2018年6月22日金曜日

文明発展の結果人間は再び野生化してヒトとなる

1)「文明」を広辞苑(第二版)で引くと、①文教が進んで人知の明らかなこと;②人知が進んで開けた世の中、特に生産手段の発達によって、生活水準が上がり、人権尊重と機会均等などの原則が認められているような社会とある。グーグル検索の結果も考慮すると、文明とは人の知識の増大と経済の発展により、個人が住みやすくなった社会の状態を意味する。(補足1)

それらを元に文明発展のプロセスを考えると、①「科学技術の発展」に伴い、②「生活水準の上昇」が起こる。また、それに伴って政治制度が、③「個人の独立性を尊重」する方向に変化するだろう。この「個人の独立性の尊重」は、広辞苑の記述にある“人権尊重と機会均等などの原則の尊重”を言い換えただけである。

しかし、この原因①、効果②、結果③の鎖が、螺旋を描く様に同じ方向(上昇という言葉が用いられる)に進んできたのは、世界大戦の時代位までかもしれないと思うのである。現在、その文明進展の方向が横向きから逆向きに変化し、あるいはこの螺旋構造が崩壊する傾向にあると考えるのである。

その理由であるが、この螺旋構造を上に向かわせるには全体として、人が人と協力する社会を形成することが必要であり、そのためには人と人の連携を善とする文化的裏付けが必須であり、その文化は人々が貧しい時代に作られたと考えるからである。つまり、人は「”貧困という酸素”の存在する“水”の中でしか、“人間”で在り得ないのではないか?」とおもう。(補足2)

人間とはホモ・サピエンスという生き物が、社会をつくり社会に調教されて出来上がった“人間文化の家畜”である。人間活動の“しんどい”部分を全て機械が負担するようになった現代、人は人の協力を得なければ生きられないという“しがらみ”から解放され、ホモ・サピエンスという野生の動物に戻りつつあるのではないか。つまり、社会も人の人工(artificial) から自然(natural)へ逆戻りするのである。(補足3)

2)個人の独立性を尊重するという文化の側面を考える。これに関する象徴的な出来事は、経済活動(文明)の発展により、家族内やコミュニティー内において人間関係と切り離せない形で存在した共同作業等の活動が、パブリックな経済空間に移動したことである。

家庭のレベルでは家事が、法人のサービスに置き換わることが可能となった。地域での交通手段や農作物の融通が、法人や公共団体のバスやタクシーサービス、コンビニなどの商サービスとなった。労働力を互いに融通する地域社会のシステム(例えば、結(ゆい)など)も、派遣労働力で行われるようになる。その結果、家庭や地域社会が崩壊の方向にあるのは当然の帰結である。

つまり、安易に「個人の独立性を尊重する」というが、その考えは家庭や地域社会という人間文化の基礎を解体するナイフともなり得るのである。そのナイフは人が人を支配する中世的暗黒の世界を砕く武器となっただろうが、それは人と人の関係の重要な部分も破壊する凶器ともなる。そのことを分かりやすく指摘したのはニーチェなのかもしれない。(補足4)

人間社会が豊かになった現代、生きるためには人同士の連携はそれほど必須と言えなくなりつつある。パソコンの前に座って仕事をし、その労働の対価でもって、アマゾンから配達されたサービスで生きることができる人も出てきている。人は、協力して文化を築き、それに基づいて社会を作って豊かになってきた。その豊かさは、個人の独立性を尊重する文化と、それが具現化された社会へと人を導いた。そこでは、「独立した人」という訳のわからない他人が闊歩しており、そのような人との協力は疲れるのである。(補足5)

竜頭蛇尾のような内容になったが、一応文章を閉じる。本来、野生化した人が増加した結果、社会や国家はどうなるのか?さらに、上記現象が大々的に国際政治にまで及んでいることなどを書くべきである。国際社会も人間的社会から野生的世界に変化しつつあるのではないかと思うからである。

補足:

1)グーグルで検索すると、“1。世の中が進み、精神的・物質的に生活が豊かである状態。2。特に「文化」と対立させて、技術や実用に重点がある、物質的な文化。”との説明(定義)がある。それらを参照して、本文の定義となった。
2)「ヒトにとって極度の貧困は命を失う原因だが、その中で育った動物のヒトは貧困に順応する方法として”人間”になった」と思う。丁度、酸素という危険なものを取り込んで生命が発達したのと似ているように思う。
3)Artificialなものを排斥する方向にある現代社会では、人間的な愛は崩壊して、他人は自分の利益のために存在するというタイプの自然の愛しか存在しなくなる。社会的善なる人と人の繋がりは、多くは人工的な人間愛(人工的な人間愛はエリックフロムのthe art of lovingを意識して用いた;6/23/5:00追加)により作られる。その結果、社会における人の繋がりは破壊の方向に進む。
4)この分野では全くの素人であるが、以下独断で書く。このナイフを世界にばら撒いたのは、一神教特にキリスト教である。教会は、人と人の繋がりを破壊し、神と人の繋がりを強固にしようとした。神が死んだとニーチェが“気付いた”時、当然今後キリスト教は社会を破壊するとの考えに到達する。「アンチクリスト」がニーチェのキリスト教に対するそのような評価を書いていると思う。
なお、「神は死んだ」は「神など存在しない」と同じではない。神は死んだのなら、その昔神は生きていた筈だからである。つまり、キリスト教も古代の王族の支配に対するアンチテーゼとして出てきたのなら、その時代には神は確かに生きていたのだろう。
5)“引きこもり”なども、この人間文化及びその反映としての社会の変化が引き起こした効果の一つである。「独立した個人」との付き合うのは益々”しんどく”なるので、病的にそれを忌避する人間が増加したのだろう。
なお、「神は死んだ」は「神など存在しない」は同じではない。神は死んだのなら、その昔神は生きていた筈だからである。つまり、キリスト教も暗黒の時代の支配者の論理のアンチテーゼとして出てきたのなら、その役割を果たす時代には神は確かに生きていた。

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