2016年4月6日水曜日

美容整形と建国神話:韓国の場合

1)昨日テレビ愛知(テレビ東京、テレビ大阪)の放送”ありえへんー世界スペシャル”で、韓国での”整形モンスター”なるテレビ番組を紹介していた。応募した整形希望の醜い女の子が、美女に変わる一部始終をテレビで放送する番組である。

整形前の容姿と家族の様子、整形手術、そして、その後の容姿と家族の様子をテレビで映し出すのである。日本では企画できない凄い番組であった。その中で印象にのこったのは、美女に変わるということが本当だった(だろう)こともあるが、醜い容姿を憎む女の子が、①父親など家族からも恥だといわれていたこと(補足1)、そして、②当人が「この顔が他人の顔であれば良いのに」という趣旨の発言をした場面であった(補足2)。

これら二つの反応は同根であると思う。それはこの国の人たちは嫌なことを共有できないで、他に押し付けようとすることである。上記①は嫌なことの共有の拒否であり、②は嫌なことの他人への転嫁である。日本では、良いことも悪いことも共有するのが、人として持つべき徳であると考えられ、それは国民性となって根付いている。それが当たり前であると思いがちだが、国境を跨げばそうでないようである。

それは中国人にも共通している性質かもしれない。何故なら、中国人たちは列に並ぶことを知らないからである。列に並ぶのは、”順番を待つという嫌なこと”を共有するという姿勢である。もちろん、韓国の方々は列に並ぶかもしれない。それは韓国がその西の国よりも先進国だからである。しかし、心の内部は両国とも同じだろうと推測する。 

上記考察は、サンプル数が少なすぎるという反論は当然である。個人差が大きいのは日本でも大陸でも同じである。当然、大陸にも他人の嫌なことや苦痛を進んで共有する人格者も大勢いるだろう(補足3)。日本の嫌なことの共有の精神は、中国の「己の欲せざる事を人に施すこと勿れ」から学んだのだから。ここで話題にしているのはそれぞれの国に根付いている”文化の違い”である。 

2)自分の顔を美容整形して全く別人の顔に変わることの決断に驚いた。更に、全く別人になった双子の娘の顔を、家族は手放しで歓迎している様子にも驚いた。自分の顔を全く別人のものにすることは、自分のアイデンティティーつまり原点を失う或いは放棄することになると思う。

それに対する抵抗はないのだろうか?と最初は思った。しかし、抵抗はあった筈である。彼女たちは、自分たちのアイデンティティーを捨てて、つまり、一度自殺して生まれ変わる道を選んだのだと思う。自分の醜い姿で生きることに、それほどの苦痛を味わったのだろう。韓国の美容整形の背景がわかったようにおもった。

そこで思い出すのは、東アジア圏で特にひどい歴史の改竄である(突然の発想飛躍が、このブログの特徴である)。歴史は民族のアイデンティティーである。

史記は、漢の武帝が司馬遷に書かせた、前漢の帝国としての正当性を示す歴史書である。それは、ヘロドトスのヒストリアイと対比される(補足4)。両方とも出来事をつなぎ合わせて物語にしたものであるが、前者には出来事のでっちあげが多く含まれる。

その前者の伝統の上に、日本の歴史書である日本書紀もある。西暦2016年は日本国建国から2656年目に当たる。つまり、2656年前の天孫降臨という大嘘(つまり神話)から日本の歴史物語(日本書紀)が始まるのである。実際の建国は、倭国が白村江の戦いに百済と戦ったものの破れ、完全に韓半島から追い出された後、唐の脅威から日本列島を護る為に他の幾つかの国を束ねたのが、大和朝廷(つまり日本国)の最初だろう。(補足5)

このように民族のアイデンティティーの出発点に歴史書があり、それは民族の顔と言えるだろう。出発点には神話という形で多くの捏造が含まれるが、途中で全く別のものに換えることはできない。それは民族のアイデンティティーの喪失となるからである。

ただし、国が滅んでしまった場合は別である。その時には別の国が改めて建国の神話を書くだろう。それが、ひょっとして、韓国の反日の歴史ではないだろうか。つまり、朝鮮王朝が滅んだ後、韓半島は日本に併合された。その断絶は整形で修正できる範囲を超えている。そこで最初から、慰安婦や安重根を用いて新しい建国の歴史を作っているのではないだろうか。日本が事実関係を照らし合わせて抗議するという形では、およそ解決する問題ではないのである。(補足6)

補足: 

1)テレビに出たら、「お前が俺の子であることが世間に出て、恥になる」と父親に言われ、弟には「友達が遊びに来るから、隠れていてくれ」と言われる。同年輩からはアンコー顏といわれて苛められる上に、家族からもこのように言われては、あの国で整形が流行るのはあたりまえだろう。 
2)より正確には、アンコー女と言われイジメられている場面で、「なんで私がいじめられるの。他の人だったらよかったのに」と言っている場面が再現されていたと記憶する。
3)大地の子の主人公の育ての父親、陸徳 志を思い出す。
4)岡田英弘「歴史とはなにか」文藝春秋社2001(文春新書)p55 ヒストリアイは、善と悪が戦って最後は善が勝つというスタイルで書かれており、史書は最初から一つの正統なる帝国という形で書かれている。
5)我々が小中学生の時には、任那日本府が地図とともに歴史の本に掲載されていた。倭人は韓半島に広く住んでいたことを示している。同様に、中国語を話す民族も日本に住んでいたという記述が歴史書にあった。(魏書の解説だったと思う)
6)池上彰氏がテレビ番組で同じ趣旨の発言をして、ネットで韓国民から攻撃されていたと記憶する。

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