2015年9月17日木曜日

集団的自衛権の問題:民主党の欺瞞と自民党の怠慢

安保関連10法案の審議採決が参議院で行われている。国会の内外は、気が狂った様な反対運動が展開されている。しかし、この件、前の衆議院選挙の時に既に議論になっていると、時事通信の田崎史郎氏が今朝も言っていた。 http://www.sankei.com/politics/news/141130/plt1411300026-n1.html いまになって、そんなに熱くなって禅問答的反論をしたり、鴻池氏の委員長室を物理的にブロックしたりするなんて、馬鹿げている。選挙を意識したパーフォーマンスを、重要法案を人質にとってする野党の連中の反日姿勢にはうんざりだ。

ただし、集団的自衛権行使を可能にする法案に問題が無いかと言えば、たくさんあるだろう。第一に憲法との整合性が問題なのは言うまでもない。憲法との整合性が最優先なら、この法案よりも憲法改正を行うべきである。しかし、集団的自衛権行使を可能にする法改正でもこれだけ反対が多いのだから、現状では出来る筈はない。従って、その挑戦は最優先ではなく、国際政治環境の急激な変化に差し当たり対応することが最優先だと与党は主張しているのである。法は国民の利益を確保するためにあるのであり、それに手足を縛られて重大な損害を得る可能性がある場合は、緊急非難的に特別法で乗り切ることは当然であると考える。“憲法9条は守りましたが、国は滅びました”は、法律の正しい運用である筈がない(補足1)。国会前のデモに参加している憲法学者たちに、是非この考えをどう思うか答えてもらいたいものだ。

自衛隊と個別的自衛権は合憲だが、集団的自衛権は違憲だという複雑な憲法解釈は、自衛隊を創設するために自民党政府が用いたごまかしだったと思う。つまり、自衛隊とそれを用いた個別的自衛権行使は、憲法9条を一歩超えているのだが、その外にもう一線ひいて、個別的自衛権までの行使であれば、憲法13条があるから合憲なのだと言って、急場を乗り切ったのである。その後始末をこれまでしなかったのは、自民党政治家の無責任の所為だと思う。

国連憲章51条に、加盟国は個別的自衛権と集団的自衛権を用いて、他国の武力攻撃に対処できると明記されている。また、日米安全保障条約の前文にそれを引用して、“両国が国際連合憲章に定める個別的又は集団的自衛の固有の権利を有していることを確認し、(中略)次の通り協定する”と書かれている。つまり、日本国は既に集団的自衛権を認めているのである。その集団的自衛権という言葉に、潜在的というような言葉はついていない。権利があるけど使えないなどというのは、これも、誤摩化しである。「生存権はあるが、現在その権利は主張できない」という言葉に意味があるとしたら、死後復活が可能な神の世界においてだけである。

民主党が今回の法案が、超えてはならない一線を超えるようなことを言っているが、それは自分たちと選挙民の両方を誤摩化していると思う。もし、自衛軍と個別的自衛権行使に反対なら、そのように主張し、自衛隊の廃止を提案すべきである。否、今までにその提案をしてこなかったことは、既に賛成を表明していることになる筈である。従って、今回その具体的手続きとしての自衛隊法やPKO協力法などの改正を行うことに、何故今になって反対するのか解らない。

議事堂の前の一般市民は、日本が既に受け入れている国連憲章も日米安全保障条約も詳細に読んでいないので、今回の法案で初めて日本国が集団的自衛権を確認し主張するものと考えているかもしれない。そのような人たちを巻き込んで、自分たちの反対の輪に組み入れるのは卑怯である。今回の法改正は、単に出来ていなかった準備を行うたぐいのものである。

憲法は、米国の占領が終わった時点で改正するのが適当だっただろうが、どういう訳かやらなかった。冷戦時代に、ベトナム戦争などに参加しないですんだのは、憲法をかえなかった一つの良い効果だっただろう。冷戦が終わり平成の時代になって、直ちに改正をすべきであったが、自民党の力も落ち短期政権の連続で出来なかったのだろう。冷戦終結前だが、中曽根さんの時代が最後のチャンスだったかもしれない。ロンの信頼が本当に篤かったのなら、ヤスは憲法改正できた筈だ。今となっては、どこかから爆弾の一発くらい落ちないと、国民の目が覚めないだろう。

補足: 1)これに対しては、反日政党はそのような脅威などどこにあるのか、言ってもらいたいと居直るだろう。そこで、中国は重要な脅威であり、それへの対応のための準備が緊急課題である、とは外交上言えない。政権担当者は無責任野党と違って、インテリジェンスまで国民に明らかには出来ないだろう。

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