2014年1月26日日曜日

キャロライン・ケネディ駐日大使の「イルカ漁は非人道的だ」という発言について

 数日前に、ケネディ大使が和歌山県太地町のイルカ漁について、”非人道的”という表現で反対の意向を示した。それに対して、 安倍首相を始め何人かの発言がネットに掲載された。 安倍総理は、「太地町のイルカ漁は古来続いている伝統文化の一つであり、またそれを生活のため続けていることを理解してほしい。」と述べ、更に「それぞれの地域には、それぞれ祖先から伝わる様々な慣習や文化がある。当然そうしたものは尊重されるべきと思う。また、同時に様々な批判があることも承知をしている」(要約)と発言した。

この安倍総理の発言は将に正論である。今日放送された、「そこまで言って委員会」においてもこの件が議論され、出席したコメンテーターは圧倒的に安倍首相の正論を支持する発言をしていた。一方、番組の中で津川氏は、日本でイルカを食べていることを知らなかったと発言していたのが、印象的だった。私も太地町は捕鯨で有名であることは知っていたが、イルカを食用に捕っていることを数年前まで知らなかった。つまり、捕鯨と異なり、イルカを食用にするという習慣は日本国内でも非常にローカルな慣習と言って良いと思う。(注1)

 このイルカを食べる文化であるが、米国の駐日大使の非人道的という批判が世界に報道され、日本文化に悪い印象を与えるのなら、もう少し慎重に対応を考えた方が良いと思う。権利義務に関して白黒つける場面なら、正論を主張するのは当然であるが、国際的な舞台での印象や好き嫌いの問題としてイルカ食を評価する場合、そして、それと関連して日本国の損得の問題として考える場合、計算式は異なるのである。私は、太地町の皆さんには別の漁で生計を立てて欲しいし、場合によっては、行政によって漁の自粛措置も考えるべきだと思う。もちろんそれに対する太地町の皆さんへの代償措置は考えるべきだと思う。

 日本国は戦後70年間に、豊かで平和な国として復興及び成長出来たのは、国際的な枠組みとルールの下で、経済活動を拡大してきた結果である。もちろん、このグローバル化した政治経済体制の中にあっても、ローカルな文化を出来るだけ許容することは、人種差別の解消と同じように国際的了解事項として定着している。しかし、それはエキゾチックという言葉で済まされる場合に限られると思う。動物園でみる愛らしい曲芸を見せるイルカを食する文化が、世界に広く知られるようになったなら、日本国と日本国民全体が、国際的に奇異な目で見られることになるだろう。

 2020年のオリンピックが東京に決定したのは、経済的政治的な面から開催能力が高く評価されたからだと思う。しかし、その招聘の為のプレゼンテーションは、日本や東京のイメージを高める様に外国の専門家を雇って企画された。国際的政治経済に於いても、そのようなイメージ戦略はこれから益々大切になると思う。原理原則を盾に、突っぱねる場面もあるだろうが、そのカードをイルカ漁に使うのは損であると思う。

注釈:
1)イルカもクジラの仲間であり、おそらく区別なく漁の対象になっていたのだろう。しかし、太地町以外の住人にとってはイルカは水族館でみる曲芸で馴染みの動物であり、巨大なクジラとの差は、ネコと虎の差に近いと思う。

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