2018年7月7日土曜日

一連のオーム事件とその犯人達の死刑執行は、非常に悲しい出来事であった

ここで、本日書いた二つのブログ記事に追加をしたい。 このサリン事件など一連のオーム事件とその犯人とされる人物の死刑執行に対する私の考えは、一言で言えば非常に悲しい事件であったということである。その理由を以下に述べる。

1)自然界は楽園ではなく、あらゆる生命を生かせるほどには豊かではない。そのため、誕生後何億年という時間を生き続けるために、生命は貪欲にできている。或いは、貪欲な命のみが現在まで生き延びたと言っていいと思う。

ヒトも、その様な生命の中の一種である。世界中の歴史上の英雄の伝記を復習するまでもなく、例えば最近話題になった紀州のドンファンを見ても、ヒトが富と自由を与えられたら、それを欲望で埋め尽くしても尚足りない位に貪欲であることが分かるだろう。これは、それらのヒトに特有ではなく、全てのヒトに共通である。

その一方で、ヒトは肉体的に弱いという弱点を、社会という複雑な群れをつくることで埋め合わせて生きる動物である。知性の獲得で、高度な協力システム(社会)を作ることが可能となり、地に満ちるほど“繁殖”した生き物である。貪欲な本性と、互いに自分を抑えて協力するという社会のシステムとを、両立させることは人間の知性を以てしても簡単ではない。

その社会との関わりの中でヒトは、その中で協力するための感情(友情、愛情、思いやり、同情など)と、社会から恩恵を要求するための(=十分受けていないことを示す)感情(憎しみ、恨み、嫉み、虚栄心など)を併せ持つことになった。人間はそれらの感情と動物の本性としての貪欲さを、自分の知性を用いて制御する必要がある。(補足1)それに失敗した場合、社会人としては破滅の人生を送ることになるのである。

このほとんど矛盾と言える程度の心理と行動のコントロールを運命つけられているのが人間である。社会と人間は、極めて複雑な壊れやすい機械とその部品に似ている。

2)サリン事件の井上死刑囚などは、人間としての知性を得る前に、完全に歯車が狂い誤作動する大きな人の下に入ってしまったのだろう。彼らを死刑から救えなかったのは、人がその方法を未だ知らないからである。一連の事件で被害者になった方々は勿論、井上死刑囚なども、非常に悲惨で気の毒な人生であったと思う。その同じ境遇に陥ったなら、人のかなりの割合は同じ末路を歩んだだろう。

一方、人権派弁護士たちが主張するように、直接的にテロ実行犯を救えば、社会のルールを破壊することになる。テロはこの社会システムを受け入れて生きている全ての人間に対する戦争行為であり、それは即座に射殺されることを覚悟の上でなされたと解釈される。それは人が生きるために必須の社会を防衛するためである。

多くの人は、人生のある時点で記憶に鮮明に残るレベルの失敗をしているだろう。その失敗がなければ、自分の人生は今の不充分な状況から程遠い豊かなものだっただろうと思う人も多いだろう。しかし、その失敗は取り返しがつかないことである。「サリン事件の実行犯の多くは“単に洗脳されていたための犯罪であり、許すべきだ”」と主張することは、レベルは格段に違うが、その取り返しのつかないことを取り返せと言っているに等しい。

今後、日本も世界の多くの国のように、テロリズムに苦しむ時期がくるかもしれない。近隣国の政治的不安定さは、その危険性を示唆している。その時、本来人の良い賢い人達と命を掛けて敵対することになる。そのときのために、今回の事件は非常に参考になると思う。

尚、地下鉄にサリンを撒かれるまで、その団体を放置したのは、行政の大失敗である。それを誰も議論の俎上に載せないのは、この国がそのようなテロ行為に十分対策が取れていないということを示している。

3)「テロは犯罪か?」について

社会の閉塞感が極限に達したとき、或いは未曾有の困難に民族が遭遇したとき、その社会システムの延長上にその民族の未来が無いと思われるときが歴史上あっただろう。その時、その社会を破壊するテロが起こる可能性が高くなる。

その一つが成功して、新しい社会システムを作り、民族を消滅から救うこともあり得る。つまり、時と場合によりテロは民族を救うこともあり得る。先のブログで明治維新を引用したのは、薩長の下級武士が起こしたテロが明治維新となり、現在の日本を作ったと考える歴史を読む(書く)人がいるからである。

つまり、テロ行為は現在の体制の範囲を超えた行為であり、善悪という判断基準に馴染まないのである。(補足2)別の表現では、テロ行為は体制側から見れば極悪非道の犯罪であるが、テロが成功して新しい政治レジームができたとすれば、救世行為とみなされることになる。

尚、一連のオーム事件を政治テロではなく、単に体制内犯罪と見る人もいるだろう。その場合死刑廃止をして犯人たちを放免する文化を、我が国は受け入れることは出来ない。死刑廃止は、欺瞞を前提とした西欧文化という風に私には見える。例えば米国では、死刑廃止を叫びながら、交通違反を犯した黒人青年を、ピストルを所持していなかったにも拘わらず、警官が射殺する事件が多発している。そのような国家で、死刑廃止を叫ぶのは欺瞞である。

補足:
1)仏教では、生病老死を四苦と言い、愛別離苦、怨憎会苦、求不得苦、五陰盛苦をあわせて八苦というが、この後ろの4つの苦が人間特有の上記運命に相当する。
2)善悪は体制内の概念である。社会は人々が協力できるように一定のルールを作り、それを法とした。その社会と法を守る行動とその動機付けが道徳である。ある一つの善悪の体系が現在の社会システムに存在するとして、その善悪体系は社会のシステムが大きく変わる時間軸を超えて、或いはその社会がつくられている(現在では国家)枠を超えては、成立しない。

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