2015年2月1日日曜日

テロリストという空しい表現:中世と現代の同居を理解すべき

後藤さんが殺害された。予想されたことであるが、残念なことである。日本の国民は後藤さんから多くのことを学び、彼の死を無駄にしてはならない。
安倍総理の「テロリストに屈してはならない」と言う言葉がテレビで空しく響いている。”テロリスト”の前面にわざわざ国民を立たせたのは、安倍さんではないのか。

中東地域が近代化を終えた先進国であれば、テロリストに屈しないという表現は正しいかもしれないが、あの地域は未だ中世なのだ。米国を中心とする先進国の論理は、そのまま通用しない。

イスラム国は国家ではないし、一世紀前のことを云々するのは今や正しくはないだろう。しかし、オスマン帝国解体後の国境線云々という西欧(英国やフランス)と中東地域の問題が未だに燻っているとしたら、そのような所のトラブルにわざわざ出掛けていってまで、日本が首を挟むべきではない。人道支援なら、日本政府が従来の方針通り、行なえば良い。

CBC放送で姜尚中さんが言っていた様に、今回のイスラム国の声明の対象は安倍さんや日本政府であり、前回の動画で対象であった日本国民という言葉が消えていた。安倍さんは、軽々しく「イスラム国に対して国際的に協調する」と言う様な表現をしているが、その意味を理解しているとは思えない。私は安倍さんの経済政策なども含め、最初から(第1期から)全く評価していない。

追加:イスラム過激派と一般のイスラム教圏とを区別しなければならないという意見があるが、現状ではそれに大きな意味を置いてはならないとおもう。イスラム圏についての詳細な知識を蓄積するまでは、その中から過激派が出てくる事実をそのまま受け入れるべきである。日本人のなかでも、一部金持ちだけは例外であり、区別すべきであるという議論と同様である。

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