2015年9月2日水曜日

五輪エンブレム問題とコネ社会日本

1)五輪エンブレムの件、選考課程に疑問があるようだ。つまり、最初に佐野氏のデザインを採用すると決っていたのではないかという疑惑である。 http://www.sponichi.co.jp/sports/news/2015/09/02/kiji/K20150902011051750.html

エンブレムが新たに選考し直されることになったが、それは実質的に選考が失敗だったことの証明である。発表された佐野氏デザインの五輪エンブレムを見た最初の感想は、「Lと言う字と○を組み合わせて、何を象徴しているのかさっぱり解らない」というものだった。開催地TOKYO或いは2020年オリンピックの開催コンセプトなどを表わす様なものが、さっぱり確認できなかった。

一方、大会組織委員会専務理事・事務総長の武藤敏郎氏は、会見を行い、大差であのエンブレムが選ばれたと言っている。審査員8名の内、4名が佐野氏のデザインを選び、残りの4名がバラバラに他の案を推したとのことである。圧倒的な差であのデザインにが選ばれたというのは全く意外である。また、”始めに佐野氏ありき”ということは全く無いと否定している。しかし、上記サイトにも疑問として言及されているが、選考の結果選ばれたと言いながら、選考後原案から修正されたというのも解り難い。

佐野研二郎氏の兄は、経済産業省のキャリア官僚であり、かつて知財関係(著作権の対象となる特許や商標など)を扱ったこともある課長だということである。また、かつての同僚である永井一史氏(多摩美術大学の教授仲間)の父は東京五輪エンブレム審査委員代表を務めた永井一正氏だそうである。(グーグル参照)始めに佐野氏ありきという選考の下地としては十分である。兎に角、完全にバレるまで組織委員会全体でシラを切る姿は、国民の一人として全く腹立たしく思う。

日本は、危機意識が薄れると、完全なコネ社会に戻るようだ。

2)人が生きる上での基本となる社会が国家となり、現在のように大きくて高度な組織となると、それぞれの分野に優秀な人材が分配されなくては正常に運営できない。現在の組織がコネの範囲で人材を選ぶと、数世代で人材の質は劣化してしまう。それは、例えばこの50年程の政治家のレベルを見れば解る。

国家を構成員とするグローバルな国際社会が世界の枠組みを形成し、そこに激しい競争が存在する現在、コネ社会からの脱却が国家の命運を決すると思う。コネを廃するという道徳が社会の中に根付くことが、先進国としての条件である。東アジアはこの点で西欧にかなり劣っている。

人が社会を作って生きている以上、地位を築くのにはコネが大きな力になるのは自然なことである。それは古今東西を問わない。しかし、西欧人は心の中に人格神がいる分だけ、コネの力は小さいだろう。東アジアはこのハンディを乗り越える工夫をしなければ、結局西欧には太刀打ちできないだろう。

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