2014年2月3日月曜日

歴史とは何か---岡田英弘著の同名の本を読んで

(以下に岡田英弘著の「歴史とは何か」の感想を書く。「である」口調で書いた文章は、著書からの理解を書いたものであり、現在正統と看做されている歴史として認識されているものとは限らない。)
 歴史は、「“政治的集団”(皇帝や王などに率いられた集団;国民国家など)を形成した人々の活動や様子について、各種資料から “真実”を抽出把握及び解釈して、因果関係と伴に、(世代を超えた)時間と(地図上の広い)空間という座標上に、叙述展開した思想である」と定義できる。(注1)世界中の出来事に関する記録を集めれば、単に記録の山が出来るだけである。その記録から“真実”と思われる出来事やその意味を取り出すには幅広い知性と訓練された技術が必要である。“真実”と定義したのは、その時の知性を集めて得た出来事とその意味であり、本当の意味での真実は誰にもわからないので“真実”と” “をつけた。従って、それらの因果関係と時間的地理的関係は、解釈する者やその立場により異なるので、歴史は科学ではなく文学である。(82頁)この文学であるとの理解があれば、他国の歴史に対して、歴史認識が正しいとか間違っているとかの批判は本来あり得ない。何故なら、正しい歴史などこの世にないからである。(注2)
 歴史を構築するとき、そして、歴史書を読む時に注意を要するのは、歴史の主人公とでも言うべき人の“政治的集団”が、地方豪族のトップである王、そしてより広い範囲を治めた皇帝、そして、国民国家などと時代と伴に変化し、場合によっては混在していることである。例えば、東アジアにおける唐や高句麗の歴史を考える場合、それらの“国”を適正に解釈しなければ、本質的な誤りを犯すことになる。近代になって現れた、国民国家という人の“政治的集団”は米国の建国(1789年)やフランス革命をきっかけにして広まった(158頁以降)。その国民国家が現れてまだ、200年程度しかたっていない。中世以前の帝国の歴史を分析しようとするとき、”帝国”を現在の国民国家のような感覚で認識すると、何かと誤解をしてしまう。中国と周辺諸国との朝貢関係を、宗主国と従属国という国家間の関係と一様に受け取るのは間違いであると著者は指摘する(202頁)。この理解は、「琉球は昔中国へ朝貢していたので、琉球政府が消滅した現在本来中国領だ」という暴論を退けるのに役立つ。(注3)
 ところで、歴史書としての起源と看做されるものは、中国の司馬遷が書いた史記とヘロドトスが書いたヒストリアイである。二つの歴史書はその性格が全く異なっており、そして、その後の中国周辺とヨーロッパの歴史書はその影響下に書かれており、二つの歴史書は東西の歴史書の遺伝子の由来としての意味も持っている。史記は中国における前漢(紀元前2世紀ころの中国)の武帝が天命により皇帝になったことを主張する為の物語である。周辺諸国の歴史書は史記のような帝国の正統性を示すという書き方をしている。日本の歴史書である日本書紀も、史記の遺伝子を継承し、天皇を頂点にして建国された日本国の正統性を示す為に編纂された。つまり、7世紀後半、百済を滅ぼした唐の圧力の下で統一をいそいだヤマト朝廷が、外国への力の誇示と国内での結束を高める為に編纂した歴史書である。秦の始皇帝より古い時代から始まる歴史を書くので、神話の創造とそれを利用した歴史の創作がおこなわれた。一般的に言えることであるが、歴史書はその動機や特殊性を念頭において読まなければならない。日本書紀の中にある、神武天皇の祖先が高天原から下って地上の王となったという物語を真に受けて高天原探しが始まったのは、この東アジアの歴史観と歴史書の性格を見誤ったことが原因である。(注4)また、天皇家が大陸のどこかから半島経由で日本列島に至ったという説も何の根拠もなく、古事記の歴史書としての性格を間違って評価し解釈したことによる。(96頁)
 一方、ヒストリアイは紀元前5世紀ころのペルシャとギリシャの戦いについて調査記述したものである。ヒストリアイの序文に、「複数の政治勢力の対立・抗争により世界は変化する。それらがやがて世の人々から忘れ去られるのを恐れ、それらをかき述べる(要約)」とこの書物の性質が述べられている。そして、ヒストリアイが歴史(英語のhistory)の語源となり、歴史という文化の出発点として受け取られている。現在の歴史書に関する標準的な理解はこのヒストリアイのものである。ヒストリアイの歴史観は、善(ギリシャ、ヨーロッパ)はやがて悪(ペルシャ、小アジア)に打ち勝つというもので、それはキリスト教的歴史観と一致する為にグローバルスタンダード的な歴史観となった。この歴史観と十字軍の関係についての記述も興味深い。
 以上の他に、歴史の定義と関連して重要な記述がある。それは、歴史が把握されなかった文明とその特徴である。例えば、インド文明やイスラム文明で、極最近まで歴史というものが文化の中に把握されていなかった。それは、輪廻転生の考えが支配的な文化の下では、出来事を因果関係とともに時間軸に沿って展開することが不可能だからである。また、イスラム文明では、未来は神の領域にあるため、文化は(上記の歴史の定義の中にある)時間と空間以外に広がっているためである。更に米国が、歴史のない文明として挙げられている。米国は13州が英国から独立したのが18世紀末で、その後米国に移民として入り、自分の意志で米国民になった一世が今なお存在し、二世三世が多くなったのは20世紀の中頃である。従って、文明に歴史を展開する十分な時間軸がなく、“自国の歴史”という感覚がない。そのため、米国民というアイデンティティーは独立宣言と合衆国憲法前文だけであり、その文面をイデオロギー的に意識する。
 現代、キリスト教的歴史観とアメリカ的自由主義がグローバルスタンダードとして君臨する時代である。しかし、近い将来、西欧とアジアの間のトラブルが国際社会の大きな問題となる時代が来るだろう。その際、上記国際標準の由来などを始め、歴史に関する知識と感覚が益々重要になると思う。
(今後修正する予定。2014/2/03;ed.2/04)

注釈:
1) 著者の定義、「歴史とは、人間の住む世界を、時間と空間の両方の軸に沿って、それも一個人が直接体験できる範囲を超えた尺度で、把握し、解釈し、理解し、説明し、叙述する営みのことである」(10頁)を私の理解した部分を追加して定義した。
2) 韓国が日本の歴史は面白くないという不満の表明があっても良い。しかし、歴史は文学であるから、歴史認識が間違っているという批判はおかしいと思う。実際に被害があれば、損害賠償を要求すればよい。日韓基本条約締結後であるから、条約違反というクレイムはあり得ても、歴史認識が正しくないというクレイムはあり得ない。
3) 朝貢は、周囲の王が中国の皇帝に会い、貢ぎ物を差し出すことである。中国の皇帝が使者を使わして朝貢を要求し、それを歓迎したのは、自分が正統なる中国の皇帝であることを証明する証拠として利用したかったからである。そのため、多くの場合、貢ぎ物より多くのものを朝貢した王は持ち帰ったのである(別の文献)。形式的にその地方の支配者であることを認める冊(任命書)やその印としての印章は、必ずしも宗主国と属国の関係を示すものではない。
4) 日本の騎馬民族征服王朝説などは、日本書紀などにある神話を、西欧の合理主義的観点で解釈した為に生じた。

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