2017年3月6日月曜日

 現政権の考える憲法改正のポイントは、第9条ではなく第1条「天皇を国家元首とする」である

1)森友学園騒動:
森友学園騒動から学ぶべきことは多い。その一つは政治の腐敗は未だに深刻であることである。近畿財務局の官僚たちに、そして官僚一般に関心があるのは、自分たちの身分と出世のみであり、良識など期待できないことである。(補足1)

更に重要なことは、①森友学園の理事長が日本会議の執行委員の一人であること、その籠池理事長が経営する②塚本幼稚園での異常な教育、更に、③自民党主力議員の多く(安倍総理や麻生副総理を含めて240名ほど)が日本会議の重要メンバーであること、(補足2)以上3点の交差するところに何があるかということである。

塚本幼稚園での異常な教育は、園児に教育勅語を暗唱させたり、運動会で「安保法制国会通過よかったです」などと宣誓させたりしていることで明らかである。(補足3)この異常さは、日本会議の政治方向と無関係ではないと思う。日本会議の本音が強調されて出ているのだろうが(補足4)、それは我々一般国民にとって、今後の政治と日本会議との関係を考える良いヒントを与えてくれると思う。

日本会議は、自主憲法制定や皇室典範を改定して天皇家が男系で安定的に継続されるようにすることなどを、重要な日本の課題と考えている。そして、現在政権を担当している自民党議員の主力がそこに参加し、且つ、党の日本国憲法草案を作った中心もそこに含まれている点に注目すべきである。

2)現政権の考える日本国憲法改正のポイントについて:
日本国憲法の改正のポイントは、現在の第9条2項に関するものだとおもうだろう。しかし、私はそれだけではないと思う。自衛軍の保持は、どの独立国も当然のことと考えているだろうから、何の問題も生じないだろう。日本国も、憲法を改正して独立国家らしく自衛隊を自衛軍と改名し、「交戦権を持たない」などの法的な縛りをなくすべきだと思う。また、現在のように国家の自衛を他国の軍事力に大幅に頼る体制を改めるべきだと思う。

ただし、それを指揮するのは100%国民の代表と言える存在であるべきであり、それが、昭和の大戦時のように、どこにあるのか分からないようになる可能性を残すべきではない。つまり、憲法を改正する際に注意すべきは、自民党憲法草案第一条にある天皇を国家元首にするという思想である。(補足5)

私は、明治維新以降の日本の政治を国家として再評価することなく、天皇を再び国家元首にすることには反対である。その理由は、天皇がその時代の権力に屡々利用されてきたからである。明治時代初めには薩長勢力に利用されてきたし、また、昭和の大戦時においては軍部に利用されてきた。その歴史について国家としての再評価がなされていないし、歴史教育として国民に周知されてもいない。

日本会議は、天皇元首制を用いることで国民を統合して、その統治を容易にすることを考えているのだと思う。そして、その様な真実と論理に基づかない権力の行使が、非常に危険であることを示したのが今回の森友学園の騒動である。14億円の国民の財産を奪い取ることなど小さなことである。それよりも国民の命を消耗品の如く使った、先の大戦をおもいだすべきである。

3)前進するためにはこれまでの総括が必要:
国民の総意で政治を行うには、公の空間とそこでの議論が必須である。しかし明治以降の日本国には、それを支える文化も言語空間もなかったと思う。そして現在も、東アジアの半文明国の状態から抜け出せていない。つまり、日本のこの130年間は、西欧の模倣(もっと悪く言えば猿真似)の歴史だったと思う。

その証拠に、既に述べたことであるが、近代史のレビューは(補足6)一切されていない。それは、行動の一つ一つに論理的説明を付けることが不可能だからである。論理的でない政治には強引な力が必要である。時の権力が、その力として利用してきたのが天皇という存在ではなかったか?

例えば、明治維新では、天皇という地位を乗っ取り利用して、時の権力者を葬るのに利用した。(補足7)その後の政治システムの近代化は確かに偉大な革命であったが、それは西欧の国の指南のままに行われたという考えが有力である。何故なら、薩長の武士にそれを生み出す歴史も知性もある筈がないからである。(補足8)

先の大戦において、天皇の統帥権という明治憲法の条文を利用した軍の暴走があったにも関わらず、それに関する日本国独自のレビューは一切されず、それらの責任者を尊い命を捧げた英霊とともに、靖国神社に合祀した。そして戦後、国家のトップは何の抵抗も感じることなくそこへの拝礼を繰り返してきた。このことは、中国などの批判などなくとも、国内からも批判されるべきである。(補足9)

そのような歴史があるにも関わらず、日本会議の設立宣言の第二段落に「有史以来未曾有の敗戦に際会するも、天皇を国民統合の中心と仰ぐ国柄はいささかも揺らぐことなく、云々」と書かれている。そのような思想的背景の下、日本会議とそれが主要なる力を持つ現在の自民党政権は、改正憲法において天皇を国家元首と規定し、自分たちの権力のバックアップを企んでいるのである。

補足:

1)官僚機構は手足であり、そこに“良識”という意思を期待する方が間違いだろう。それなら、パソコンやネットで大幅に事務効率が上がったのだから、もっと人員削減がされて良いと思う。 この件、司法のレベルでは不正があったと断定されていないが、これまで報道された事実から、不正が存在したと判断する。以下その前提で書く。
2)日本会議国会議員懇談会というのがある。そこに、参加する国会議員の名簿が掲載されている。
3)森友学園が運営する塚本幼稚園(大阪市淀川区)で2015年10月に行われた運動会において、組体操に先立って行われた園児4人が右手を挙げて行った選手宣誓の中身を以下に記す:「尖閣列島、竹島、北方領土を守り、日本を悪者として扱っている中国、韓国が心を改め、歴史教科書で嘘を教えないようお願いします」、「安倍首相ガンバレ、安倍首相ガンバレ、安保法制国会通過よかったです」。http://www.j-cast.com/tv/2017/02/27291624.html
4)今回の騒動は、籠池氏が日本会議を利用して、大きな利益を得ようとしたものと考えられる。日本会議におもねるために、日本会議の方向に沿った教育を強調して実施して見せたのだと考えられる。
5)日本国民の統合を、安易に天皇を元首にして、それに頼るべきではないと思う。改正憲法では、天皇の国事行為を削減し、象徴と呼ぶにふさわしいようにすべきだと思う。国民の統合は、日本の歴史と文化を学ぶことで行うべきだと思う。明治以降の歴史においても、プラスとマイナスの両面あるが、誇りを持てる歴史であると思う。
6)レビューとは審査や総括、或いは再度検討すること。
7)孝明天皇は大政奉還後も幕府とその官僚を頼っていた。それが邪魔になった薩長と下級貴族らは、孝明天皇を排除し、それがあまり周知されることのないように江戸に遷都したという説がある。
8)司馬遼太郎の明治維新の解釈は司馬史観と言われて人気があったが、現在の歴史家はそれを否定している。例えば、「明治維新という過ち」(原田伊織著)など参照。
9)これについては、3年ほど前に書いたブログ記事を引用します。http://blogs.yahoo.co.jp/mopyesr/41369336.html

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