2015年6月20日土曜日

学問と政治の関係:安保法制&国歌斉唱要請

国旗国歌要請:文科相「適切判断」迫る 国立大学長は困惑と題する記事http://mainichi.jp/select/news/20150617k0000m040055000c.htmlによると、 下村文科相は16日、「各大学の自主判断」としながらも「長年の慣行により国民の間に定着していることや、(1999年8月に)国旗・国歌法が施行されたことも踏まえ、適切な判断をお願いしたい」と要請した。

国旗・国歌法は、国旗の形や図柄や国歌の詩やメロディーを示したもので、国民が何かの時に国歌を斉唱しなければならないなどの内容は全く書かれていない。一方学問の自由に関しては、憲法23条に「学問の自由は、これを保障する」と明確に定められている。学問を行なうところは主に大学なので、「学問の自由」が重要であるとするこの憲法の規程は、そのまま「大学の自治」が重要であるとする根拠となる。従って、文部大臣の要請にはあまり根拠がなく、学長たちの困惑は当然である。

この政府の要請に関するコメントを書いたが、それにたいして学問の自由の意味が十分理解されていない方のコメントがあったので、ここに最初から説明を試みる。
学問は、“真理とそれらを繋ぐ論理の発見、集積、及び検証”を目的とする人間の知的行為とでも定義できるだろう(注釈1)。学問の構築・発展は、通常分野を限定して進められる。それは、時空を越えてこの世界全体を対象にするほど、人間の智慧は優れていないからである。つまり、多くの専門領域の夫々に「学会」を設立し、研究者が協力して夫々の領域で学問を極める様努力する。

  専門分野に別けて、学問を深めるのは、丁度、スポーツに多くの種目があり、夫々の種目で技を高めるようなものである。ある種目を専門とする者の技は、一般の人など到底及ばないレベルに達する様に、学問においても、ある分野の専門家の知識や論理は、一般人の知識レベルを遥かに越える。そして、それらの知識や論理を、政治や経済などの活動に活用してきたのである。その結果、個人の能力を遥かに越えた文明社会を築き、我々はその恩恵を受けているのである。 

学問が発展するには、研究者の集まりである学会や大学などが、全体として真理や論理を最優先する必要がある。一方、研究者や学会&大学を代表する者も人間であり、私的な経済的及び社会的利益などから自由ではない。従って学会や大学は、出来るだけフラットな組織を持ち、真理と論理を最優先する心(雰囲気)をその構成員と伴に、作り上げる不断の努力が必要である。政治など外部からの干渉は、簡単に学会の機能を毀損する可能性がある(注2)。従って、学問の自由がその発展の為に必須となる。

  一方政治は、人間と人間が活動する全ての領域を対象にする。区分けは通常地理的なものであり(注3)、最も明瞭な区分として国家がある。政治の目的は、国民の安全を確保し経済的豊かさを維持或いは促進することであり、総合的、現実的、そして具体的である。それは、狭い専門領域で真理や論理を最優先する学問の存在形式とは大きく異なる。政治との関わりでは、学問はその限られた専門分野から政治を評価する物差(基準)としての役割も持つ。そして、学問からの評価を十分価値のあるものにする為には、多くの専門分野からの評価を総合しなければならないと思う(注4)。

この評価は、政治という多変数関数の変化を評価するのに、夫々の変数に関する微分係数(偏微分)を得て、それを基に政治の全微分を得ると言えるかもしれない。何れにしても、評価する対象が評価の物差に干渉しては、正常な評価は出来ない。従って、学問の正常な発展と政治との関わりを可能にする為には、学問は自己完結的(つまり学問は自由)でなければならない。

また、学問はあらゆる人間活動の“基礎”にあるべきものであるが、夫々受け持つ範囲は狭く且つ現実に直結していない。従って、逆にある狭い領域の学問が、政治に干渉する場合、間接的かつ限定的でなければならないと思う。最近の例では、安全保障に関する政治的問題に憲法学が干渉するとしても、間接的限定的でなければならないと考える。民主党のように、憲法学者の意見を天下の宝刀のように持って、安倍内閣の安保法制を批判するのは、既に書いた様に(最近の投稿数題)適切ではない考える(注5)。

  注釈:  1)「学問の自由」という場合の学問という言葉に、適当な英訳が辞書にみつからない。辞書にはknowledge;learning;ologyなどが書かれている。ここでは、science(科学) 或いはphilosophy(哲学)とするのが適当だと思う。  2)例えば、スタップ細胞のスキャンダルは、理化学研究所の特定研究法人への指定を得るという研究所の方針(政治との関わり)と無縁ではない。  3)勿論、宗教的、風俗的なものもある。  4)例えば防衛問題では、憲法学だけではなく、法学、歴史学、政治学、地理学、財政学、等の他色んな側面から、国民の将来に亘っての安全確保を目的に戦略的問題として考えなければならない。 5)憲法による政治の評価、つまり違憲云々の判断は、最高裁判所が行なうのであり、学者が行なうのではない。 (6/20/22:00改訂)

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