2013年8月10日土曜日

敬語の愚

ドナルドキーンさんが司馬遼太郎さんに尋ねた。「おとうさん、おかあさんという言葉は何時頃できたのでしょうか?」司馬さんが答えた。「明治時代、文部省が決めたのです。」この話は、何処で読んだか忘れた。ひょっとして、書棚にある「日本人と日本文化(司馬遼太郎とドナルドキーンの対談)」にあるかもしれない。

明治時代に多くの単語が創られたことは知っていたが、お父さん、お母さんという基本的な人間関係を表す言葉まで明治政府製だとは知らなかった。1) 父上と母上という言葉はあっただろうが、その“上”という接尾語がつかない言葉が必要だと日本政府が思ったのだろう。

日本政府の試みは、少なくとも関西圏では成功していない。私をふくめ、関西人が「おとうさん」を用いることは少ない。私は子供の頃、父と母を呼ぶ際、地方の方言を用いていたが、その後、それらが幼児語的であることを知り使えなくなり、父と母を失う前に、父と母を呼ぶ言葉を失ってしまった。(補足1)こんなことを、外国の方に説明できるだろうか?

一般に、日本語は話をする相手と自分との上下関係が、名詞、動詞、接尾語などの選択を要求し、その結果文章全体が複雑に変化する。例えば、「言う」という動作を表す動詞では、話す、話される、仰る、仰せになる、言う、言われる、喋る、などと変化する。(注2) これらを臨機応変に選択できなければ流暢には喋れない。

何故このような複雑な敬語体系を必要とするのだろうか? それは、国内のあらゆる組織が共同体(ゲマインシャフト)的色彩を帯びている国だからであると思う。社会が色んな共同体で作られた国では、存在する上下関係は仕事上だけでなく、永続的である。従って、それに相応しい言葉を持たなければならない。仕事場での上司は私的なあつまりでも尊敬語の対象となる。このような情況は、おそらく儒教文化圏に共通なのだろう。

つまり、日本では“身分”で人間集団を多層状に分け、その間の情報交換を(言圧を弱める)敬語で制限して、「和」を保つ社会を完成した。そして、個人は分をわきまえ、所属する“層(身分)”での責任を果たすことで、共同体全体のパーフォーマンスを挙げるという社会である。 

上下方向に多くの層状構造で構成された社会では、人事なども常にその層を意識して行われ、入省何年後で課長といった適材適所とはかなり遠い基準が用いられている。(注3) 層状構造を持ち込むことで社会は安定化し、トラブルを避けることで活動度を上げるのであるから、その視点からは当然の人事基準である。(補足2)

結果としてそれほど有能なトップを選べないので、“つつがなく任期を全うする”ことを最善とする上司の下、激しい変化の過去(明治時代)に混乱の末に英傑により創られた前例を、ただ踏襲する“結果としての保守主義”が殆どの組織の特徴である。

特に、消滅の危機のない組織、例えば全国の地方公共団体や国立諸機関では、その傾向が著しい。ただ、変化すべき時にも舵を切れずに、益々情況を悪くするのはどこも同じである。そして、カタストロフィーが起こるのである。

その段階になると、その社会は英雄を必要とするが、それは全階層を見れば一人や二人必ず居るのである。その英雄は前例を破壊し、新しい共同体運営モデルをつくる。以前の前例もそのようにして創られたことを完全にその時代の社会は忘れているのである。

その後、2−3世代トップが交代して行く中で、創られた新しい前例を踏襲する何もしない保守主義が復活するのである。明治時代は変化の時代であった。そこで活躍した英雄達は、この複雑で風通しの悪い層状社会を改善(敢えてそう呼ぶ)することを考えたのだと思う。

そして、父上、母上に代表される上下でフランクな対話を妨げる言葉に代わって、おとうさん、おかあさんという言葉を創ったのだろう。母上、父上ということばはほぼ追放できたが、それに代わるものには「お母さん」「お父さん」はなっていない。

それは、「万機公論に決すべし」も同じ運命である。日本語の構造を変えること無しに、日本の社会構造など変えることはできない。依然として「和を以て、貴となす」が、日本国を縛っている。分を弁えて保つ和、対話でなく沈黙で保つ和に価値はないのに、である。

注釈)

1)私は理化学を専攻する専門バカの一人だったので、それまでは横目で文科系の学問を眺めていただけである。従って、素人としてこの種の文章を書くことになる。

2)助動詞「れる」「られる」が4種類(「受け身」「可能」「自発」「尊敬」)の意味を備える。

3)国会議院には政治的名家の子供が当然のように国会議員になる。能もないのにである。

補足:(2019/6/22編集時に追加;編集はhtml方式から通常に戻すことと2,3の語句の修正のみである)

1)父を「おとさん」、母を「おかちゃん」と呼んでいた。この記事をかいたのは2013年8月10日だが、その時には恥の感覚が強すぎて、この注釈が書けなかった。

2)このような人事では、他の国、他の文化圏との競争には非常に不利となる。

0 件のコメント:

コメントを投稿