2013年8月1日木曜日

子供達の成長に携帯電話は有害である


 小学校6年生が自殺を図り、その原因に苛めを受けていたことの可能性があるとの報道があった。また、この10日程16歳の少女達が集団でリンチ殺人と死体遺棄事件を起こしたという報道が日本中を憂鬱にさせた。報道によると仲の良かった友人間のネットでの口論が出発点にあり、その後自首した犯人達には確固とした罪の意識がなかったということである。このような事件の報道を視聴すると、今の若い人たちの人間関係がガラスのように壊れやすく、しかし彼らはその人間関係に強く依存して生きていることが判る。何故このような情況になったのか?その原因或は誘因となって居る筈の、過去と現在の子供達の環境に関する違いは何なのかを考えてみた。
 大きな差の一つとして誰もが考えつくのが、携帯電話或はその最新型のスマートフォンを殆どの子供達(を含めて若者達)が持つ様になったことである。その結果、同世代の会話らしきものが瞬間的に仲間内で広がるようになり、未熟な同世代間の電話でのつぶやき(或はTwittering、つまりさえずり)が日常の人間関係の中で大きな部分を占め、それにより形成された同級生同学年の生徒間の平面的(或は層状)な人間関係が、大きな意味を持つ様になったのではないだろうか。親は常に必要なものを供給してくれる存在ではあるが、それを厳しい労働などにより得ていることを子供達が知る機会は少なく、その結果殆ど空気のような存在になっていると思う。その為、脆いがガラスの様に硬い層状の人間関係の中に入って、我が子との人間的接触を取り戻すことが困難な場合が多くなっているのではないだろうか。また、学校の先生たちも子供を指導するというよりは、問題を生じないことに神経のほとんどを使うはめに陥り、子供達の人間関係の外に存在している場合が多いのではと想像する。
 本来人は、幼少期より親を含めて回りの人間との接触により、自分を意識し、成長して独立した人格を持つ様になる。その機会を子供達から奪っているのが、上記のような環境と教育ではないだろうか? 従来、子供達であっても人間関係は3次元プラスアルファにわたって広がっていた筈である。同世代がつくる平面の人間関係の他に、子供達が成長し、且つ、社会の秩序を守るために必要な(親、祖父母、先生、近所の方々との)上下に広がる人間関係、そして、異質ではあるが、本の中で出会ったり、過去の人に学んだり、或は、聖典による神や仏との出会いなども一方的ではあるが、過去に広がる人間関係と言えなくもない。そのような子供達を育てる役割をしてきた人間関係が、上記平面的な人間関係に置き換わってきているとしたら深刻な問題である。この国に未来は無いと思う。早い段階から同世代間の二次元的人間関係の中にとじこもると、正統な言葉とその中に含まれた思想道徳等も学ばずに、子供達は大きくなってしまう。あの16歳のグループ間の会話として公開された言葉は、それを裏付けているように思う。解決法は差し当たり、十分な言葉を持たない若者に携帯を持たせないことであると思う。

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