。この方ははじめに神とともにおられた。全てのものはこれによってできた。」とある。

ここで言葉とは「ロゴス」でありキリストのことであると協会の方々は言う。Logosはギリシャ語で概念、思想、理由などを意味し、論理(logic)と語源を共有する。素人っぽい漠然とした感覚だが、法(legislation)も同じ語源だろう。つまり、神のこの世界の設計書を言葉にしたのが、西欧社会の法に対する感覚だと思う。

その思想は、「人間は精巧にできた機械であるという考えから、それが作る社会も機械であり、それは一定のルールで動かなければならない。何か異常があればそれを直すのが、法である」という法治主義に至るのである。

人は当然、神の言葉に従わなければならない。神の言葉に従わないものは人ではない。そこに西欧文化の恐ろしさがある。神の言葉が、何時の間にか自分たちがつくった法に入れ替わっているとしたら、法治主義の行き着く先は何か?

機械論は科学として自然現象の解明方法として取り入れられ、大きな成果を得た。それを元に、西欧は産業革命を成し遂げ、蒸気船から原爆まで開発して世界を制覇した。今、立ち止まって考えるべきである。人は機械なのか、人間社会は機械なのかと。

中途半端だが、今日はここで終わる。(補足4)

補足:
1)この知恵、或いは政治文化は、ヨーロッパで生じた。その背景にあるのが、一神教であると思う。韓非子などで知られる中国の法家も法治主義を説いたというが、それは現在まで継続していない。
2)法で国家を治めるには、権威と権力、そして、権力に付随した行政力がなければならない。権力だけで、恐怖政治的に法を適用したのでは、治めるということにはならないと思う。おそらく地検特捜部がリークした情報により深刻化した政権は、佐川氏の説明次第ではさらに追い込まれる可能性もある。https://news.yahoo.co.jp/pickup/6275454
なお、「地検特捜部の前身は”隠匿退蔵物資事件捜査部”であり、それは米軍占領下で日本の何処かに隠された資産を探し出すために米国により創設された。この部署は検察庁法にも明確な規定されない隠れ組織であり、徹底的にワシントンの利益のためにつくられた組織である」という指摘がある。勿論、事件の解明と法による処罰をするのは当然としても、日本国民はこの問題と政治の問題を考えるべきだろう。 http://www.mag2.com/p/money/410045/4?l=usr08bcbff
3)自動車の制限速度が道路ごと場所ごとに決められている。それを厳格に守れば、不自然な運転となるだろう。また、信号が黄色になれば交差点に入ることは禁止され、交差点に居る車は交差点から出なければならない。しかし、信号を見てその判断をするのは生身の人間である。黄色に変わった瞬間にブレーキを掛けて交差点直前で止まれば、間違いなく追突されるだろう。本当は、「黄色になってから零点何秒後かには、交差点に入ってはならない」に改めるべきだろう。しかし、その秒数は年齢や人によりことなる。それらを考えて、幾分曖昧にルールを適用している。その曖昧さが、人に生きる空間を与える。
4)私は、昨日まで持論の法治思想から、今朝突然徳治思想に鞍替えした格好になって居る。しかしその議論を中途半端(曖昧)にして、後に残して一応ここで終わる。

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