2014年8月13日水曜日

今日の中日新聞社説:「普通の人々の戦争とは」ー平和主義を貫くーについて

 戦争俳句の紹介と戦争日記の紹介に重点を置いた社説である。普通の人が戦争の中でどう生き、戦場をどう感じたかを紹介している。これらは戦争の現場を感じるには良い材料だとは思う。そして、最後のパラグラフで、集団的自衛権の行使可能と閣議決定した件にふれている。「自衛の必要は当然のことながら、法律論に加え戦争と人間の直接の関係も考えねばならない。それは感情論などと容易に退けられるようなことではなく、戦争とは何か、人間とは何か、つまり私とは何者かを問うことにほかならない。」そして最後に、「戦争を議論するなら、まず直視し感じなければならないのである。」と結んでいる。

 この社説には多くの疑問を持つ。まず、”戦争を議論するなら先ず直視し、感じなければならない”という主張は、要約前半の”人間とは何か、私とは何者かを問うところから戦争を考える姿勢”と矛盾すると思う。戦争を交通事故に喩えれば、上記議論は、”交通事故を議論するなら先ず直視し、交通事故(の悲惨さ)を感じなければならない”となる。しかしそれは、交通事故とは何か、我々は何故自動車を必要とし、交通事故を避けられないか、どうすれば交通事故を減少させることが出来るか?などの根本的原因とその可能な限りの防止を考える上で、あまり参考にはならない。

 戦争を感じるために俳句や日記を引用するのは解る。しかし、上述のように、普通の人々が戦争をより切迫感を持って感じたとしても、戦争のような外交関係や高度に社会的政治的な問題を”考える”場合には、あまり意味が無いと思う。まるで普通の人は、戦争を考えないで、戦争を感じることが大切だと言っているように思える。戦争で金儲けや鬱憤ばらしを考えている少数を除いて“戦争が死ぬほど嫌い”なのは、誰も同じである。その嫌いで汚くて悲惨な光景を描くのと同時に、もっと広くそして長期的な視点で考えなければ、戦争という世界の残酷な渦に巻き込まれてしまう。あまり現場の光景ばかりに目を向けると、むしろ、頭を真っ白にしてしまい、戦争で儲ける人たちの味方をするようなことになってしまう。更にこの社説には、”戦争とは何か、人間とは何か、つまり私とは何者か”についての答えは何も書かれていない。社説は問題提起に終わってはならない。世論の先頭を行く思想を、戦争を避けるにはどうすべきかを書くべきである、たとえ、その後に続く読者がいなくとも。

 今日の社説の問題提起「戦争とは何か、人間とは何か、つまり私とは何者か?」の解答は、むしろ戦争の悲惨な場面から目を放して、大きく広く世界を見ることで簡単に得られる。戦争とは何か? それは、狭い地球の中のかぎられた資源と生産能力を奪い合う、民族間或いは宗派間の生存競争である。地球が舞台なので、個人と個人が生存競争を懸けて争う訳にはいかない。そこで、同じ民族や同じ文化、同じ宗教で集団をなして、戦争が起こるのである。つまり、戦争のエネルギーは、貧困によって生じるのである。戦争との関連で「人間とは何か」を考えた場合、「人間とは飯を食い、楽しみを持って生きなければならない生物である」に簡単に至る。そして、「私とは何か」は、その解釈の中で、自分の属する集団の運命を左右する存在である。私がナイーブな平和主義者なら、属する集団はより高い確率で戦争に巻き込まれるか、他国に隷属するかどちらかになるであろう。私が、ミクロな視点で戦争を感じ、同時に、マクロな視点で戦争の原因やそれを避ける手段を考えることが出来る人間なら、その集団(国家)はより悲惨な状態になる確率が低くなるだろう。  戦争が生存競争なら、人口が増加し続けて資源が有限ならば、避けることは出来ないという認識が容易に得られる。平和の方向として、技術の向上による生産能力の拡大と人口増加の低下があるのみである。しかしそれでも、文明の発展が不均一である間は、貧しい国同士或いは貧しい国と豊かな国の間で戦争が起こるだろう。更に、将来への経済的不安から政治的不安定、そして戦争に至る場合もあり得る。マクロな視点で戦争を考えるとこのようになる。

 ミクロな視点では、ある国での軍国主義の台頭やら、別の場所での共産思想の発生など、戦争の切っ掛けはいろいろ考えられる。しかし、マクロな視点での”戦争のエネルギーは、地球の表面での経済的不満の強さやそれを訴える人口などで表わされる”という真理を理解しなければ、”戦争が起こるのは、その地域での平和主義者が少ないからだ”というような、社民党レベルの幼稚な議論に陥ってしまうのである。我々はミクロな存在なのだから、戦争をミクロな視点で見るのは比較的容易である。しかし、マクロな視点で見て理解しなければ、戦争の防止には役立たない。世界経済や世界の政治はマクロな現象だからである。しかし、それには十分な知性が必要である。民主主義という政体をとる限り、戦争を避ける方法は、高度な技術や感覚をもって豊かな日本を築くこと、そして、我々一人一人がマクロに世界の政治と経済を考えること、そして得たマクロな情報を処理する知性を持つことである。もし、そのようなことが面倒でできななら、そのような人の考えを良く聞き、平和主義平和主義というお経を唱える人たちから一線を画することである。(1)

注釈:
1)経済や政治の理解には勿論、ミクロな情報は必要である。私はその分野でも素人だが、このミクロとマクロの視点の必要性は、株の値動きを見て取引をする人にも言えるだろう。株価利益率や資本利益率などのミクロな情報も必要だが、株価全体の動きには日々発表される世界の経済指標が大切であるし、長期に亘るその分野(会社)の将来性を見るには、世界文明の方向や、世界政治の動きが重要である。

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