2014年2月7日金曜日

ゴーストライター

1 クラシック音楽に於けるゴーストライター事件が、ショッキングなニュースとして報道されている。昨日はゴーストライターであることを明らかにした新垣氏が、TVの画面に現れて記者会見を長時間行なっていた。そして、今までテレビ等に出ていた作曲家佐村河内氏は隠れてしまった。佐村河内氏は聴力が全くない作曲家ということで、外国メディアに現代のベートーベンと言われていたとのことである。障害者手帳を持っていたというが、新垣氏は会話を普通に行なっていたと証言しているので、その取得についても真相が明らかにされるべきである。オリンピックで高橋選手が佐村河内氏の曲を用いて演技を行なうので、このインチキ行為が世界中に宣伝されることになる。日本人として非常に恥ずかしい思いをしなければならない。
 新垣氏がこの時点でこのような事件を明らかにするのは、恐らく自分の音楽家としての能力に対する一般社会からの認知度が低く、一方、音楽家として無能な佐村河内氏が世界に宣伝されている情況下で、不満が極限まで進んだ結果だろう。高橋選手に申し訳ないので、このタイミングでこのインチキを明らかにしたとの発言があったが、それは嘘だろう。むしろ、告発の拡声器としてオリンピックを利用したかったのだと思う。高橋選手は、せめてオリンピックが終わってからにして欲しかった筈である。新垣氏が自分も共犯者であるという姿勢で会見に出ていたが、心の中では自分は被害者だと叫びたい気持ちでいっぱいだろう。その自分自身の心を偽る弱さが、このような事件を産んだ一つの原因だろうと思う。
2 この件が(http://ja.wikipedia.org/wiki/ゴーストライター) 著名人が本を出版する時のゴーストライターとは異なり、非常に悪質なものであり、峻別するべきであると思う。芸能人やスポーツ選手などが本を出す場合、本を書くことはそれほど簡単なことではないので、ゴーストライターの関与は誰もが気付いていたか、知っていた。恐らく、出版社がゴーストラーターとして力のある人のリストを持っているのはないだろうか。そのような場合、著者役の著名人と出版社の担当は、選んだゴーストライターを囲んで、本の内容に関するプラン、仕事を仕上げた際の報酬などの打ち合わせした後、ゴーストライターが淡々と原稿を作るのだろう。そして、2、3回の打ち合わせを同じメンバーで行なって、短期間で仕上げると思う。このようなプロセスなら、最後までゴーストライターは表にでないだろう。何故なら、そのライターは自分の思想を本に書く訳ではないし、出来上がった本は自分には価値のないものだからである。この様な場合、何か他の要因がなければ事件にもならないだろう。ただ、政治家の本の様な場合、現実の政治へ選挙などを通して影響するため、その後の政治の流れによっては事件に発展する可能性はある。
3 上の件と今回話題のケースとの違いは、ゴーストライター役が自分本来の舞台で、自分の能力を絞って作品を創作した点である。つまり、新垣氏は音楽における自己実現(注1)の一環として作曲したと思う。この理解が正しいのなら、新垣氏はまるで沙村河内氏の奴隷のような存在と言える。(注2)また、交響曲1番には、被爆地のヒロシマという名前が与えられており、日本の歴史に捏造のラベルを貼るような行為で、非常に腹立たしい。
 この件にかなり近いのが、科学論文などで共著論文が出された際、その業績を上司が独り占めするような場合である。有名なケースでは、(http://islands.geocities.jp/mopyesr/zatsu/adrenaline.html) 高峰譲吉によるアドレナリンの発見がある。本当の発見者は助手の上中敬三かも知れない。最近のケースでは、(http://costep.hucc.hokudai.ac.jp/channel/suzuki2/index.html) 鈴木カップリング の発明により、鈴木名誉教授がノーベル賞をもらったが、テレビ報道された記者会見などを視聴した範囲では、鈴木氏から受賞論文の筆頭著者である宮浦氏の協力に関する言葉を聞いたことがなかった。もちろん、鈴木氏の指揮の下に行なわれた研究だろうが、社会から与えられた栄誉の差はとてつもなく大きい。
因に、少なくとも1990年頃までは、助手(現在の助教)以下が英語で研究論文を書く場合、講座の教授が間接的な寄与であっても、その名前を著者リストに入れ、その論文に関する連絡先(corresponding author)とする場合が多かったように思う。
  4 ゴーストライターにはいろんなケースがあるが、被害を受ける人の有無に関わらず、一律に人間社会から厳しく排除すべきだと思う。(注3)何故なら、芸能人の場合でもゴーストライターに書かせ、著者名を偽って本を販売することは厳密には詐欺であるからである。また、それが全ての捏造を無くする唯一の方法だと思う。全ての人が真実を目指すことが社会の信用を高め、その信用が社会のインフラとなる。社会における高い信用が日本の最大の財産であることを、全ての人が再度確認すべきである。

注釈:
1)欲求段階説参照
2)今日(2月9日)の報道によると、交響曲第一番の曲風が過去の作曲家のものを真似たところがあるとの疑惑が、昨年音楽家により指摘されていたとのことである。そうすると、今回の暴露劇の動機は他にあるかもしれない。
3)儒教圏にあるためか、日本では人の社会を層状構造として捉え、その上下間の壁を護るという考え方がある。それが、会社や小さなグループでも上下関係が定着しやすい原因だと思う。それと調和するように、複雑な敬語の体系と論理の無視が。日本語の中に存在する。このような社会では、個人を批判することはある段階まで、不徳として批難される。一方、人の行為を批判するのではなく、人そのものを批判しラベルを貼る習慣があると思う。(行為を批判するには論理が必要だからである)
(Feb.7投稿;Feb8,注釈を追加;Feb9, テレビ報道の内容を考慮して改訂)

0 件のコメント:

コメントを投稿