2014年12月6日土曜日

”建前”と”本音”の二重らせん

1)“建前”という言葉の元々の意味は、“家屋の建築で、主要な柱や梁,棟木などを組み上げること”、また、その時に行う上棟式である。しかし、スペースアルク(http://www.alc.co.jp/)という何時も利用させてもらっているサイトで英訳すると、上棟式は出てこないで、注釈(注1)に書いた様に比喩的な用法が全てである。それを参考にすると、建前は殆どの場合、要するに、“公の立場”と“言葉上の理由付け”の二つの意味で用いられている。

 日常の会話では、“建前”は幾分軽蔑的に用いられて、“真理である本音”が大事であると考えられる場合多い。しかし、我々がかなり楽観的に人間関係を築いて、社会の中で一応安心して生活できるのは、人々が“建前”つまり“公の立場”を社会において堅持するからである。つまり、“建前”は元々の意味の通り、社会の骨組みをつくるものであり、人類が混沌の中から作り上げた文化そのものである。そして、この”公の立場”があってこそ、人は平等に生きる権利を得、社会にその存在(生存)を主張できるのである。個人としては、公に預けた“建前”と対を為すように、本音をしっかり心の中に保持して良いのである。

 インターネットやそれに手軽にアクセスできる携帯電話(スマートフォン)が問題視されるのは、その本音と建前の混在した世界をサイバースペース (ネット空間、電脳空間)として人々に提供するからである。つまり、本音と建前は二重らせんのように、同一の個人に存在するが、決して融合してはいけないのだ。この“二重らせん”の融合は、公の文化の下で享受出来ることになった近代文明の崩壊を意味する。
追加(12/8):(本題で言いたい事はこれで終わりだが、何故この文章を書く気になったかというと、DNAの二重らせん構造の発見でノーベル賞を貰ったワトソン博士が、そのメダルを競売に出したというニュースを見たからである。以下にその話を追加する。)

2) 因に、DNAの二重らせん構造を提案したワトソン博士のノーベル賞メダルが競売にかけられ、五億円の値段がついたと言う事である。
http://bylines.news.yahoo.co.jp/kimuramasato/20141129-00041084/) ワトソン(以下敬称略)は、ロザリンド・フランクリンが撮影した、DNAのX線回折像を見てその二重らせん構造のモデルを思いつき、論文を書いてNature誌に発表した(1953年)。その後、ワトソンはクリックやウイルキンソンとともにノーベル賞に輝く(1962年)。その受賞後しばらくして発表した、ワトソンの著書“二重らせん”(1968年)で、DNAのX線回折写真を撮影したロザリンド・フランクリンを暗愚な研究者として描いているという。ノーベル賞を得るまでには、醜悪な人間ドラマというべき経緯が存在していたのだ(上記サイト参照)。

 ワトソンが、何故ロザリンド・フランクリンというユダヤ人女性を暗愚な研究者として描いたか? それは、恐らくワトソンがNature誌にその論文を出さなければ、ロザリンド・フランクリンが同じ事を論文にしてどこかに発表していた可能性があるからだと思う(注2)。この場合は、ノーベル賞が彼女にもたらされ、ワトソンのノーベル賞も学会での名誉ある地位も無かった筈である。つまり、その可能性が無い事を強調しなければ、ワトソンが本来の筆頭著者かもしれない彼女を外して論文を書いたことになり、その悪意ある行動の評価が社会に定着してしまうからである。

 現在の日本では、ある研究の為にX線回折像を撮影してもらった場合、その研究成果を論文にする際にはX線写真を撮った人も共著者になるのが当たり前になっている。しかし、本来の科学文化の中では、その論文の全てについて寄与がなければ(内容の主張=presentation=が出来なければ)共著者になってはならない(注3)。つまり、ロザリンド・フランクリンがX線像から二重らせんという長周期構造を思い付かない程に暗愚であったことにすれば、彼女を共著者にする必然性はないのである。私は、ワトソンが“本音”を隠して、その創造した“建前”を自著“二重らせん”に強調した可能性を感じる。

 更に言及したいのは、ワトソンが「アフリカの黒人は、遺伝子の段階から知能が劣るだろう」と発言したことで、学会等から忌避されてしまったことである。ワトソンは「あの発言で社会的に抹殺されてしまった」と英紙フィナンシャル・タイムズに嘆いているとのことである(上記サイト)。つまり、建前として大切にしなければならない事をわきまえず、思わず本音を公の空間で吐いてしまった為に、社会から抹殺されたのである。

 本音は、人権や報道の自由として局限された個人的空間に封じ込め、建前を公としての社会の骨組みとして採用したのが、人間の智慧であり文明の基礎である。ワトソンはこの建前と本音の二重らせん構造を十分わきまえていなかったようだ。

追加:DNA構造発見の経緯について書かれたものがありましたので、以下に参考文献として追加します。参考文献:http://thomas.s301.xrea.com/thinking/20seikisaidainohakken.pdf(12/6/11:05)

注釈:
1)辞書によると:polite face (礼儀的な顔); public position (公の立場); one’s public stance (人の公としての立場); one’s stated reason (人の言葉の上での理由)などが書かれている。 これらから本文章内では、“公の立場”と“言葉の上での理由付け”を建前の二つの側面からみた意味として用いる。関西地方では上棟式の意味ではフラットに発音し、本音と対する言葉で用いる場合と区別している。
2)同じ年に化学者として有名なライナス・ポーリンング博士も独自の3本鎖のDNA構造モデルをNature誌に発表している。その事から、競争の激しいテーマだったことが判る。
3)X線回折のデータをワトソン氏にフランクリンに相談無く見せたのが、ノーベル賞の共同受賞者のウィルキンソン氏ということである。それにも拘らず、ウィルキンソン氏が1953年のNature論文の共著者になっていないのは、この科学文化ではあり得ないことではない。従って、ウィルキンソン氏はロザリンド・フランクリン女史が撮ったX線回折データの意味が十分判らなかったのだろう。(12/7朝追加しましたが、ここで最終稿とし、追加は別途”二重らせん”を読んだあと書きます。) 上記()似ついて追加(12/8):二重らせんを60%位読んだが、興味が続かずギブアップする。その時点は、ワトソンらはポーリングが蛋白のαーヘリックス構造を見つけたのと同じ、分子モデルを用いる方法でDNAの構造を模索している段階である。ロンドンのロザリンド・フランクリンとモーリス・ウィルキンソンとの間の関係が極めて悪いというが、その根拠が明確ではないのが印象的である。しかし、それも答えを知っての事かもしれない。ウィルキンソン自身が第三の男とか何とか言う題で本を書いており、そこでのフランクリンとの関係は大分違うようだ。

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