2017年2月14日火曜日

日本で男女差別が深刻な理由とその解消の方法

1)Newsweek日本版に「日本と中東の男女格差はどちらが深刻か」という記事が掲載されている。川上康徳という方の「中東ニュースの現場から」というコラムの中の一つである。その記事の出だしを再録したのが、以下の文章である。 http://www.newsweekjapan.jp/kawakami/2016/11/post-23.php

ダボス会議で知られる世界経済フォーラム(WEF)が10月下旬に各国の「男女格差(ジェンダーギャップ)」を比較した今年の報告書を発表し、日本は世界144カ国中111位だった。144位までのランキングを見れば、110位以下では中東の主だった国々16カ国が並んでいる。これを見る限り、日本の男女格差は「G7最下位」どころではなく、中東レベルである。

その後ろに数ベージを費やして、イスラムでの女性進出を拒む要因として、宗教と文化の影響を書いている。そして最後に、以下の様に結んでいる。 日本では、何が、女性を政治、経済、社会から排除し、社会の発展を阻害しているのだろうか。女性の社会進出を阻む要因が明確な中東で、女性たちの話を聞いてきた経験から考えるなら、問題の所在が見えにくい日本の状況は、中東よりも深刻に思える。 つまり著者には、日本での男女差別がひどい原因が分からないようである。

一方、記事の最初の方に以下のような話を入れている。この著者が、ツイッターで「日本の男女格差は中東レベル」とつぶやいたところ、元「一部上場企業の執行役員」と名乗る人から、「利益を追求する企業にとって女性はハッキリ戦力ダウンになり企業同士がしのぎを削っている時、致命傷になりかねない」という反応があったというのである。

現場から一つの答えが提供されているのに、このコラムの著者はこの言葉以外のところで答えを探しているのである。つまり、日本の女性は平均して欧米等先進国の女性に比較して能力が低いことが原因である。(補足1)しかし、それを真正面から言えるひとは少ない。中東の女性の姿を追っても、直接答えには到達しないだろう。

2)その原因は恐らく幼児教育にあると思う。全く数値データを持ち合わせていないので、以下これまでの知識に想像を加えて書く。

西欧では日本ほど男女差別がないところを見ると、日本における男女の能力差の原因を探すのに、遺伝子のレベルにまで遡る必要はないだろう。また、学校教育では、男女殆ど同じ内容の教育をしているだろうから、現在そこには“男女差別”に関連しての問題はないと思う。従って、殆どが各家庭で行われる幼児から教育に原因を求めるべきだと思う。

子供の知識の習得は、先ず母親との接触、次に家庭での日常生活、更に外部に出て自然との接触や子供同士の交流、などという順番に対象を広げて行われるだろう。その中で、女児の外界への接触の範囲が男児に比べて狭められている可能性が高いと思う。

つまり、家族、特に母親の子供への接し方は、女児の関心の方向を家庭内に向けていると思う。それは、母親がそのような教育を受けたからであり、その根本に勿論日本文化がある。女児の関心が、社会や自然よりも日常生活に偏向させられた結果、子供同士の交流の中で男女が別々に集まることになり、その是正は為されずに子供たちは学校教育に入る。

より具体的には、例えば玩具として、女の子には人形を与え、男の子には模型の自動車を与えるなど、殆ど無意識に偏向した幼児教育が行われている。それがそのまま、幼児の関心の方向を歪めるという、フィードバックループ効果で男女の違いが形成されるのではないだろうか。(補足2)

3)どこに根本の問題があるのかを考える。
このような幼児教育の差は、日本社会に男女を子供のときから別々に育てたいという文化の反映だと思うのである。そのまた原因として、男女を分離して育てなければ性の乱れが起こりうるという恐れがあるのだと思う。つまり、究極のところ、中東と同じ動機が別の形で男女差を作っていると思う。

この点をもう少し考える。社会が高度化するに従って教育期間が長くなり、成人とみなされる年齢が高く設定されるようになる。一方、文明の発展は食糧事情などの好転を意味し、生物学的な成熟年齢がむしろ低下する。生物学的な成熟年齢から社会的な成人年齢までの間、性を分離しなければ社会は健全に維持出来ない。

この性の問題の解決法の一つとして、人間は結婚という形式を作り上げ、社会の安定が性の問題で脅かされないようにした。そして、西欧キリスト教圏では、一夫一婦制が堅持され、更に“洗練された恋愛”という文化を作り上げることにより、男女間のバリアを個人の人格の中に作り上げた。(補足3)その結果、男女は自由に同等の幼児教育を受けることが出来るようになったのではないだろうか。(補足4)一方、日本やイスラム圏では、男女間のバリアを社会の分割により作り出している。それが、この男女差別問題の根本的原因であると考える。

その社会の分割を、宗教的に行っているのがイスラム圏であり、空間的に分離しているのが日本であると思う。日本では、その準備として男児と女児の関心を別に設定して、幼児教育をしているのだろう。社会での男女の空間が別々に設定されているので、そのような教育を受けた方が人生において有利である。その社会と教育のフィードバックループが出来上がっている以上、それを破壊することが男女差別を無くする根本的方法である。

しかし、それを強引に行えば、一時期強い副作用を生じるだろう。従って、強い政治の関与がなくては出来ないだろう。

補足:
1)子供の頃の話であるが、出身県のトップの高校は10クラスで構成され、合計定員が500人だった。そのうち約350名が男性であった。この学力差を考えないで、男女差別を無くするには逆差別しかなく、それを実行すれば、例えば会社の戦力低下になるのは明らかである。
2)フィードバックループとは、原因が結果を生み、その結果がその原因を強めることになるという増幅効果である。電気回路での特定の周波数の電波を作り出す発振器は、この効果を用いている。
3)これは男女の間のバリアであると同時に人と人の間のバリアである。これは個人の自立と等価であり、それが西欧の民主主義社会をつくりあげたのである。個人の自立が民主主義の正常な機能についての必要条件であることは、例えば、小沢一郎氏の「日本改造計画」に書かれている。
4)このあたりから、考察において社会を観察した結果よりも私の想像の占める割合がおおきくなる。別の考え方が存在する可能性は勿論否定しない。

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