2016年8月19日金曜日

生前退位という陛下に失礼なことば:日本語の難しさ

1)「生前退位」は失礼である。
“天皇陛下が生前退位の意向をお持ちである”とNHKテレビが初めて報じた。その報道について、明治天皇の玄孫の竹田恒泰氏は「生前退位」とは失礼な言い方だとテレビ番組「そこまで言って委員会」で指摘した。しかし、NHKはその後も「生前退位」を使い続けている。

生前ということばは、元々は「以前生きていたとき」の意味である。「生前、彼は酒豪だった」という風に使う。生前の「前」は、以前の「前」であり、生存中という意味はない。現在では例えば、生前贈与というような言葉で、「生前」が「生存中」という意味で使われるようになったが、それには訳がありそうである。その生前贈与と似た意味で、生前退位も使える筈だとNHKは考えたのだろう。

この生前贈与という言葉であるが、死んでから贈与など出来ないのだから、生前を贈与の前に付ける意味などないと普通考える。しかし、この「生前」には特別の意味がある。生前贈与とは、死亡した時相続されるだろうと思われる財産を、例えば親が生きている間に相続税の軽減を狙って子等に贈与しておくという意味である。死亡前に財産を譲っておくということだから、生前贈与の「生前」には、「死後」を意識した意味が含まれている。この生前贈与の例があるので、その意味の生前を退位の前につけて、「生前退位」をいう言葉をNHKは作ったのだろう。ご存命中の退位とすれば、問題視する人は現れなかっただろう。
追補:生前贈与という言葉もおかしい。しかし定着していると仮定して、上のようにごちゃごちゃと書いた。(8月20日午前10:50)

この「生前」は「以前、生きている時」という副詞句的意味を、漢字二文字で表したのだろう。(補足1)つまり、生前退位という言葉は、今上天皇の死後に御位の移動を回想的に言う時に使わるる言葉である。したがって、竹田恒泰氏が失礼だというのは、根拠のある指摘である。こんな考察は、NHKの連中にはできないのだろうか?

2)日本語は厄介なことばである。
日本語において、漢字の用法で混乱を生じるのは、十分日本語が発達していない段階で漢語を受け入れたため、日本語の骨格を歪めてしまったからだろう。(補足2)

漢語の特徴は、単語を互いの関係を無視してくっ付けて別の言葉を作ることである。上記「生前退位」もその一つである。日本語でもこの前後の関係を無視して、二つの熟語をくっ付けて使うので、誤解を生じやすい。例えば、「事前交渉」は「事前に交渉すること」であり、誤解が少ない。「深山幽谷」も同様に「深山と幽谷」の意味であり、誤解が少ないと思う。日本語では、普通助詞を適当に補って理解するのである。補うべき助詞であるが、事前交渉では「に」であり、深山幽谷では「と」であり、全く異なることに注目すべきである。

しかし、上記「生前退位」のところでも議論したように、深山幽谷の意味は微妙に「深山と幽谷」からずれるのである。どちらもその意味を問われれば、「人里遠く離れた奥深い山と、そこにある静かな谷」の意味だと答えるだろう。しかし我々日本人は、「深山幽谷」と「深山と幽谷」の違いを感じることができる。前者には言葉の意味に加えて、幽谷の佳人や仙人などを感じるのである。(補足3)

日本語では漢字(熟語)だけでなく、単語もくっ付けて新しい言葉にする。コンビニと人間をくっ付ければ「コンビニ人間」となる。しかし、その前後の単語の関係は大きく振れる。この夏の芥川賞受賞作は、「コンビニ人間」である。これまでの用法では、「コンビニ人間」は「コンビニで食料から日常雑貨など全てを買って、それで簡便な生活を送っている怠惰な生活を送る者」くらいの意味であったと思う。しかし、この芥川賞受賞作では「生まれながらにコンビニで働くように成形されたような人間」の意味である。しかし、ざっと芥川賞の選評を読んだところ、その点についてのコメントはなかった。

「生前退位」も「コンビニ人間」も、日本語の粗雑な特性を教えてくれる言葉である。
  尚、日本語で論理的議論が出来ないと良く言われる。その原因の一つは、上記例でも明らかなように単語に明確な定義がないことである。そのため、言霊が単語の中に入り込む余地があるのだ。対照的に英語などの西欧語では、単語が語源から整合的に組み上げられていて、意味が自ずと単語の中に含まれている。(補足4)

補足:
1)以前の前後をひっくり返した「前生(ぜんしょう)」という言葉は、前世の意味で今生(こんじょう)の対語である。
2)このことについては、以前書いたことがあります。このブログページを引用します。 http://rcbyspinmanipulation.blogspot.jp/2014/07/iii2013.html
3)単語に別の意味、神聖な感覚や侮蔑的な感覚などが加わる性質は、日本語において特に顕著である。これを言霊という。納得出来ない人が多いかもしれないので、別の例を挙げる。(男と女)と(男性と女性)という言葉はほとんど同じような意味がある。しかし犯罪を報じるニュースで犯人に言及するときは、前者(男や女)が使われるが、それらは決して被害者には使われない。その代わりに、後者(男性や女性)が使われる。つまり、「50歳の男性が35歳の女を殺した」ではなく、「50歳の男が35歳の女性をころした」と放送される。
4)日本語と英語の比較については、ホームページの一角に書いています。http://island.geocities.jp/mopyesr/kotoba.html

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