2015年4月4日土曜日

珊瑚より日本国民の命が大切である。沖縄県知事に対してひとこと

翁長知事の米軍基地辺野古移設へ反対する行動は、地方自治の範囲を越えていて許されない。珊瑚の命も青い海も大切だが、日米安全保障条約による日本国の防衛の方が遥か大切だ。沖縄が反対するのなら、独立運動以外に無いのであり、翁長氏はそれを知事選で主張すべきだったのだ。

勿論、日米安保体制は未来永劫続く訳ではないし、正しい国家の選択かどうかは議論を要する。しかし、その議論をするのではなく、ただ珊瑚大事だからという理由で、国家の防衛戦略に口を挟むのは、愚かな行動だ。また、沖縄の基地負担を本土並にするべきと云う意見が正当なら、地政学という学問は不要である。

今、世界の政治の大きな枠組みは、欧米民主主義諸国と中国を中心とする二つの勢力からなる。その一つの境界が中国が考えている第一列島戦であり、その上にあるのが沖縄である。その国際政治の動向は、日本国民の命と関連しており、珊瑚の問題云々で左右される問題ではない。翁長知事は、分っていない筈はない。もっと、大きな本質的な政治の枠組みから、県民と国民に訴えるべきなのだ。

補足:
日米安保体制は、過去の政治的連続性を考えて、さしあたり重要であると考えているに過ぎない。戦後レジームからの脱却は当然支持するが、その前に国家は、過去の戦争に至った経緯とその結果について総括をし、その責任者について明確にしなければならないと思う。明治憲法の下の政治体制は憲法の規定によれば君主制であり、天皇を輔弼する大臣も選挙制度はあったものの完全な普通選挙で選ばれた政治家ではない。従って過去の戦争を国民の責任に帰することはできない。

今日のテレビ番組”激論”で少年法の適用年齢と選挙権付与年齢について話をしていた。それと同時に、戦後の米国により与えられた政治枠(所謂戦後レジーム)の改正と、それに伴う国防に参加する義務の発生(つまり徴兵制の問題)について、議論をしていた様である。しかし、国はその前に過去の戦争について総括すべきであり、宿題もこなさないで次の授業に入るのは危険である。多くの若者を無駄死にさせた責任者も、神として国家神道の社に祀るような愚かなことをしながら、総括抜きにして「戦後の政治枠組みを換えなければならない」というような話を聞くのは不愉快極まりない。そこで、ほとんど別の白痴番組を見ていた。

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