2014年7月21日月曜日

日本の政治は、世襲制から脱却出来るだろうか?

 日本社会で世襲制が静かに広がっている。最も顕著なのは政治の世界、芸能界、経済界(1)である。それらは、現代の貴族階級となりつつある。そして、無能なもの達が社会の第一線に顔を揃えることで、日本国は三流国家になりつつある。高学歴層も世襲制である。遺伝的ファクターが若干影響するものの、大学入試レベルの能力は、所詮教育投資で決まる範囲だからである。
 世襲制になり得ないのは、門戸が広く開かれたスポーツの世界である(2)。過去日本で最も人気があったスポーツは、野球である。例えばバッターでは、ミリ秒レベルの時間でのミリメートルレベルの正確なバットコントロールが要求される。そこでは世襲制の入り込む余地はない。実際に、一流選手の子供でもそれほど活躍するには至らなかった。
 一方、政治の世界や芸能界では、世襲の門がその入口となっている場合が殆どである。大衆の前で演説し票を獲得することで政治家になれるので、自己主張が悪とされる文化の日本国では、元々”裏口に門があるような特殊な世界”である。世界的にみれば政治家は、例えばハーバード大やエール大学出身で、”正門から堂々と入るエリートの世界”の住人という感じであるが、日本では残念ながら、慶応大学レベルの世襲議員が多い。官僚出身者でも、元々消去法で出世した人(3)が残るので、政治家になった人には優秀な人は居ない。実際、風見鶏風の人やET風の秀才が居たものの、大きな改革の出来る人はこれまで出なかった。
 従って、日本の政治的貧困の原因として、この世襲制が第一番目にくると思う。日本の政治家をエリート的な人にするかは、日本文化に大きな変化が今後ないとした場合、残念ながらかなり困難である。

注釈:
1)経済界の場合、株主としての立場を相続して経営に参加する場合は、問題にはならない。それ以外の場合は、株主総会を充実させる方向で解決できるだろう。
2)相撲界の様に、門戸が狭い場合で基本的な運動能力に関係するものでは、世襲の因子が残る。
3)能力の在る人よりも、問題の無い人が選ばれる。

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