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2018年5月12日土曜日

パブリックとプライベートの峻別でセクハラは減少する

以下、昨日の続きです。別角度から考えてみました。

1)西欧の政治文化の特徴は、パブリックとプライベートの峻別だと思う。パブリックな空間を支配するのは法、真実、論理であり、プライベートな空間を支配するのは、情と利益である。

前回のブログで明確に言えなかったのだが、最近の日本のセクハラ騒動の根底に、この国の文化におけるパブリックとプライベートの混在、或いは、パブリック空間での行動に不慣れな日本人の文化があると思う。それをより顕在化させた背景には、近代経済による社会変化、特に女性がパブリック空間で活動することが多くなったことがある。

パブリックな空間を意識することは、大人として行動することの中で教育されるのが普通である。しかし、その大人の世界に出ても、日本人は人と人との関係を深める方法として、プライベートな空間を共有する形の付き合いを多く使う。

その典型例は、会社帰りの飲み会などである。勿論、食事を共にするという方法で人間関係を深めるというのは、西欧でも主要な方法の一つだろう。ただ、一定の作法などにより食事会と言ってもパブリックな空間を互いに意識する範囲に置かれているのではないだろうか。日本の飲み会では、むしろ敢えて作法無視することがルールの様である。

セクハラが頻発する背景には、そのような日本人社会の文化もあると思うのである。

2)日本社会は、パブリックとプライベートの区別が不得意だとすると、その影響は主にプライベートな空間、例えば家庭などにも及んでいるのではないだろうか。つまり、我々日本人はパブリックとプライベートの間を自分の意志で移動する、所謂大人としての行動様式を失いかけている可能性がある。(補足1)

つまり、いささか言いにくいのだが、日本人は西欧の物差しで測ったとき、大人になり切っていないのではないだろうか。(補足2)

その典型例として、以前のブログで人気テレビ番組「鶴瓶の家族に乾杯」を取り上げたことがある。日本の田舎を巡って番組を作るのだが、一度カナダかどこか外国で同じ調子の番組を作ろうとして失敗したのを見たことがある。そこでは、大きな60代位の男性に鶴瓶師匠が子供扱いされ、話が通じなかったのである。(補足3)

鶴瓶師匠の親しみある人柄と巧みな会話術は、互いの個人の壁を取り除いて、まるで子供時代からの友達のような雰囲気(空気)を短時間に醸成するのである。しかし、それは容易に子供時代の付き合いに戻ることのできる日本に限られるのではないだろうか。個人の壁が明確に出来上がっている欧米では通用しないのだ。”そのように記事に書いた。  https://blogs.yahoo.co.jp/mopyesr/42895338.html

鶴瓶師匠の田舎探訪は、プライベートな付き合いに田舎の人々を誘い込むことで、成立している。そのような会話法が、信頼できる人間関係醸成の方法であると日本では考えられていると思う。パブリックな空間での対人関係の基本は、言葉と論理で、利益を共有する付き合いでなければならない。そこにプライベートな関係構築を持ち込むのは、調味料程度にすべきなのだろう。

子供的な、肌と肌の付き合いを、人間関係を深める基本的手法と考える日本文化は、そのままセクハラを生む土壌である。そのように考えると、財務省次官の問題となった場面での言葉を少し変形すれば、母親と子供の光景を想像させる。以上、昨今の日本にセクハラ疑惑が多い原因として指摘したい。(補足4)

3)話が飛びすぎると感じる向きも多いだろうが、日本の晩婚化と少子化も、上記日本社会の変化と関係があると思う。雇用形態が終身雇用の年功序列制から変化したことも関係あるのだが、それには今回は触れない。

昭和初期までの時代には、地域共同体の中で適当と思われる相手を探し出して、一緒にさせるという結婚が多かった。共同体は、情の支配という点で、ここで言うプライベートな部分を多く持つ空間である。そのような社会では、若者の間に、例えば映画「太陽がいっぱい」の中でのような、女性を獲得するという男性の戦いはないだろう。(中年のドロドロとした事件はあるだろうが。)

そのような地域共同体は、近代工業化社会の出現により一部に残っていても形骸化しつつある。パブリックな空間の比重が増した現在の都市型日本社会の中で、男女が互いの配偶者を独力で探し出す文化が発生し定着するまでには至っていないのである。

晩婚化や少子化の背景にヒト固有の要因も在る。動物のオスには、タンチョウ鶴の優雅なダンスや、ライオンの激しい戦いなど、かなり厳しい成獣になる為の関門がある。一方、人間の男性には、一夫一婦制が敷かれると同時に、動物が持つ異性獲得の厳しい戦いは、社会での地位とか経済力などにおける間接的な競争はあるものの、消滅していると思う。

それに加えて、日本など徴兵制など通過儀礼的なものが、男性にはない。唯一就職という関門があるようだが、経済発展により生き残る上での戦いの場面も、あまりない。そのような環境で、世の男性達は精神的な部分において、益々小児化する傾向にあるのではないだろうか。それが少子化晩婚化の理由であり、先進国での人口減少の一つの原因のように思う。

補足:

1)社会学にゲマインシャフトとゲゼルシャフトという言葉がある。主に情で成り立つ共同体が前者で、利益を共有する機能体(機能社会)が後者である。ここで言うパブリックな空間というのは、ゲゼルシャフトの意味ではない。それら両方、つまり社会一般、における法(ルール)と論理の支配する部分を指す。念のため補足する。

2)マッカーサーの連合国司令長官を解任されたあとの議会証言でのことば、「日本人は未だ12歳である」を思い出す。

3)つまり相手にされなかったということである。翻訳は万全でも、言葉が通じない場面を始めてみたような気がした。その大きな白人男性は、子供同士の掛け合いのような鶴瓶師匠の調子に乗ってこなかったのである。

4)西欧のセクハラは、日本よりも件数は少ないのではないだろうか。しかし、より深刻なケースとして、摘発されるのではないかと思う。日本のケースでは、男性側で意識が薄弱なために起こるケースが多いと思うので、件数は多いのだが多くは灰色領域のものだろう。統計を取ったわけではないが、上記議論の延長から推測する。

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