2015年8月23日日曜日

基本的人権は社会から受ける特権である:性犯罪にはミーガン法で対処すべき

高槻市での悲惨な殺人死体遺棄事件の捜査が、新しい段階に進んでいる。犯人が逮捕され、あの残忍な事件が性犯罪であったことが明らかになりつつある。過去に、殺人にまでは至らなかったものの同様の犯罪歴があり、出所した後の犯行だったのようだ。

米国にはミーガン法というのがあり、性犯罪者は生涯社会に完全復帰させないという方針をたてている州が多い。日本には、このような部分的に基本的人権を制限するような手段はない。今回の様な悲惨な事件を出来るだけ減らす様に、急ぎ立法すべきである。

過去何度もこの種の犯罪が起こるたびに、上記法整備が議論されてきたが、なかなかそのような条例も法律も出来ない。その理由であるが、日本では基本的人権という言葉が或る種の宗教的意味を持つからではないだろうか(補足1)。

それを示す例は沢山あるが、8月の始めに日本中で非難された武藤議員のブログ記事批判のケースが解り易い。その後明らかになった未公開株云々のケースは言語道断であり明らかに司法の対象だが、それ以前に話題になったSEALDsを批判したブログの内容に何ら問題はない。(8月4日のブログ参照)

このブログ記事の批判の内容であるが、例えば、タレント物理学者の大槻義彦氏のブログの様なものが殆どである:そこでは、基本的人権はまるで宗教的教義のような様相で登場している。(補足2)

基本的人権は社会から、それを構成する人に与えられる特権である。その原則が理解されずに、この国では“基本的人権”が宗教的な意味を持つに至って居る。国家の内部での特権であるから、我々は国境を越えては基本的人権を主張できない。従って、国境をまたいで作業する人間、例えば軍人は、当然ながら戦争中に基本的人権を保持できない。武藤議員のブログはそれを言っただけである。

それで袋叩きに会うことを考えると、基本的人権はこの国では法的用語である以前に宗教用語であることになる。基本的人権は特権であるから、犯罪者はそれを失う。従って、基本的人権を一部制限する形で、性犯罪者を出所させることに何ら問題はない。

補足:

1)幾つかの基本的なルールがこの国を始め世界で認められている。基本的人権や民主主義などである。最近は環境保護も入るかもしれない。それらは、論理的に考えない人たちの間で宗教的意味も持ち始める。日本で特にその傾向が強いと思う。

2)大槻氏は以下の様に、武藤議員のブログを批判している。
“本当にこの若者、衆議院議員なのか?民主主義と基本的人権を否定して戦前の帝国憲法を擁護する。戦争に行きたくないのは当然ではないか!それを『極端な利己主義』ときめつけ、これは戦後教育のせいと断じる。それならお前は戦争に行きたいのか。『戦後教育』の失敗を言うなら武藤のような若者を作ってしまった失敗を問題にすべき。 基本的人権を否定して『日本精神』を懐かしむ。この日本精神こそ帝国憲法の精神だった。つまりこの男は現憲法を否定し、戦前の帝国憲法を賛美し、若者が戦場に行くことを願う。 それならば武藤代議士よ、即刻議員を辞職せよ。なぜならあなたは現憲法で選出され、そのもとで組閣された与党の『若手のホープ』と言われているではないか。その政治制度、統治制度を保障する現憲法を否定していては自己矛盾ではないか。
 今からでも遅くない。議員を辞職して憲法改正運動をして昔の帝国憲法にしてから、その元で堂々と当選するが良い。” 日本国憲法と大日本帝国憲法とで二者択一しか無い様な無茶苦茶な論理で武藤議員のブログを批判している。基本的人権と民主主義は論理を越える存在として登場している。つまり、宗教的教義として登場しているのだ。

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