1)北朝鮮の今朝のミサイル発射失敗がテレビの報道番組の話題になっている。辛坊さん、「今後アメリカがどう対応するか問題だ」と言った。本当の問題は、「日本が今後どう対応をするか」だと思うが、このレベルの人にはそんな視点はない。解説の宮家氏も橋下五郎氏も同様。米国の方にしか、頭も顔も目も向いていない。米国の新大統領のトランプに、従来と違った対応ができるだろうか。
武田邦彦さんが「大国が小国に圧力をかけるとどうなるか、戦前の日本を参考にすべきだ」と言って、米国の姿勢に疑問を呈した。それは、ゼロから考える科学者の習性から考えて当然の発言である。科学用語をもちいれば、微分法で専門家は考える癖がある。そうではなく、原点から時間積分をした結果の状態(関数)そのものをかんがえるべきだ。原点とは、近似的に近代の歴史が始まった時である。
米国の従来の対応とは、馬渕睦夫さんの“米国により作られた朝鮮戦争”で解釈でき、アジアに混乱のタネをのこして、米国が“世界の警察官”としての地位と利益を得る戦略である。アジアは(勿論日本を含めて)将来の敵と考えることが、これらの戦略の原点である。もっとも危険だった日本を骨抜きにした。今は、急激に危険な国となった中国を念頭に置いている筈。特に、中国と日本の接近は絶対に許すべきではない。それがニクソンとキッシンジャーの戦略だったと思う。https://www.youtube.com/watch?v=koEXjABGggY
ユダヤ資本家のグローバリズムは、白人プロテスタント支配の世界帝国をつくることではないだろうか。ユダヤ人資本家は、知的な人たちであり、ユダヤ教もキリスト教も含めて宗教なんか信じていない。宗教を信じるイスラムや、訳のわからない考え方というか、西洋の論理では理解不能な考え方をするアジア人が、力を持つのは困るということだろう。
それは、彼らが自分たちの視点にこだわるからである。自分たちの苦難の歴史から来た人間不信が底にあるのかもしれない。そして、一神教文化の下に育った人たちは、自分たちの知性を優れたものと考える自惚れがあるのだろう。核兵器を異なった考え方をする人や訳の分からないアジアの人たちに拡散させることは、絶対に避けねばならないと考えているだろう。その考えは、かれらの進めるグローバリズムの文字どうりの解釈とは矛盾する。つまり、グローバリズムというものの正体は、彼らの世界支配という意味だろう。
2)彼らが、北朝鮮の人間は何を考えているのか解らないというだろう。米国を主人と考える日本の多くの人たちも、アジア人であるにも拘らず、同じように「北朝鮮は何を考えているのか解らない」というだろう。しかし、70年前の自国を顧みれば瞭然と見えるにも拘らず、あえてそれを見ようとしないのだ。「米国の脅威と自国(=現在の体制)の安全」が、北朝鮮(金正恩)の頭の中身である。朝鮮戦争の正式な終結と米国、韓国、日本との講和が、北朝鮮を大人しくする方法である。トランプならそれがわかっている筈。
核兵器の完全放棄を条件にすることは、嘗ての日本に照らせば、天皇が戦犯となるかもしれない無条件降伏を条件とすることと同じである。おそらく金正恩の下ではその決断は無理だろう。金正恩は、自分の権力と命が核兵器を放棄した段階で失われることを知っているからである。従って、和平を目指すのなら核開発の凍結を条件とすべきである。
「日本も韓国も核兵器を持てば良い」とトランプは嘗て言った。それは、アメリカンファーストの考えの必然的な結果である。つまり、アメリカンファーストとは、他国に自国ファーストを許す世界体制である。従って、核兵器による国連常任理事国による世界支配という体制の放棄も意味している。同時に、ユダヤ支配層のグローバリズムも放棄することを意味している。トランプが、「おれはリンカーン以降の米国で、最高の大統領になるだろう」と言った意味はそこにあると思う。
日本が22世紀に生き残るつもりなら、トランプのアメリカンファースト路線に協力すべきである。従来のアメリカ支配層に盲従してきた日本の政治、官僚機構、報道の人たちは、自分たちの地位の喪失を恐れて、大統領候補だった時のトランプ氏をキチガイ扱いしてきたことを、国民は思い出すべきである。(素人の意見です。批判等歓迎します。)
2017年4月29日土曜日
2017年4月26日水曜日
言葉狩の政治&報道文化:社会の健全な言語空間を維持する工夫が大事
1)今村復興相は25日夜、所属する自民党・二階派のパーティーで講演し、3.11の大震災について「まだ東北で良かったものの、首都圏に近かったら莫大な被害があった」と述べた。この言葉に対する批難で日本のマスコミ周辺が沸騰状態となり、今村大臣は事実上首になった。
http://www.news24.jp/articles/2017/04/25/04359881.html
東日本大震災関連の失言が原因で辞任した大臣として他に、鉢呂経産大臣がいる。災害の結果人通りが無くなった町を「死の町」とか言って、東北被災民の神経を逆撫でしてということだ。本音を思わず言ってしまったのは失敗だが、辞任に追い込むほどのことではないと思う。勿論、本当のことでも言わない方が良い場合も多く、その判断は社会生活をする上で大事である。しかし、どちらもテレビで報道されているほどに腹を立てるのはおかしい。過敏な反応の人を選んで証言等を放送しているのだろう。
東北の人たちも、言葉使いにそんなに神経を使って欲しいわけではなかろう。それよりも、必要な支援を適切且つ迅速に行ってもらうことの方が大事ではないのか?そして、今村大臣がその最前線にあって努力をしてきたとしたら、その実績を先ず評価すべきではないだろうか。口先だけのサービスを欲しいわけではなかろうにと思う。
2)著名な政治家ほど、票を獲得することが何よりも大事だと言う。大衆から嫌われたら終わりであるから、テレビ画面に映る自分の姿と放送される言葉に極度に気を使う。一方、報道機関は、テレビなどで大衆の関心を引くことが直接業績に影響する。公共の福祉に貢献するという放送法第一条など、飯の種にはならない。その両者の相互作用の結果生まれたのが、過敏な言葉狩りの文化だと私は思う。
政治貴族出身の安倍総理は、その文化を熟知しているので、票への悪影響が確実と考えた段階で今村大臣を解任した。それは上記文化を良しとすれば当然だろう。しかし、それは政治と報道の世界のことである。政治家の片言隻句にアレルギー反応するよう、大衆を煽るのが仕事だと、報道機関の連中は考えていると思う。その特殊な世界の異常な文化を反映した出来事だろう。巨額の国有財産をただ同然に払い下げるのも、政界官界の異常な文化なら(森友学園、加計学園)、過敏な言葉狩も政治と報道機関の世界での異常な文化だと思う。
そんな言葉狩の文化を一般社会の標準にしてしまえば、大衆も誰も彼も寡黙になり、「沈黙は金」の社会が出来上がる。国民は政治家の言葉に対しもっとおおらかでよいのではないだろうか。そして、たまに羽目を外した発言が出ても、指摘はするが許容する方が住みやすい社会が出来上がるのではないだろうか。
3)一般論:
人間は社会をつくって生きており、その社会の中での人と人の様々な関係は、互いに交わす言葉で作られている。それは本音の世界ではなく、社会を作って生きるという意思の元につくられた仮想的な言葉の世界である。
プライベートな世界(時間)では、真実(本音)を言葉にすることは、心に溜まったゴミ処理のような面もあるし、放電したエネルギーのチャージアップの意味もあるだろう。このプライベートな時間で漏らした言葉まで、公的な空間に引きづり出すのは侵害行為である。派閥のパーティーがそれに相当するか分からないが、仲間内での話も准プライベートな時間である。ただし、仲間と思っていた人がそうでない場合もあるので、その際の言葉使いには一定の用心が必要である。
話は飛ぶが、最近Twitterとか言うパソコン上の道具が普及している。多くの人は、そこにプライベートな言葉遣いで、色々書き込んでいるようだ。また、youtube の動画にコメントを書くと、パソコンの前には人はいないからだろうか、礼儀を弁えないような返信が返ってくることが良くある。最近の人たちは、上記の仮想的な言葉の世界とプライベートな世界の境界を十分意識していない可能性が高い。そして、それは人々を伝統的な社会生活に不適応にする可能性が高い。
パソコンやスマホの出現により、そのような社会の悪しき流れに、人々は巻き込まれているのではないだろうか。
井上陽水の歌には面白いのが多い。その中に「青空、ひとりきり」という歌がある。その歌詞の初めの部分は、「楽しいことなら何でもやりたい。笑える場所ならどこへでもいく。悲しいひととは会いたくはない。涙のことばでぬれたくはない。青空 あの日の青空 ひとりきり」である。
社会生活をするということは、悲しいひとと会い、涙の言葉に濡れることである。特に政治家はそれが生業だろう。青空での下で一人きりになったとき、この歌を歌う自由が、プライベートな時を持つ個人の権利なのだ。それを漏れ聞いて、吊るし上げられたら、人は生きられない。しかし、社会の表でこの歌の通りに振る舞えば、社会人として失格である。
東日本大震災関連の失言が原因で辞任した大臣として他に、鉢呂経産大臣がいる。災害の結果人通りが無くなった町を「死の町」とか言って、東北被災民の神経を逆撫でしてということだ。本音を思わず言ってしまったのは失敗だが、辞任に追い込むほどのことではないと思う。勿論、本当のことでも言わない方が良い場合も多く、その判断は社会生活をする上で大事である。しかし、どちらもテレビで報道されているほどに腹を立てるのはおかしい。過敏な反応の人を選んで証言等を放送しているのだろう。
東北の人たちも、言葉使いにそんなに神経を使って欲しいわけではなかろう。それよりも、必要な支援を適切且つ迅速に行ってもらうことの方が大事ではないのか?そして、今村大臣がその最前線にあって努力をしてきたとしたら、その実績を先ず評価すべきではないだろうか。口先だけのサービスを欲しいわけではなかろうにと思う。
2)著名な政治家ほど、票を獲得することが何よりも大事だと言う。大衆から嫌われたら終わりであるから、テレビ画面に映る自分の姿と放送される言葉に極度に気を使う。一方、報道機関は、テレビなどで大衆の関心を引くことが直接業績に影響する。公共の福祉に貢献するという放送法第一条など、飯の種にはならない。その両者の相互作用の結果生まれたのが、過敏な言葉狩りの文化だと私は思う。
政治貴族出身の安倍総理は、その文化を熟知しているので、票への悪影響が確実と考えた段階で今村大臣を解任した。それは上記文化を良しとすれば当然だろう。しかし、それは政治と報道の世界のことである。政治家の片言隻句にアレルギー反応するよう、大衆を煽るのが仕事だと、報道機関の連中は考えていると思う。その特殊な世界の異常な文化を反映した出来事だろう。巨額の国有財産をただ同然に払い下げるのも、政界官界の異常な文化なら(森友学園、加計学園)、過敏な言葉狩も政治と報道機関の世界での異常な文化だと思う。
そんな言葉狩の文化を一般社会の標準にしてしまえば、大衆も誰も彼も寡黙になり、「沈黙は金」の社会が出来上がる。国民は政治家の言葉に対しもっとおおらかでよいのではないだろうか。そして、たまに羽目を外した発言が出ても、指摘はするが許容する方が住みやすい社会が出来上がるのではないだろうか。
3)一般論:
人間は社会をつくって生きており、その社会の中での人と人の様々な関係は、互いに交わす言葉で作られている。それは本音の世界ではなく、社会を作って生きるという意思の元につくられた仮想的な言葉の世界である。
プライベートな世界(時間)では、真実(本音)を言葉にすることは、心に溜まったゴミ処理のような面もあるし、放電したエネルギーのチャージアップの意味もあるだろう。このプライベートな時間で漏らした言葉まで、公的な空間に引きづり出すのは侵害行為である。派閥のパーティーがそれに相当するか分からないが、仲間内での話も准プライベートな時間である。ただし、仲間と思っていた人がそうでない場合もあるので、その際の言葉使いには一定の用心が必要である。
話は飛ぶが、最近Twitterとか言うパソコン上の道具が普及している。多くの人は、そこにプライベートな言葉遣いで、色々書き込んでいるようだ。また、youtube の動画にコメントを書くと、パソコンの前には人はいないからだろうか、礼儀を弁えないような返信が返ってくることが良くある。最近の人たちは、上記の仮想的な言葉の世界とプライベートな世界の境界を十分意識していない可能性が高い。そして、それは人々を伝統的な社会生活に不適応にする可能性が高い。
パソコンやスマホの出現により、そのような社会の悪しき流れに、人々は巻き込まれているのではないだろうか。
井上陽水の歌には面白いのが多い。その中に「青空、ひとりきり」という歌がある。その歌詞の初めの部分は、「楽しいことなら何でもやりたい。笑える場所ならどこへでもいく。悲しいひととは会いたくはない。涙のことばでぬれたくはない。青空 あの日の青空 ひとりきり」である。
社会生活をするということは、悲しいひとと会い、涙の言葉に濡れることである。特に政治家はそれが生業だろう。青空での下で一人きりになったとき、この歌を歌う自由が、プライベートな時を持つ個人の権利なのだ。それを漏れ聞いて、吊るし上げられたら、人は生きられない。しかし、社会の表でこの歌の通りに振る舞えば、社会人として失格である。
2017年4月24日月曜日
北朝鮮が軟着陸すれば、韓国ほどの反日国にはならないだろう
1)金正日の料理人を勤めた藤本という人が、金正恩と交わした会話を紹介している場面をテレビでみた。金正恩は「日本では北朝鮮の核武装をどう考えているか』と質問したので、藤本氏は「日本は被爆国ですから、核武装の評判は悪いです」と答えたという。(ぼんやりと聞いていたので、すこし、不正確かもしれません)
その瞬間、金正恩が机を叩いて、「核武装しなければ、敵(アメリカ)に攻撃される可能性が高くなるのだ」と言ったという。 この場面は、昨年に収録されたという。
藤本氏は政治の世界にはいないが、話の信憑性は誰のものよりも高いと思っている。何故なら、金正日氏の後継を決める際、評論家のほとんど全員が金正男の名前を最有力候補として挙げていた時に、藤本氏は「後継は、金正恩です」と断言したからである。また、紹介される話は自然で、作為は感じられない。
数年前にも、藤本氏はテレビに出演して金正恩について話していたとき、以下のような会話を紹介した。金正恩は「日本での我国の評判はどうか」(”私の評判”だったかもしれない)と聞いたので、藤本氏は「残念ながら、あまり良く無いです」と答えたというのである。
日本の評判に多少とも関心があるのは、将来のポジティブな関係を考えているからだと思う。また、彼の母親が日本出身(在日だと言われている)であることも関係があるだろう。
北朝鮮には、李承晩のように米国の手先となって、国民に悪質な対日感情を植え付けたリーダーはいなかっただろう。そのように考えると、将来的にどうしようもない敵国となるのは北朝鮮ではなく、韓国の方のような気がする。
2)トランプ大統領には、産軍共同体の圧力を振り切って、平和的解決をしてほしいものである。朝鮮戦争の終結と講話条約締結、それが条件なら核開発の完全停止に北朝鮮は決断すると期待できる。
元ウクライナ大使の馬渕睦夫さんは、その著書「国難の正体」において明確に書いておられる。朝鮮戦争を継続するのは、アジアに混乱のタネを残すという米国の産軍共同体の戦略であると。日本は完全に米国のポチが支配しているので、そのような考えはテレビでもほとんど紹介されない。そして、馬渕さん自身もテレビから完全に締め出されている。
悪質なマスコミと米国追従派の政治家たちは、産軍共同体の支配する米国の支配層の指示のままに動いている。その洗脳から自由になるためにも、以下のような動画も見て欲しいと思う。https://www.youtube.com/watch?v=Rl7oyG4ebwk&list=PLkYcQ3720fK1WLqqyfXlnZnYP-13EEuS1(馬渕睦夫氏と今は亡き渡部昇一氏との対談です。)(16:00編集)
その瞬間、金正恩が机を叩いて、「核武装しなければ、敵(アメリカ)に攻撃される可能性が高くなるのだ」と言ったという。 この場面は、昨年に収録されたという。
藤本氏は政治の世界にはいないが、話の信憑性は誰のものよりも高いと思っている。何故なら、金正日氏の後継を決める際、評論家のほとんど全員が金正男の名前を最有力候補として挙げていた時に、藤本氏は「後継は、金正恩です」と断言したからである。また、紹介される話は自然で、作為は感じられない。
数年前にも、藤本氏はテレビに出演して金正恩について話していたとき、以下のような会話を紹介した。金正恩は「日本での我国の評判はどうか」(”私の評判”だったかもしれない)と聞いたので、藤本氏は「残念ながら、あまり良く無いです」と答えたというのである。
日本の評判に多少とも関心があるのは、将来のポジティブな関係を考えているからだと思う。また、彼の母親が日本出身(在日だと言われている)であることも関係があるだろう。
北朝鮮には、李承晩のように米国の手先となって、国民に悪質な対日感情を植え付けたリーダーはいなかっただろう。そのように考えると、将来的にどうしようもない敵国となるのは北朝鮮ではなく、韓国の方のような気がする。
2)トランプ大統領には、産軍共同体の圧力を振り切って、平和的解決をしてほしいものである。朝鮮戦争の終結と講話条約締結、それが条件なら核開発の完全停止に北朝鮮は決断すると期待できる。
元ウクライナ大使の馬渕睦夫さんは、その著書「国難の正体」において明確に書いておられる。朝鮮戦争を継続するのは、アジアに混乱のタネを残すという米国の産軍共同体の戦略であると。日本は完全に米国のポチが支配しているので、そのような考えはテレビでもほとんど紹介されない。そして、馬渕さん自身もテレビから完全に締め出されている。
悪質なマスコミと米国追従派の政治家たちは、産軍共同体の支配する米国の支配層の指示のままに動いている。その洗脳から自由になるためにも、以下のような動画も見て欲しいと思う。https://www.youtube.com/watch?v=Rl7oyG4ebwk&list=PLkYcQ3720fK1WLqqyfXlnZnYP-13EEuS1(馬渕睦夫氏と今は亡き渡部昇一氏との対談です。)(16:00編集)
2017年4月23日日曜日
安倍総理のロシア訪問に期待すること:森本敏氏と櫻井よしこ氏の考え方について
1)プーチン大統領率いるロシアとの関係について、先週末のBSフジのプライムニュースで放送された、櫻井よしこさんと森本敏さんの意見をyoutubeで聞いた。
https://www.youtube.com/watch?v=YdahjwFV_4c
国際社会からの経済制裁と原油安がロシア経済を低迷させており、プーチン大統領の求心力が相当低下していることについては、両氏のおっしゃる通りだと思う。また、今回の米国によるシリア攻撃は、ロシアの威信を低下させ、プーチンの求心力も更に低下させるだろう。
両氏はシリア反体制派への化学兵器使用がアサド政権によるものだと完全に信じ、米国の爆撃を支持されている様である。しかし、人道に反する行為を処罰するつもりであっても、それが新たな人道に反する行為を産む素地をつくるのなら、何のための攻撃か分からない。両氏が完全に米国を信頼し、その全ての国際的な行動を支持していることに、私は一種の不信感を持つ。そして、同様の視点を日本の総理に求めることに、両氏が政治評論の分野で高い地位を持つだけに不満に思う。(補足1)
今回のモスクワ訪問に際して、安倍総理の対露交渉がどうあるべきかについて二人の回答を以下に書く。櫻井さんは“領土問題交渉において国際社会から非難を受けるような、安易な妥協をしない”ように期待しておられる。一方、森本氏は、“米国のようにプーチン大統領を追い込むのではなく、むしろヨーロッパとの協調の方向を勧める。また、日本を引きつけて自分の立場を強化しようと考えるだろうが、その策略に利用されないよう気をつけるべき”と言っておられる。
要するに、両氏とも安倍総理がロシア関係では何もしない方が良いと考えておられるようだ。その理由は、両氏とも米国が信頼できる相手であるから、今後とも米国との同盟関係を強める以外に何か(特に対露で)特別なことをやるのは危険だと考えておられるようだ。
2)この番組の最後に、両氏は今後の日本外交に関し総括的な提言をされている。
森本敏氏の意見:「今日の同盟は、価値観を共有する同盟ではなく、国益を共有する同盟である。いかなる場合でも、米国にきちっと注文もし、利益を共有できる最も信頼できる同盟国としての日本の位置を維持すべき。その為には、同盟を強化する更なる努力が必要だと思う。そのためにも日本は、防衛力の強化に努めるべきだ。日本が今後国際社会の中でより多くの利益を得るためにも、必要不可欠な手段である。」
櫻井よしこ氏:「表現は違うが大体森本氏の意見と同じである。(一言で言えば、)普通の民主主義の国になるべき。現在日本は普通の民主主義国ではない。憲法をみても、防衛の根本的な考え方(専守防衛)をみても、普通ではない。憲法や自衛隊法を改正してシビリアン・コントロールの下の軍事力を民主主義的手続きで持つべき。」
その後の読者の質問に回答する形で、櫻井氏は「現在のあるべき日米関係の基本的考え方はresponsibility sharing(責任分担)である。日米安保条約の範囲ではあるが、日本はより多くのことに責任を持つことが米国の日本への要請である。国際情況をみても日本がその方向で努力すべきである。米国が世界の警察官としての役割の一環で日本を護ってくれるという期待すると考えることは終わりにして、その部分は日本が独自にやらなければならない。」と答えた。(補足2)
これらは、既に書いたように完全に米国に追従する路線を、両氏は日本の取るべき道と考えられていることを示している。
3)私は以下のように考える。現在、中国と米国は互いに仮想敵国同士だが、日本との関係においては、ニクソンの時代から、或いは蒋介石時代から一貫して、米中は共通の利益を共有している。それは日本の無力化である。戦後、米国が一貫してやってきたことは、自国の利益となるような国に日本を調教することだったのではないだろうか。本当の同盟国なら、日本が普通の独立国となるのを支援する姿勢が見える筈であるが、それは無かった。(補足3)
トランプ大統領の出現で、日米関係が対等な同盟関係に成長することを期待した人はおおいだろう。しかし、昨今のトランプ大統領の様子をみると、どうも伝統的な共和党出身大統領になったように思える。そう考えると、ロシアは日本の22世紀に向けた生存にとって、鍵となる国かもしれない。 安倍総理がプーチン大統領と会談する際、北方領土の返還を直接要求するよりも、日本国民が「ロシアは信頼出来る隣国である」と感じるような両国関係の方向を示して欲しいと要求することが大事だと思う。
また、常に米国という窓からしか国際情況を眺められない日本の宿命を超えて、全く違う視点から世界を見る貴重な機会ではないかと思う。精々、プーチン大統領の視点から見た世界の姿を見聞してほしいと思う。例えば、北朝鮮問題が危機的情況にある現在、本当に北朝鮮は気違いのような指導者に率いられた国なのか、プーチン氏の考えを聞くのも良いことだろうと思う。
(補足3は翌日朝追加:これは素人の意見ですので、批判等は歓迎します)
補足:
1)米国等による経済制裁は、露によるクリミヤの併合による。しかし、この件の引き金となったウクライナでのクーデターには、米国が深く関与したという説があり、米国の言い分を100%信じる両氏の姿勢には疑問がのこる。アラブの春やイラク戦争において、米国に不正な関与があったと考えるばあい、米国の言い分を100%支持する姿勢に説得力はない。(田中宇氏のブログなど参照)
2)質問は、「アメリカは世界の警察官にもどったのでしょうか?」であった。米国が世界の警察官かどうかについては、4/20の記事を参照してください。
3)これは米国の責任ではなく、日本の責任である。米国が米国の国益を追求するのは当然である。その責任の第一は、国家体制が明治維新の革命体制から一歩も成長しなかったことが原因で大きな戦争になり、完敗してしまったことである。その第二は、吉田茂以下の戦後首相に、死を覚悟してまで日本の本来の意味での独立を考えた政治家が出なかったことである。
国際社会からの経済制裁と原油安がロシア経済を低迷させており、プーチン大統領の求心力が相当低下していることについては、両氏のおっしゃる通りだと思う。また、今回の米国によるシリア攻撃は、ロシアの威信を低下させ、プーチンの求心力も更に低下させるだろう。
両氏はシリア反体制派への化学兵器使用がアサド政権によるものだと完全に信じ、米国の爆撃を支持されている様である。しかし、人道に反する行為を処罰するつもりであっても、それが新たな人道に反する行為を産む素地をつくるのなら、何のための攻撃か分からない。両氏が完全に米国を信頼し、その全ての国際的な行動を支持していることに、私は一種の不信感を持つ。そして、同様の視点を日本の総理に求めることに、両氏が政治評論の分野で高い地位を持つだけに不満に思う。(補足1)
今回のモスクワ訪問に際して、安倍総理の対露交渉がどうあるべきかについて二人の回答を以下に書く。櫻井さんは“領土問題交渉において国際社会から非難を受けるような、安易な妥協をしない”ように期待しておられる。一方、森本氏は、“米国のようにプーチン大統領を追い込むのではなく、むしろヨーロッパとの協調の方向を勧める。また、日本を引きつけて自分の立場を強化しようと考えるだろうが、その策略に利用されないよう気をつけるべき”と言っておられる。
要するに、両氏とも安倍総理がロシア関係では何もしない方が良いと考えておられるようだ。その理由は、両氏とも米国が信頼できる相手であるから、今後とも米国との同盟関係を強める以外に何か(特に対露で)特別なことをやるのは危険だと考えておられるようだ。
2)この番組の最後に、両氏は今後の日本外交に関し総括的な提言をされている。
森本敏氏の意見:「今日の同盟は、価値観を共有する同盟ではなく、国益を共有する同盟である。いかなる場合でも、米国にきちっと注文もし、利益を共有できる最も信頼できる同盟国としての日本の位置を維持すべき。その為には、同盟を強化する更なる努力が必要だと思う。そのためにも日本は、防衛力の強化に努めるべきだ。日本が今後国際社会の中でより多くの利益を得るためにも、必要不可欠な手段である。」
櫻井よしこ氏:「表現は違うが大体森本氏の意見と同じである。(一言で言えば、)普通の民主主義の国になるべき。現在日本は普通の民主主義国ではない。憲法をみても、防衛の根本的な考え方(専守防衛)をみても、普通ではない。憲法や自衛隊法を改正してシビリアン・コントロールの下の軍事力を民主主義的手続きで持つべき。」
その後の読者の質問に回答する形で、櫻井氏は「現在のあるべき日米関係の基本的考え方はresponsibility sharing(責任分担)である。日米安保条約の範囲ではあるが、日本はより多くのことに責任を持つことが米国の日本への要請である。国際情況をみても日本がその方向で努力すべきである。米国が世界の警察官としての役割の一環で日本を護ってくれるという期待すると考えることは終わりにして、その部分は日本が独自にやらなければならない。」と答えた。(補足2)
これらは、既に書いたように完全に米国に追従する路線を、両氏は日本の取るべき道と考えられていることを示している。
3)私は以下のように考える。現在、中国と米国は互いに仮想敵国同士だが、日本との関係においては、ニクソンの時代から、或いは蒋介石時代から一貫して、米中は共通の利益を共有している。それは日本の無力化である。戦後、米国が一貫してやってきたことは、自国の利益となるような国に日本を調教することだったのではないだろうか。本当の同盟国なら、日本が普通の独立国となるのを支援する姿勢が見える筈であるが、それは無かった。(補足3)
トランプ大統領の出現で、日米関係が対等な同盟関係に成長することを期待した人はおおいだろう。しかし、昨今のトランプ大統領の様子をみると、どうも伝統的な共和党出身大統領になったように思える。そう考えると、ロシアは日本の22世紀に向けた生存にとって、鍵となる国かもしれない。 安倍総理がプーチン大統領と会談する際、北方領土の返還を直接要求するよりも、日本国民が「ロシアは信頼出来る隣国である」と感じるような両国関係の方向を示して欲しいと要求することが大事だと思う。
また、常に米国という窓からしか国際情況を眺められない日本の宿命を超えて、全く違う視点から世界を見る貴重な機会ではないかと思う。精々、プーチン大統領の視点から見た世界の姿を見聞してほしいと思う。例えば、北朝鮮問題が危機的情況にある現在、本当に北朝鮮は気違いのような指導者に率いられた国なのか、プーチン氏の考えを聞くのも良いことだろうと思う。
(補足3は翌日朝追加:これは素人の意見ですので、批判等は歓迎します)
補足:
1)米国等による経済制裁は、露によるクリミヤの併合による。しかし、この件の引き金となったウクライナでのクーデターには、米国が深く関与したという説があり、米国の言い分を100%信じる両氏の姿勢には疑問がのこる。アラブの春やイラク戦争において、米国に不正な関与があったと考えるばあい、米国の言い分を100%支持する姿勢に説得力はない。(田中宇氏のブログなど参照)
2)質問は、「アメリカは世界の警察官にもどったのでしょうか?」であった。米国が世界の警察官かどうかについては、4/20の記事を参照してください。
3)これは米国の責任ではなく、日本の責任である。米国が米国の国益を追求するのは当然である。その責任の第一は、国家体制が明治維新の革命体制から一歩も成長しなかったことが原因で大きな戦争になり、完敗してしまったことである。その第二は、吉田茂以下の戦後首相に、死を覚悟してまで日本の本来の意味での独立を考えた政治家が出なかったことである。
2017年4月21日金曜日
世襲議員が日本を潰す:一票の大きな格差は違憲であり世襲議員の巣である
中川秀直の息子がスキャンダルの主となっている。バカな男のバカな息子を議員にした広島の有権者たち。一票の格差のせいで田舎の政治に無知な連中が二世議員を多量に国会に送り込み、それが日本の政治を悪くしている。一票の格差は2倍以内なら良いということではない。限りなく1.0に近くすべきなのだ。
田舎の選挙区が無能二世議員の温床になっている。政治家がまるで家業になって、日本を悪くしている。民主主義というが、大衆の90%はB層という現状に漠然と不満を持つ知能の低い(低IQの)人たちが占めているという。その資料を選挙対策に使って大勝したのが、小泉純一郎の郵政選挙である。(補足1)
僅かな知的な連中が、経済発展と同時進行的に都会にあつめられた。一票の格差が維持されているので、田舎の票が衆愚政治を加速する結果になってしまった。衆愚化した有権者を利用して、米国のポチが日米構造協議で要求されたとおりに、民営化したのが現在の日本郵政である。
明治維新から150年経過した現在でもなお、この田舎のB層の票が薩長土肥の世襲政治家とその取り巻きを、日本の政治貴族として維持しているのだ。(補足2)米国も日本の政治家を馬鹿にしているだろう。(補足3)日本など無くなっても、痛くも痒くもない。米国の国際1.2兆ドルと一緒に消えてくれればいうことはない。北朝鮮を育てて、日本を東アジアの孤児にして、いじめれば良い。(補足4)そう考えているのだ。
「朝鮮戦争を勝ってしまおう」と言ったマッカーサーを首にして、共産国金王朝の北朝鮮を温存し、狂犬に育て上げたのは米国だ。北朝鮮は朝鮮戦争を終わり、米国と講和すれば、あんな国にはならなかった。そんなことも分からないバカが日本の政治を担っているのだ。
セメント会社を相続した政界の中枢にいる男が、米国で消費税を上げる好機だといったという。あほだ。https://news.yahoo.co.jp/pickup/6237223 彼の爺さんは、マッカーサーに協力して、結果的に日本を骨抜きにした人だ。(補足5)デフレの原因の一つが消費税増税にあると経済学者が声を揃えている。要するに漢字も経済も、何もかも分からんほどの人間なのだ。態度だけでかいのは、政治貴族の出身だからだろう。
これらの世襲政治貴族を一掃しなければ、日本の政治はよくならない。その鍵は何か?命が危うくなるので、誰も言い出さない。(11時編集)
補足:
1)2005年9月の郵政選挙の際、自民党が広告会社に作成させた企画書、「郵政民営化・合意形成コミュニケーション戦略(案)」に出てくる概念である。議員の家系から出た小泉純一郎が選挙の際に利用した。その子供も議員の職をついで、「こども保険」とかいうアホなことを言っている。
2)明治維新は薩長土肥の下級士族たちが中心になり、恐らく英国などの支援もあって成し遂げた革命である。その薩長土肥の出身者が未だに日本の政治を牛耳っている。その明治維新後の低級な歴史の進行は、明治維新が単に倒幕であったことの証明だろう。日本の近代化という高い志を持って戦ったという司馬史観は後付の神話に違いない。http://rcbyspinmanipulation.blogspot.jp/2015/10/blog-post_27.html
3)日中国交回復のときに、キッシンジャーが言ったという「あのジャップめ」という言葉や、マッカーサーの議会証言「日本は未だ12歳レベルだ」という言葉が何時も頭をよぎる。
4)国家間の関係は野生の原理で動く。”「傷つき弱った者を襲え」これが野生の原理だ。” 堺屋太一「世界を創った男」にそう書かれているそうです。
5)当時の価値観ではこの評価は酷いかもしれない。吉田茂が講和条約後に憲法改正しなかったのは、日本が朝鮮戦争に巻き込まれるのを防ぐためだったのだろう。その後の岸、池田、佐藤内閣あたりで、命をかけて憲法改正をしてほしかった。これらの人たちでも、現在の首脳よりは優秀ではあったと思う。なお、マッカーサーと吉田茂の憲法を巡る関係については、片岡鉄哉著「日本永久占領」が参考になった。その時書いたブログを引用します。http://rcbyspinmanipulation.blogspot.jp/2016/03/blog-post_12.html
田舎の選挙区が無能二世議員の温床になっている。政治家がまるで家業になって、日本を悪くしている。民主主義というが、大衆の90%はB層という現状に漠然と不満を持つ知能の低い(低IQの)人たちが占めているという。その資料を選挙対策に使って大勝したのが、小泉純一郎の郵政選挙である。(補足1)
僅かな知的な連中が、経済発展と同時進行的に都会にあつめられた。一票の格差が維持されているので、田舎の票が衆愚政治を加速する結果になってしまった。衆愚化した有権者を利用して、米国のポチが日米構造協議で要求されたとおりに、民営化したのが現在の日本郵政である。
明治維新から150年経過した現在でもなお、この田舎のB層の票が薩長土肥の世襲政治家とその取り巻きを、日本の政治貴族として維持しているのだ。(補足2)米国も日本の政治家を馬鹿にしているだろう。(補足3)日本など無くなっても、痛くも痒くもない。米国の国際1.2兆ドルと一緒に消えてくれればいうことはない。北朝鮮を育てて、日本を東アジアの孤児にして、いじめれば良い。(補足4)そう考えているのだ。
「朝鮮戦争を勝ってしまおう」と言ったマッカーサーを首にして、共産国金王朝の北朝鮮を温存し、狂犬に育て上げたのは米国だ。北朝鮮は朝鮮戦争を終わり、米国と講和すれば、あんな国にはならなかった。そんなことも分からないバカが日本の政治を担っているのだ。
セメント会社を相続した政界の中枢にいる男が、米国で消費税を上げる好機だといったという。あほだ。https://news.yahoo.co.jp/pickup/6237223 彼の爺さんは、マッカーサーに協力して、結果的に日本を骨抜きにした人だ。(補足5)デフレの原因の一つが消費税増税にあると経済学者が声を揃えている。要するに漢字も経済も、何もかも分からんほどの人間なのだ。態度だけでかいのは、政治貴族の出身だからだろう。
これらの世襲政治貴族を一掃しなければ、日本の政治はよくならない。その鍵は何か?命が危うくなるので、誰も言い出さない。(11時編集)
補足:
1)2005年9月の郵政選挙の際、自民党が広告会社に作成させた企画書、「郵政民営化・合意形成コミュニケーション戦略(案)」に出てくる概念である。議員の家系から出た小泉純一郎が選挙の際に利用した。その子供も議員の職をついで、「こども保険」とかいうアホなことを言っている。
2)明治維新は薩長土肥の下級士族たちが中心になり、恐らく英国などの支援もあって成し遂げた革命である。その薩長土肥の出身者が未だに日本の政治を牛耳っている。その明治維新後の低級な歴史の進行は、明治維新が単に倒幕であったことの証明だろう。日本の近代化という高い志を持って戦ったという司馬史観は後付の神話に違いない。http://rcbyspinmanipulation.blogspot.jp/2015/10/blog-post_27.html
3)日中国交回復のときに、キッシンジャーが言ったという「あのジャップめ」という言葉や、マッカーサーの議会証言「日本は未だ12歳レベルだ」という言葉が何時も頭をよぎる。
4)国家間の関係は野生の原理で動く。”「傷つき弱った者を襲え」これが野生の原理だ。” 堺屋太一「世界を創った男」にそう書かれているそうです。
5)当時の価値観ではこの評価は酷いかもしれない。吉田茂が講和条約後に憲法改正しなかったのは、日本が朝鮮戦争に巻き込まれるのを防ぐためだったのだろう。その後の岸、池田、佐藤内閣あたりで、命をかけて憲法改正をしてほしかった。これらの人たちでも、現在の首脳よりは優秀ではあったと思う。なお、マッカーサーと吉田茂の憲法を巡る関係については、片岡鉄哉著「日本永久占領」が参考になった。その時書いたブログを引用します。http://rcbyspinmanipulation.blogspot.jp/2016/03/blog-post_12.html
2017年4月20日木曜日
米国経済と北朝鮮問題:核脅威除去セールス
前回のブログで、“トランプ大統領は、アメリカンファーストを放棄して、伝統的な”世界の警察官としての役割を果たそうとしているように見える。しかも、何時も何故か大きな財布を携帯している警察官である“と書いた。我々は、世界の警察官という米国の役回りを素直に文字通り受け取って来たのは間違っていたのかもしれない。その本質を素直に、或いは誤って、表したのがトランプ大統領ではないのか?
1)火曜日に、韓国訪問を終えた米国のペンス副大統領が来日した。北朝鮮問題で重要な打ち合わせが目的だと思っていたが、もう一つ重要な話があったようだ。トランプ大統領の主張する、貿易不均衡解消のための日米ニ国間FTAである。米国産牛肉をオーストラリア産牛肉に取って代わらせたいとか、色んなことを考えているのだろう。そもそも、貿易不均衡を問題にするのはFTAの考え方に反しているのだが、御構い無しだ。(補足1)
昨日の読売新聞朝刊(14版)の一面では、「日米経済対話」の脇に「平和、力でのみ達成:対北圧力強化一致」が配置されていた。どちらが重要問題か、新聞社の方もわかっているようだ。この時期を逃さず、副大統領が経済対話を兼ねて(?)来たのは、最初に書いた米国の姿勢“大きな財布を携帯した世界の警察官”にふさわしい。
半世紀ほど前の話になるが、フランスのドゴール大統領が、当時の日本の総理大臣を「トランジスターのセールスマン」と揶揄したことがあった。米国は「核抑止力のセールスマン」なのかもしれない。日本は確かにトランジスターラジオを売ったが、しかし米国は核兵器を売るのでは無い。核の脅威から日本を守るというオプション付きの、農産物やGMの車である。そのオプションに効果があるかどうかは分からない。
効果を検証できる事態というのは、日本国存亡の危機である。そんなオプションに期待して、何かを約束することが日本の政治なのか?
19日のCNNの報道では、朝鮮半島に向かっている筈の空母「カール・ビンソン」が、どう言う訳か180度逆の方向に向かっていたことが明らかになった。http://www.cnn.co.jp/world/35099993.html
トランプ米大統領はテレビ局とのインタビューで「艦隊を送り込んでいる。とても強力だ」と語り、数人の側近らも空母派遣に言及した。それに対して、北朝鮮の朝鮮中央通信(KCNA)は空母配備を「無謀な侵略行為にほかならない」と非難していた。しかし、複数の米当局者がCNNに語ったのは、「カール・ビンソンは、まずオーストラリア海軍との軍事演習を予定通りに済ませる」だった。
その後、進路を変更して日本海に向かっているということで、単にホワイトハウスと米国防総省の間に連絡ミスがあったということだそうである。しかし、この件は北朝鮮問題の本質を語っているのではないだろうか。つまり、米軍に北朝鮮からの危機なんか存在しないのであり、単に核抑止のセールスのために日本や韓国向けに必要なだけである。(補足2)
2)米国と同じ戦略を考えている国にお隣の大国がある。彼国は、北部戦区に大量の核兵器を輸送して、核の脅威を作り出している。以下に引用の動画サイトをみて欲しい。https://www.youtube.com/watch?v=vANSwCgF6ec
中国は大陸間弾道ミサイル「東風41」を量産して、大量配備するという。その動機が世界から尊敬される国になるためだということである。つまり、世界に恐怖をバラマキ、それを取り除く方法を売りつけるのである。
これら大国のセールスの本質は、パソコン画面にと時々出る画面「あなたのパソコンがウイルスに感染しています」というメッセージを思い出せば分かる。そのメッセージは駆除ソフトを売りつける為なのだ。
勿論、北朝鮮と米国の衝突という悲劇的な方向に進むことは一定の確率であり得る。しかし、何事も両面から見ることが大事だという意味で上記の文章を書いた。(補足3) これらの問題は、日本国が独自の防衛力と核抑止力を持てば解決する。しかし、そんなものを持ってもらっては大国の商売は成り立たない。
補足:
1)石油が無いから、アラブから石油を買った国が、その同等の額でこちらの生産品を買ってもらわなければ困るというのは、明らかにおかしい。そんな理屈を通すのなら、貨幣はいらない。ブツブツ交換でよいのだ。
2)何度もブログに書いたように、米国が世界の殆どの国が行っているように、北朝鮮を承認すれば済むことである。30年前に行っていれば、日本や韓国に対する核の脅威は生じなかっただろうし、拉致被害者は出なかっただろう。
3)昨日も、北朝鮮の核実験場でバレーボールを楽しむ人たちの姿が米国の衛星画像として公表されている。
1)火曜日に、韓国訪問を終えた米国のペンス副大統領が来日した。北朝鮮問題で重要な打ち合わせが目的だと思っていたが、もう一つ重要な話があったようだ。トランプ大統領の主張する、貿易不均衡解消のための日米ニ国間FTAである。米国産牛肉をオーストラリア産牛肉に取って代わらせたいとか、色んなことを考えているのだろう。そもそも、貿易不均衡を問題にするのはFTAの考え方に反しているのだが、御構い無しだ。(補足1)
昨日の読売新聞朝刊(14版)の一面では、「日米経済対話」の脇に「平和、力でのみ達成:対北圧力強化一致」が配置されていた。どちらが重要問題か、新聞社の方もわかっているようだ。この時期を逃さず、副大統領が経済対話を兼ねて(?)来たのは、最初に書いた米国の姿勢“大きな財布を携帯した世界の警察官”にふさわしい。
半世紀ほど前の話になるが、フランスのドゴール大統領が、当時の日本の総理大臣を「トランジスターのセールスマン」と揶揄したことがあった。米国は「核抑止力のセールスマン」なのかもしれない。日本は確かにトランジスターラジオを売ったが、しかし米国は核兵器を売るのでは無い。核の脅威から日本を守るというオプション付きの、農産物やGMの車である。そのオプションに効果があるかどうかは分からない。
効果を検証できる事態というのは、日本国存亡の危機である。そんなオプションに期待して、何かを約束することが日本の政治なのか?
19日のCNNの報道では、朝鮮半島に向かっている筈の空母「カール・ビンソン」が、どう言う訳か180度逆の方向に向かっていたことが明らかになった。http://www.cnn.co.jp/world/35099993.html
トランプ米大統領はテレビ局とのインタビューで「艦隊を送り込んでいる。とても強力だ」と語り、数人の側近らも空母派遣に言及した。それに対して、北朝鮮の朝鮮中央通信(KCNA)は空母配備を「無謀な侵略行為にほかならない」と非難していた。しかし、複数の米当局者がCNNに語ったのは、「カール・ビンソンは、まずオーストラリア海軍との軍事演習を予定通りに済ませる」だった。
その後、進路を変更して日本海に向かっているということで、単にホワイトハウスと米国防総省の間に連絡ミスがあったということだそうである。しかし、この件は北朝鮮問題の本質を語っているのではないだろうか。つまり、米軍に北朝鮮からの危機なんか存在しないのであり、単に核抑止のセールスのために日本や韓国向けに必要なだけである。(補足2)
2)米国と同じ戦略を考えている国にお隣の大国がある。彼国は、北部戦区に大量の核兵器を輸送して、核の脅威を作り出している。以下に引用の動画サイトをみて欲しい。https://www.youtube.com/watch?v=vANSwCgF6ec
中国は大陸間弾道ミサイル「東風41」を量産して、大量配備するという。その動機が世界から尊敬される国になるためだということである。つまり、世界に恐怖をバラマキ、それを取り除く方法を売りつけるのである。
これら大国のセールスの本質は、パソコン画面にと時々出る画面「あなたのパソコンがウイルスに感染しています」というメッセージを思い出せば分かる。そのメッセージは駆除ソフトを売りつける為なのだ。
勿論、北朝鮮と米国の衝突という悲劇的な方向に進むことは一定の確率であり得る。しかし、何事も両面から見ることが大事だという意味で上記の文章を書いた。(補足3) これらの問題は、日本国が独自の防衛力と核抑止力を持てば解決する。しかし、そんなものを持ってもらっては大国の商売は成り立たない。
補足:
1)石油が無いから、アラブから石油を買った国が、その同等の額でこちらの生産品を買ってもらわなければ困るというのは、明らかにおかしい。そんな理屈を通すのなら、貨幣はいらない。ブツブツ交換でよいのだ。
2)何度もブログに書いたように、米国が世界の殆どの国が行っているように、北朝鮮を承認すれば済むことである。30年前に行っていれば、日本や韓国に対する核の脅威は生じなかっただろうし、拉致被害者は出なかっただろう。
3)昨日も、北朝鮮の核実験場でバレーボールを楽しむ人たちの姿が米国の衛星画像として公表されている。
2017年4月18日火曜日
トランプは北朝鮮問題を中国に丸投げし、北朝鮮の核兵器保持を認める可能性がある。日本は核保持の論議を開始すべきである
1)アメリカンファーストを看板に大統領に当選し、選挙期間中に約束した路線上を、ひた走る様に見せながら、トランプは一定期間が過ぎた時には伝統的な米国共和党出身の大統領になるようだ。替わり身の鮮やかさは優秀なのか軽いのかわからない。
最近のトランプ大統領は、アメリカンファーストを放棄して、伝統的な”世界の警察官”としての役割を果たそうとしているように見える。しかも、何時も何故か大きな財布を携帯している警察官である。シリアやアフガンの爆撃に北朝鮮の威嚇まで、大統領候補の時からの姿勢と180度違う。
普段は見ないのだが、ベンジャミン・フルフォードの動画を見たところ、トランプが少女レイプの件で訴えられた件の延長で、彼が米国を牛耳るユダヤ人ネットワークに脅されているというのである。その所為で、トランプは180姿勢を変更して、ネオコンのシナリオで動くようになったという。
トランプを脅しているのは、Lewis Eisenbergらのユダヤ人ネットワークで、彼はイタリア大使になる予定だが上院の承認を待っている人のようだ。彼の名前をウィキペディアで見ると、アメリカの政治資金調達サークルで数十年の経験を持ち、9.11事件の時、ニューヨークの港湾局の議長であったなど、意味深な解説がなされている。
シリアの爆撃の際は、米軍が事前にロシアに知らせて、効果が出ないようにしたので、今回の件でも米軍は最悪の事態にならないように努力するだろうと、ベンジャミン・フルフォードは言っている。因みに彼が情報提供者と言っているGordon Duffは、Veterans Todayという米国の退役軍人の新聞を発行している人である。(情報提供とは新聞だけのことかもしれない。)
また、この件でトランプ氏はNSCやCIAなどの信用を失い、大統領としての寿命は短いだろうと言っているが、私はむしろ寿命が長くなるような気がする。
2)一方、国際政治評論家の田中宇さんのブログでは、このようなユダヤ系からのおどしの解釈はとっていない。そこでは、うまくネオコンと折り合いをつけて、北朝鮮の核問題を中国に押し付けるように振舞っていると解釈している。http://tanakanews.com/170416korea.htm
今回は中国が北朝鮮の核開発を抑えることに本気であり、実際15日の核実験を中止させたと書いている。その記事には、“北が15日の核実験を見送るのとほぼ同時に、米トランプ政権が「米国の目標は、北の政権転覆でない。目標は、北の最大の貿易相手国である中国の助けを借り、北に最大の圧力をかけることで、6か国協議に北が参加するように仕向け、核開発をやめさせることだ」と表明(リーク)した”と書かれている。
そのトランプの政策を見事だと書いているが、日本人である私は到底そのようには思えない。6カ国協議に参加させるというのでは、今までの繰り返しであり、中国も「のど元過ぎれば熱さ忘れる」で北朝鮮に制裁をしているフリをして時間稼ぎをして過ごし、最終的には、北朝鮮は核兵器の小型化を実現し、日本には大変な脅威となるだろう。
米国は北朝鮮がICBMを完成させたとしても、依然、軍事力に圧倒的な差があり、北朝鮮は自分からは攻撃できない。最終的には北朝鮮は核保持をしたままでソフトランディングできる可能性が大きくなってきている。実際にはもうソフトランディングしたのかもしれない。私は以前から、北朝鮮のソフトランディングを主張してきたが、それは核抜きでのものである。早期に朝鮮戦争を集結して、米国が北朝鮮を承認すれば、日本も其れに倣って承認し、その段階で拉致被害者は帰国できただろう。
つまり、この数ヶ月のやりとりで、トランプ米国大統領は、北朝鮮の金正恩もそれほど無茶なことはしないと理解し、今後は互いに過激なこともいうが、口だけで済ますという暗黙の了解ができつつある様なきがする。トランプが6カ国協議というなんの役にも立たないものに言及したことがそれを示している。
昨日、面白い動画をテレビでみた。大きな家の鉄格子の門扉の前で、家の中の犬と外部の数匹の小さい犬が激しく吠えあっている。今にも噛みつきそうな状況であるが、門扉に邪魔されている。そして、家の主がその門扉を静かに開けていくのである。だれもが、犬同士が大げんかになるかと思ってみていると、開いた部分を避けて、しばらく鉄格子を挟んで吠えあっていたが、大きく開かれるとお互いに離れていってしまったのである。
今のトランプの米国と金正恩の北朝鮮の姿を見る思いがした。戦かう訳にはいかないが、このまま静かにするのは格好が悪いので、しばらくは互いにマッドマンで行きましょうと、話し合いができたのではないのか?
3)日本は将来苦境に立たされるだろう。米国の方針は元々、日本がアジアで孤立し軍事的に無力な存在になることだろうから、その意味では、トランプは上手くやっているのだろう。韓国で左翼政権が成立すると、やがて核保持の統一朝鮮ができる可能性が高い。その朝鮮は、米国ではなく中国とより親密になるだろう。
米国は第一列島線から引き上げても何ら不都合はないので、その段階で米軍はサッサとグアム島まで引き上げる。日本が望めばTHAAD位は金儲けのために置くだろうが、元々迎撃で防衛力を維持するなんて無理な話であり、北朝鮮の核ミサイルや化学兵器ミサイルの脅威は無くならない。
統一朝鮮ができる時には、日韓基本条約を書き換えなければならないが、その際には北朝鮮の経済開発に2-3兆円むしりとられることになるだろう。その後も、慰安婦問題等の難癖を北朝鮮側でもデッチ上げてくるだろう。それを後ろで中国も南京事件などを持ち出して加担し、その動きにドイツなどヨーロッパ諸国が応援するだろう。
日本は北朝鮮が経済的苦境にあったときに、つまり、小泉政権の時に、拉致問題の解決と1兆円程度の経済協力金で、北朝鮮の承認を考えただろう。しかし、それを潰したのが米国だと思う。北朝鮮が韓国と統一し、親中国の核保持国である統一国家となったのちには、日本は朝鮮のcash dispenserのように扱われるだろう。
中国にとっては、親中国の国家が核兵器を持ったとしても、それはロシアの核兵器よりも脅威ではない。イギリスとフランスが核の脅威を意識しないのと同様である。しかし、日本にとっては朝鮮の核保持は非常に深刻である。
日本は今、この時期に核保持を検討すべきである。米国と北朝鮮にいい加減な茶番劇を演じさせたままにすべきではない。将来の日本のことを考えて、核保持を議論すべきである。それが、中国や韓国などへのメッセージとなり、核抜きの朝鮮半島が実現するだろう。そのチャンスは今しかないと思う。核保持のチャンスではなく、半島の核保持阻止のチャンスである。
最近のトランプ大統領は、アメリカンファーストを放棄して、伝統的な”世界の警察官”としての役割を果たそうとしているように見える。しかも、何時も何故か大きな財布を携帯している警察官である。シリアやアフガンの爆撃に北朝鮮の威嚇まで、大統領候補の時からの姿勢と180度違う。
普段は見ないのだが、ベンジャミン・フルフォードの動画を見たところ、トランプが少女レイプの件で訴えられた件の延長で、彼が米国を牛耳るユダヤ人ネットワークに脅されているというのである。その所為で、トランプは180姿勢を変更して、ネオコンのシナリオで動くようになったという。
トランプを脅しているのは、Lewis Eisenbergらのユダヤ人ネットワークで、彼はイタリア大使になる予定だが上院の承認を待っている人のようだ。彼の名前をウィキペディアで見ると、アメリカの政治資金調達サークルで数十年の経験を持ち、9.11事件の時、ニューヨークの港湾局の議長であったなど、意味深な解説がなされている。
シリアの爆撃の際は、米軍が事前にロシアに知らせて、効果が出ないようにしたので、今回の件でも米軍は最悪の事態にならないように努力するだろうと、ベンジャミン・フルフォードは言っている。因みに彼が情報提供者と言っているGordon Duffは、Veterans Todayという米国の退役軍人の新聞を発行している人である。(情報提供とは新聞だけのことかもしれない。)
また、この件でトランプ氏はNSCやCIAなどの信用を失い、大統領としての寿命は短いだろうと言っているが、私はむしろ寿命が長くなるような気がする。
2)一方、国際政治評論家の田中宇さんのブログでは、このようなユダヤ系からのおどしの解釈はとっていない。そこでは、うまくネオコンと折り合いをつけて、北朝鮮の核問題を中国に押し付けるように振舞っていると解釈している。http://tanakanews.com/170416korea.htm
今回は中国が北朝鮮の核開発を抑えることに本気であり、実際15日の核実験を中止させたと書いている。その記事には、“北が15日の核実験を見送るのとほぼ同時に、米トランプ政権が「米国の目標は、北の政権転覆でない。目標は、北の最大の貿易相手国である中国の助けを借り、北に最大の圧力をかけることで、6か国協議に北が参加するように仕向け、核開発をやめさせることだ」と表明(リーク)した”と書かれている。
そのトランプの政策を見事だと書いているが、日本人である私は到底そのようには思えない。6カ国協議に参加させるというのでは、今までの繰り返しであり、中国も「のど元過ぎれば熱さ忘れる」で北朝鮮に制裁をしているフリをして時間稼ぎをして過ごし、最終的には、北朝鮮は核兵器の小型化を実現し、日本には大変な脅威となるだろう。
米国は北朝鮮がICBMを完成させたとしても、依然、軍事力に圧倒的な差があり、北朝鮮は自分からは攻撃できない。最終的には北朝鮮は核保持をしたままでソフトランディングできる可能性が大きくなってきている。実際にはもうソフトランディングしたのかもしれない。私は以前から、北朝鮮のソフトランディングを主張してきたが、それは核抜きでのものである。早期に朝鮮戦争を集結して、米国が北朝鮮を承認すれば、日本も其れに倣って承認し、その段階で拉致被害者は帰国できただろう。
つまり、この数ヶ月のやりとりで、トランプ米国大統領は、北朝鮮の金正恩もそれほど無茶なことはしないと理解し、今後は互いに過激なこともいうが、口だけで済ますという暗黙の了解ができつつある様なきがする。トランプが6カ国協議というなんの役にも立たないものに言及したことがそれを示している。
昨日、面白い動画をテレビでみた。大きな家の鉄格子の門扉の前で、家の中の犬と外部の数匹の小さい犬が激しく吠えあっている。今にも噛みつきそうな状況であるが、門扉に邪魔されている。そして、家の主がその門扉を静かに開けていくのである。だれもが、犬同士が大げんかになるかと思ってみていると、開いた部分を避けて、しばらく鉄格子を挟んで吠えあっていたが、大きく開かれるとお互いに離れていってしまったのである。
今のトランプの米国と金正恩の北朝鮮の姿を見る思いがした。戦かう訳にはいかないが、このまま静かにするのは格好が悪いので、しばらくは互いにマッドマンで行きましょうと、話し合いができたのではないのか?
3)日本は将来苦境に立たされるだろう。米国の方針は元々、日本がアジアで孤立し軍事的に無力な存在になることだろうから、その意味では、トランプは上手くやっているのだろう。韓国で左翼政権が成立すると、やがて核保持の統一朝鮮ができる可能性が高い。その朝鮮は、米国ではなく中国とより親密になるだろう。
米国は第一列島線から引き上げても何ら不都合はないので、その段階で米軍はサッサとグアム島まで引き上げる。日本が望めばTHAAD位は金儲けのために置くだろうが、元々迎撃で防衛力を維持するなんて無理な話であり、北朝鮮の核ミサイルや化学兵器ミサイルの脅威は無くならない。
統一朝鮮ができる時には、日韓基本条約を書き換えなければならないが、その際には北朝鮮の経済開発に2-3兆円むしりとられることになるだろう。その後も、慰安婦問題等の難癖を北朝鮮側でもデッチ上げてくるだろう。それを後ろで中国も南京事件などを持ち出して加担し、その動きにドイツなどヨーロッパ諸国が応援するだろう。
日本は北朝鮮が経済的苦境にあったときに、つまり、小泉政権の時に、拉致問題の解決と1兆円程度の経済協力金で、北朝鮮の承認を考えただろう。しかし、それを潰したのが米国だと思う。北朝鮮が韓国と統一し、親中国の核保持国である統一国家となったのちには、日本は朝鮮のcash dispenserのように扱われるだろう。
中国にとっては、親中国の国家が核兵器を持ったとしても、それはロシアの核兵器よりも脅威ではない。イギリスとフランスが核の脅威を意識しないのと同様である。しかし、日本にとっては朝鮮の核保持は非常に深刻である。
日本は今、この時期に核保持を検討すべきである。米国と北朝鮮にいい加減な茶番劇を演じさせたままにすべきではない。将来の日本のことを考えて、核保持を議論すべきである。それが、中国や韓国などへのメッセージとなり、核抜きの朝鮮半島が実現するだろう。そのチャンスは今しかないと思う。核保持のチャンスではなく、半島の核保持阻止のチャンスである。
2017年4月16日日曜日
テロリストには罰を受ける資格がない:罪と罰について
1)最近、善と悪についてブログを書いてきたので、最後に罪と罰について考えて見たい。
所属するグループの為になる行いが善、それに反する行いが悪だと考えるのが、前回までの結論だった。そのグループ(種族、民族、国家)内で、処罰に相当する程度の悪い行いが罪ということになる。しかし、ただそれだけの定義だと、罪と罰の関係は労働と賃金のような等価交換できる関係になり、随分と軽い感じがする。しかし、罪は元々もっと重い宗教的な意味を持つと思う。つまり、罪という言葉は、本来神の教義に反した行為に対して与えられる。
そう考えると、宗教と民族や国家といったグループとの関係を明らかにしないと罪と罰が理解できないことになる。
そこで、前回までの話を簡単に繰り返すところから思考をスタートする。善と悪は、血縁を中心としたボス支配のグループで生きる状態(自然状態)では存在せず、人が大きな多層的なグループを作るようになった時に発生すると考えた。そして、そのグループ内で生きる人に対してグループの成長と安定にプラスになる行為及びそれを形容する言葉が善であり、その逆が悪であると結論した。
多層的で大きなグループは、種族とよばれたレベルから国と言う現在の段階まで発展する。そのグループが種族と呼ばれる段階では、その寿命は人の自然寿命よりはるかに長くなるが、その運命は他の種族との争いの勝敗に依存する。種族は運命共同体であり、そのことをメンバーは強く意識している筈である。
他の種族と競争して最終的に生き残るには、リーダーには世代を超えて特別に強い指導力が必要である。そのレベルは、非常に優秀な人レベル程度ではなく、それを圧倒的に超えるレベル、つまり神のレベルである。従って、長く続いた種族の中に神話が生じ、嘗ての英雄が神として崇められるのは自然である。その神の権威の下に、リーダーの権威を置くのが世代を超えた権威を持つ秘訣である。その結果、リーダーの下す罰は、神の罰となるのである。善と悪そして罪と罰は、この様にして神の権威を得ると考えるのである。(補足1)
その段階で、リーダーの地位やグループ内の掟などは全て種族の神の権威の下に集約される。歴代のリーダーの考えが集約され、聖典となって纏められることもある。キリスト教の聖典である旧約聖書では、人が神と契約を交わし、種族のメンバーに神の掟を守るように書かれている。(補足2)
2)罪を犯した者には罰があたえられるが、罰には日本語では二つの読み方がある。バチとバツである。バチには、“罰当たり”という派生語の意味からわかるように、悪事に対して神が与えるこらしめの意味がある。バツにも、やはり教育的な意味がある。つまり、罰を与える側と受ける側に共通の絶対的な権威がなければならない。従って、罪と罰の関係は種族内部の話であり、異邦人との関係ではありえない。異邦人との間には無視、敵対、戦争、報復、駆除など、民族(種族)の神の裁きとは無関係な対応がなされる。(補足3)
刑事裁判などでよく問題にされる言葉に、“罪の意識”がある。罪の意識がない犯罪人にはふた通りある。片方は幼児であり、もう片方は現在住んでいる社会のメンバーでは無いと考える犯罪人である。幼児の場合(刑法では14歳以下)は、悪事を為しても罪の意識がないので、罰しない。そのような罪を犯さないように、今後の教育は主として家庭でなされる。罰せられないのは、今も今後もグループ内の人間であるからである。もう片方の罪の意識のない犯罪として、精神に障害のある人間の犯罪と反国家(反民族)的犯罪(テロリスト的犯罪)があり、後者には元々国内の犯罪人を裁く法律を適用する理由はない。
前者の場合、明らかに精神が未発達な場合には、幼児と同様の根拠で、然るべき場所での隔離あるいは治療が適当な措置だと考える。一方、精神的発達が正常だが、サイコパスのように特別に反社会的性格を持つ人間の場合、知識として犯罪が処罰の対象になることを承知しているのだから、罪の意識の無い場合でも、少なくとも正常人と同等かそれ以上の処分が相当である。
最近あった名古屋大女子学生による殺人事件では、犯人は殺人嗜好がつよいタイプのサイコパスだろう。この種の人間は、殺人が所謂重罰に相当する犯罪であることはわかっているのだから、罪の意識が生じない精神障害者だとして無罪を主張する根拠はない。(補足4)山から出てきた熊や異邦人テロリストのように、駆除の対象になっても良い人間なのだ。知的に問題があるのは、その判決の際に、更生に期待するという言葉をかけた裁判官と、精神障害故に無罪であると主張した弁護士である。
外国人の単純犯罪の場合には、国際条約があり、国内法によって処罰される。それは、外国人と雖も、日本国内で生活する場合は日本人の仲間と看做して処遇するからである。しかし、日本社会の破壊工作には、日本人であっても外国人であっても、罪と罰の関係で論じる根拠はない。罪と罰の関係は、日本(社会)を共通の宇(いえ)と考える体制に最高の権威を認める場合にのみ成立するからである。テロリストには罰を受ける資格がないのだ。
補足:
1)現在国家を作って生き残っている種族には、そのような超人的なリーダーシップを作り出す工夫がされていたと言える。日本(大和朝廷)の建国神話もその一つである。
2)ユダヤの種族に対して、他の種族は異邦人という言葉(日本語訳の聖書)で語られている。異邦人という言葉には“何を考えているのか全く分からない人たち”という響を、聖書の中では特に感じる。異邦人による行いは、悪であるとして排斥するか侮蔑するかどちらかである。
3)戦争が外交の一環だという考え(クラウゼウィッツの戦争論)は共通の神を持つヨーロッパにしか本来(あるいは西欧人の感覚として)適用されないだろう。また、日本の上杉と武田の戦いにおいて「敵に塩を送った」と言う話も、両者ともに日本のメンバーであることの共通理解があったからこそである。
4)「人を殺してみたかった」というセリフは、社会を根本から否定する言葉であり、法を適用する理由はない。ただ、そのようなケースに対応できる法整備がなされていないので、さしあたり最高刑で対応すべきである。
所属するグループの為になる行いが善、それに反する行いが悪だと考えるのが、前回までの結論だった。そのグループ(種族、民族、国家)内で、処罰に相当する程度の悪い行いが罪ということになる。しかし、ただそれだけの定義だと、罪と罰の関係は労働と賃金のような等価交換できる関係になり、随分と軽い感じがする。しかし、罪は元々もっと重い宗教的な意味を持つと思う。つまり、罪という言葉は、本来神の教義に反した行為に対して与えられる。
そう考えると、宗教と民族や国家といったグループとの関係を明らかにしないと罪と罰が理解できないことになる。
そこで、前回までの話を簡単に繰り返すところから思考をスタートする。善と悪は、血縁を中心としたボス支配のグループで生きる状態(自然状態)では存在せず、人が大きな多層的なグループを作るようになった時に発生すると考えた。そして、そのグループ内で生きる人に対してグループの成長と安定にプラスになる行為及びそれを形容する言葉が善であり、その逆が悪であると結論した。
多層的で大きなグループは、種族とよばれたレベルから国と言う現在の段階まで発展する。そのグループが種族と呼ばれる段階では、その寿命は人の自然寿命よりはるかに長くなるが、その運命は他の種族との争いの勝敗に依存する。種族は運命共同体であり、そのことをメンバーは強く意識している筈である。
他の種族と競争して最終的に生き残るには、リーダーには世代を超えて特別に強い指導力が必要である。そのレベルは、非常に優秀な人レベル程度ではなく、それを圧倒的に超えるレベル、つまり神のレベルである。従って、長く続いた種族の中に神話が生じ、嘗ての英雄が神として崇められるのは自然である。その神の権威の下に、リーダーの権威を置くのが世代を超えた権威を持つ秘訣である。その結果、リーダーの下す罰は、神の罰となるのである。善と悪そして罪と罰は、この様にして神の権威を得ると考えるのである。(補足1)
その段階で、リーダーの地位やグループ内の掟などは全て種族の神の権威の下に集約される。歴代のリーダーの考えが集約され、聖典となって纏められることもある。キリスト教の聖典である旧約聖書では、人が神と契約を交わし、種族のメンバーに神の掟を守るように書かれている。(補足2)
2)罪を犯した者には罰があたえられるが、罰には日本語では二つの読み方がある。バチとバツである。バチには、“罰当たり”という派生語の意味からわかるように、悪事に対して神が与えるこらしめの意味がある。バツにも、やはり教育的な意味がある。つまり、罰を与える側と受ける側に共通の絶対的な権威がなければならない。従って、罪と罰の関係は種族内部の話であり、異邦人との関係ではありえない。異邦人との間には無視、敵対、戦争、報復、駆除など、民族(種族)の神の裁きとは無関係な対応がなされる。(補足3)
刑事裁判などでよく問題にされる言葉に、“罪の意識”がある。罪の意識がない犯罪人にはふた通りある。片方は幼児であり、もう片方は現在住んでいる社会のメンバーでは無いと考える犯罪人である。幼児の場合(刑法では14歳以下)は、悪事を為しても罪の意識がないので、罰しない。そのような罪を犯さないように、今後の教育は主として家庭でなされる。罰せられないのは、今も今後もグループ内の人間であるからである。もう片方の罪の意識のない犯罪として、精神に障害のある人間の犯罪と反国家(反民族)的犯罪(テロリスト的犯罪)があり、後者には元々国内の犯罪人を裁く法律を適用する理由はない。
前者の場合、明らかに精神が未発達な場合には、幼児と同様の根拠で、然るべき場所での隔離あるいは治療が適当な措置だと考える。一方、精神的発達が正常だが、サイコパスのように特別に反社会的性格を持つ人間の場合、知識として犯罪が処罰の対象になることを承知しているのだから、罪の意識の無い場合でも、少なくとも正常人と同等かそれ以上の処分が相当である。
最近あった名古屋大女子学生による殺人事件では、犯人は殺人嗜好がつよいタイプのサイコパスだろう。この種の人間は、殺人が所謂重罰に相当する犯罪であることはわかっているのだから、罪の意識が生じない精神障害者だとして無罪を主張する根拠はない。(補足4)山から出てきた熊や異邦人テロリストのように、駆除の対象になっても良い人間なのだ。知的に問題があるのは、その判決の際に、更生に期待するという言葉をかけた裁判官と、精神障害故に無罪であると主張した弁護士である。
外国人の単純犯罪の場合には、国際条約があり、国内法によって処罰される。それは、外国人と雖も、日本国内で生活する場合は日本人の仲間と看做して処遇するからである。しかし、日本社会の破壊工作には、日本人であっても外国人であっても、罪と罰の関係で論じる根拠はない。罪と罰の関係は、日本(社会)を共通の宇(いえ)と考える体制に最高の権威を認める場合にのみ成立するからである。テロリストには罰を受ける資格がないのだ。
補足:
1)現在国家を作って生き残っている種族には、そのような超人的なリーダーシップを作り出す工夫がされていたと言える。日本(大和朝廷)の建国神話もその一つである。
2)ユダヤの種族に対して、他の種族は異邦人という言葉(日本語訳の聖書)で語られている。異邦人という言葉には“何を考えているのか全く分からない人たち”という響を、聖書の中では特に感じる。異邦人による行いは、悪であるとして排斥するか侮蔑するかどちらかである。
3)戦争が外交の一環だという考え(クラウゼウィッツの戦争論)は共通の神を持つヨーロッパにしか本来(あるいは西欧人の感覚として)適用されないだろう。また、日本の上杉と武田の戦いにおいて「敵に塩を送った」と言う話も、両者ともに日本のメンバーであることの共通理解があったからこそである。
4)「人を殺してみたかった」というセリフは、社会を根本から否定する言葉であり、法を適用する理由はない。ただ、そのようなケースに対応できる法整備がなされていないので、さしあたり最高刑で対応すべきである。
2017年4月14日金曜日
現代は、悪の遺伝子が国家を救う時代なのか?
1)前回、善悪は本質的な概念ではなく、多層的な構造を持つ社会(高度な社会)の発生と伴に生まれた文化由来のものであると書いた。生命は他の生命を食物にしたり、競争相手なら殺したりするが、それは善とか悪とかで形容できるものではない。熊が人を獲ったとしても、悪で裁く意味がない。同じように、人が、猿同様にボスが支配する小さな群れで生きていたとすれば、人にも善悪という概念は生じて居ないはずである。善悪は一体で、”野生に生きるということ”(生命活動)でしかない筈である。
その後人類が作った多層的な構造を持つ(高度に社会的な)グループ、つまり、種族、民族、そして国家と呼ばれるグループは、次のような性質を持つ。①グループの寿命は人の一生よりも長くなり、個人が命を賭ける主なる争いは、他のグループとの争い(戦争)になる;②メンバーの日常は殆どグループ内で終わる;③グループ内の統治とグループ間の折衝には、一部エリート層があたる。
このような背景で、グループ内の統治の簡素化効率化のために「善」、そしてその要素である義、和、忠、孝のような概念が教育されるようになった。そして生命活動を形成していた残りの部分は、「悪」に分けられ、悪の行為が正当性を持つのは主にグループ間の出来事に集約される。その結果我々人間は、本来一体であった「善と悪」を人の精神を構成する二つの要素のような錯覚を持つに至った。以上が前回の話を、別の角度から集約したものである。(自己認識能力の獲得との関連は前回記事に書きましたが、ここでは省略します。)
2)人の性格は教育だけで決まるのではなく、融和的な性格や攻撃的な性格などには遺伝子が関わっていると思われる。例えば、他人の痛みを全く考慮しないサイコパスの人が一定の確率で存在しているが、それはほとんど遺伝であるとの研究発表がされている。(補足1)
社会をつくることで善悪が発生し、社会が大きくなり、その内部で生きる人が大多数になるのと並行して、善を強く意識する性格の人の生存が有利になり、人の心理はその方向に誘導される。これは「進化心理学」の結論だろう。その適者生存のメカニズムにより、冷徹な性格の遺伝子はグループの構成員が増加するに従って減少するだろう。
しかし、グループの境界で他のグループと対決するには、より攻撃的で冷徹な人間の方が有利である。その境界人間に有利な遺伝子を“悪の遺伝子”と以下呼ぶ。それと反対に境界内部で生きるに有利な温厚且つ凡庸な人間の遺伝子を“善の遺伝子”である。
現在、人の運命共同体的グループは国家である。その200程の国家をメンバーとする社会を考えた場合、未だに野生の原理が支配する。つまり、善と悪が分離して、社会内を善が支配するに至っていないからである。それは、ここ数日の米国によるシリア爆撃やアフガン爆撃を見ても明らかである。(補足2)
地球は有限であるので、原始の時代には個人レベルや種族レベルでの殺し合いでヒトは自然淘汰されていたが、近代以降は国家間の戦争で淘汰される。その結果、サイコパス的に冷徹に長期的作戦をたて、敵となった国家を欺き攻撃し凋落させ、悪を用いて滅ぼす国の人間が生き残ることになる。
逆に、平和を愛する融和的な人間ばかりになった国は、将来的には滅びることになる。実際にそのような淘汰の例が19世紀にあった。ニュージランド沖の小島にモリオリ属という人たちが住んでいた。ある時、マウリ族が他のより大きな島から侵略したとき、モリオリ属は平和的な解決をしようとしたが、殆ど全員が虐殺されたのである。長い間に“悪の遺伝子(境界人間の遺伝子)”が少なくなった結果だと解釈できると思う。(ジャレド・ダイヤモンド著、「銃、病原菌、鉄」第二章参照)
3)国家や大企業(国家等)は、常に食うか食われるかの野生の空間に存在すると考えられる。国家等の争いにおいて他の国や個人を、(グループ内部に限られた)善の論理で扱っていては、その争いには勝てず、最終的には淘汰されてしまう可能性がある。また、緊急の場合にはグループの内部の人に、戦いというグループの境界を跨ぐ世界(悪の世界)に強制的に連れて出さなければならない。
戦争においては、司令官は非情な決断を下すし、そのような遺伝子を持たない人しか司令官に選べなかった国は滅びるだろう。その“悪の遺伝子”を持つ人は、流浪の民族や絶えず戦争を経験した民族に多いだろう。この“悪の遺伝子”がより強調されて存在するのがサイコパスだろう。(補足3)
ある本にサイコパス的な人の割合が西欧で4%と台湾や日本など東アジアに比較して数十倍も多いことが書かれているそうである。http://blog.midnightseminar.net/entry/2015/06/20/232909 東アジアの社会の方が、農耕民族として過ごす割合が多く、人と人の親密度が高いことがわかる。台湾や日本などは孤島であり、全体が統一された以降敵が現れる頻度が少ないので、悪の遺伝子が少ないのは進化心理学的に当然である。一方、西欧では民族の移動や民族間の抗争は有史以来頻繁に起こっていたため、サイコパス遺伝子が多く残るのだろう。
米国は流浪の民を多く抱えている。冷徹な知と“悪の遺伝子”を併せ持つ人が、政治や実業界で成功するチャンスが多い国である。それは、個が自立し自由を国是とする国だからである。それが、米国を地球上でもっとも多く、実業界や政治の世界での成功者を出し続ける国にしている理由ではないだろうか。「トランプはサイコパスか」という題目の記事が多いのは、世界が争い時期に入り、悪の遺伝子こそ民族を救うという時代なのかもしれない。http://www.independent.co.uk/news/world/americas/donald-trump-psychopath-researcher-oxford-university-kevin-dutton-a7204706.html
補足:
1)実験心理学者の調査によると、サイコパスの人が一卵性双生児の片方であった場合、全く異なった環境で育ったもう一方も同じ性質を持っているとの結果を得たという。
2)善悪の秩序は法の支配によりなされる。しかし、国際法は法としての権威を有していない。米国による中東での行為の殆どは国際法違反である。つまり、国際間は未だ野生の原理が支配している。
3)Kevin Dutton著の“The Wisdom of Psychopaths”に書かれているそうである。詳細は以下のサイトを参照:http://rocketnews24.com/2016/02/04/702271/ ここでは、1940年代に既に近代社会の成功者、例えば政治的な成功者、にはサイコパス遺伝子を持った人が多いとの説が発表されているという。(精神科医のハーヴェイ・クレックレーの説)
その後人類が作った多層的な構造を持つ(高度に社会的な)グループ、つまり、種族、民族、そして国家と呼ばれるグループは、次のような性質を持つ。①グループの寿命は人の一生よりも長くなり、個人が命を賭ける主なる争いは、他のグループとの争い(戦争)になる;②メンバーの日常は殆どグループ内で終わる;③グループ内の統治とグループ間の折衝には、一部エリート層があたる。
このような背景で、グループ内の統治の簡素化効率化のために「善」、そしてその要素である義、和、忠、孝のような概念が教育されるようになった。そして生命活動を形成していた残りの部分は、「悪」に分けられ、悪の行為が正当性を持つのは主にグループ間の出来事に集約される。その結果我々人間は、本来一体であった「善と悪」を人の精神を構成する二つの要素のような錯覚を持つに至った。以上が前回の話を、別の角度から集約したものである。(自己認識能力の獲得との関連は前回記事に書きましたが、ここでは省略します。)
2)人の性格は教育だけで決まるのではなく、融和的な性格や攻撃的な性格などには遺伝子が関わっていると思われる。例えば、他人の痛みを全く考慮しないサイコパスの人が一定の確率で存在しているが、それはほとんど遺伝であるとの研究発表がされている。(補足1)
社会をつくることで善悪が発生し、社会が大きくなり、その内部で生きる人が大多数になるのと並行して、善を強く意識する性格の人の生存が有利になり、人の心理はその方向に誘導される。これは「進化心理学」の結論だろう。その適者生存のメカニズムにより、冷徹な性格の遺伝子はグループの構成員が増加するに従って減少するだろう。
しかし、グループの境界で他のグループと対決するには、より攻撃的で冷徹な人間の方が有利である。その境界人間に有利な遺伝子を“悪の遺伝子”と以下呼ぶ。それと反対に境界内部で生きるに有利な温厚且つ凡庸な人間の遺伝子を“善の遺伝子”である。
現在、人の運命共同体的グループは国家である。その200程の国家をメンバーとする社会を考えた場合、未だに野生の原理が支配する。つまり、善と悪が分離して、社会内を善が支配するに至っていないからである。それは、ここ数日の米国によるシリア爆撃やアフガン爆撃を見ても明らかである。(補足2)
地球は有限であるので、原始の時代には個人レベルや種族レベルでの殺し合いでヒトは自然淘汰されていたが、近代以降は国家間の戦争で淘汰される。その結果、サイコパス的に冷徹に長期的作戦をたて、敵となった国家を欺き攻撃し凋落させ、悪を用いて滅ぼす国の人間が生き残ることになる。
逆に、平和を愛する融和的な人間ばかりになった国は、将来的には滅びることになる。実際にそのような淘汰の例が19世紀にあった。ニュージランド沖の小島にモリオリ属という人たちが住んでいた。ある時、マウリ族が他のより大きな島から侵略したとき、モリオリ属は平和的な解決をしようとしたが、殆ど全員が虐殺されたのである。長い間に“悪の遺伝子(境界人間の遺伝子)”が少なくなった結果だと解釈できると思う。(ジャレド・ダイヤモンド著、「銃、病原菌、鉄」第二章参照)
3)国家や大企業(国家等)は、常に食うか食われるかの野生の空間に存在すると考えられる。国家等の争いにおいて他の国や個人を、(グループ内部に限られた)善の論理で扱っていては、その争いには勝てず、最終的には淘汰されてしまう可能性がある。また、緊急の場合にはグループの内部の人に、戦いというグループの境界を跨ぐ世界(悪の世界)に強制的に連れて出さなければならない。
戦争においては、司令官は非情な決断を下すし、そのような遺伝子を持たない人しか司令官に選べなかった国は滅びるだろう。その“悪の遺伝子”を持つ人は、流浪の民族や絶えず戦争を経験した民族に多いだろう。この“悪の遺伝子”がより強調されて存在するのがサイコパスだろう。(補足3)
ある本にサイコパス的な人の割合が西欧で4%と台湾や日本など東アジアに比較して数十倍も多いことが書かれているそうである。http://blog.midnightseminar.net/entry/2015/06/20/232909 東アジアの社会の方が、農耕民族として過ごす割合が多く、人と人の親密度が高いことがわかる。台湾や日本などは孤島であり、全体が統一された以降敵が現れる頻度が少ないので、悪の遺伝子が少ないのは進化心理学的に当然である。一方、西欧では民族の移動や民族間の抗争は有史以来頻繁に起こっていたため、サイコパス遺伝子が多く残るのだろう。
米国は流浪の民を多く抱えている。冷徹な知と“悪の遺伝子”を併せ持つ人が、政治や実業界で成功するチャンスが多い国である。それは、個が自立し自由を国是とする国だからである。それが、米国を地球上でもっとも多く、実業界や政治の世界での成功者を出し続ける国にしている理由ではないだろうか。「トランプはサイコパスか」という題目の記事が多いのは、世界が争い時期に入り、悪の遺伝子こそ民族を救うという時代なのかもしれない。http://www.independent.co.uk/news/world/americas/donald-trump-psychopath-researcher-oxford-university-kevin-dutton-a7204706.html
補足:
1)実験心理学者の調査によると、サイコパスの人が一卵性双生児の片方であった場合、全く異なった環境で育ったもう一方も同じ性質を持っているとの結果を得たという。
2)善悪の秩序は法の支配によりなされる。しかし、国際法は法としての権威を有していない。米国による中東での行為の殆どは国際法違反である。つまり、国際間は未だ野生の原理が支配している。
3)Kevin Dutton著の“The Wisdom of Psychopaths”に書かれているそうである。詳細は以下のサイトを参照:http://rocketnews24.com/2016/02/04/702271/ ここでは、1940年代に既に近代社会の成功者、例えば政治的な成功者、にはサイコパス遺伝子を持った人が多いとの説が発表されているという。(精神科医のハーヴェイ・クレックレーの説)
2017年4月12日水曜日
善と悪の話:善は「社会」と伴に作られた概念である
週初めの日曜日の「そこまで言って委員会NP」において、性善説とか性悪説を弄った議論をしていた。あまり良い議論に思えなかったので、ここに善と悪を再度考察する。このテーマについては、以前何度も議論したが、一つだけ親鸞の悪人正機説との関連でも議論した記事を引用する。議論コメントなど歓迎します。http://rcbyspinmanipulation.blogspot.jp/2013/12/blog-post_5.html
1)生物の命は、他の生物を食物とすることにより維持再生される。食物は異種の生物である場合が多いが、同種の生物は食物とならなくても、食物獲得の競争相手となる。人も生物であり、その点において例外ではない。
善と悪は、社会の形成とともに始まったと思うのだが、その定義は簡単である。悪とは人が生存のためにとる行為のうち、他の人の利益や自由を顧みないものである。善とは悪の反対であり、社会において自己を犠牲にする行動や考え(に付けるラベル)である。社会を作らない場合、善も悪も存在しない。
ヒト(以下人と書く)が地球上で他の生物を支配出来たのは、多くの個体から形成されるグループを作ったからである。そのグループは、最初の段階ではボスによる恐怖支配の小さなものだろうが、言葉の出現と自己の相対的認識がそのグループに多層的な構造を可能にして、大きく且つ強力にした。(補足1)その成長のプロセスを獲得したグループは、何れ国家と呼べる様にまで成長するだろう。その人と人との間の協力関係を築く行為やそれを支える考え方について、抽象化されたのが“善”という概念である。その善のモデルについて、以下に具体的に説明する。
2)言葉は論理を構成する道具であるから、言葉を得たことは同時に、人が自己を観測の対象とする能力を獲得したことを意味する。他の生物では自己は絶対的であり、従って観測の対象ではないので、自己犠牲も自殺もあり得ない。
自己を相対的に把握する能力を得た人間は、自分の所属する運命共同体のグループを、少なくとも自分の生命以上の存在として把握することになる。それは、そのグループの消滅は自分の命の他に、自分の血族など周囲の人の命をも亡くすることになるからである。
その段階のグループを形成するようになって初めて、自己を犠牲にして自分のグループを支えることが可能になり、「善」が生まれるのである。その善の論理と自己の相対化は、個の能力に応じた積極的なグループへの参加を即し、グループを多層的に大きく成長させた。そのグループの内部は「社会」と呼べる空間となる。その結果、メンバーはより強力で安全な「生」を享受することになる。その正のフィードバックにより、グループはやがて国家と呼べるようになり、善が人間社会に根付くことになったと考える。
自分を認識する能力は、遺伝子に書き込まれたものであるが、自分を犠牲にする協力関係(つまり善)の発生は文化である。それが遺伝子に書き込めない理由は、その反対の悪が生命にとって本質的であるからである。それはまた、自分のグループを存続させるために、他のグループに対して敵対行為をするために必要だからである。人間の歴史は、その争いの物語である。
3)敵に勝つため、グループ内部で行えば悪である行為を敵に対して行う。敵を弱める行為、殲滅する行為は、味方の生存にとって必須であり、従って善である。つまり、現在我々が持つ善悪の物差しはグループ内部では成立するが、境界を跨ぐ出来事の場合には逆転する場合が多い。つまり、善と悪は普遍的な概念でなく、グループ内部に限られるのである。
現在、善悪の成立境界として明白なのは国境である。パスポートを初めて交付してもらった人は、その中に書かれた文章から、自分の命を保障する国家という存在を改めて知ることになる。国境を越えれば、個人としての権利の保障など本来ない。
従って、国家の最重要な義務は、自国民の命の安全と行動の自由を護る(まもる)ことにある。国民の義務は、その国家を自分の能力に応じて支えることである。(補足2)
補足:
1)恐怖が支配するグループは猿など他の生物に見られる。この場合、結局決断は一匹のボスの能力で決まり、複雑な大きなグループを維持できない。それは独裁国家や全体主義国家にも見られる欠陥である。並列に知恵を並べて、そこから方針を決断する体制により初めて大きな「人間特有のグループ(社会)」を形成できる。それを支えるのは、メンバー間の自発的で持続的な「善」に基づく協力である。
2)日本海側から多くの日本人が北朝鮮に拉致された。これは北朝鮮が国家として行ったのであるから、宣戦布告なき戦争行為である。それを単に北朝鮮の犯罪と見なすごまかしがまかり通っているのは、日本国は国家の体をなしていないことの証明である。また、拉致被害者を取り返す努力をしないのは、国家の怠慢である。従って、拉致被害者の会が北朝鮮を非難するのはお門違いであり、非難すべきは国家としての義務を果たさない日本国政府である。
1)生物の命は、他の生物を食物とすることにより維持再生される。食物は異種の生物である場合が多いが、同種の生物は食物とならなくても、食物獲得の競争相手となる。人も生物であり、その点において例外ではない。
善と悪は、社会の形成とともに始まったと思うのだが、その定義は簡単である。悪とは人が生存のためにとる行為のうち、他の人の利益や自由を顧みないものである。善とは悪の反対であり、社会において自己を犠牲にする行動や考え(に付けるラベル)である。社会を作らない場合、善も悪も存在しない。
ヒト(以下人と書く)が地球上で他の生物を支配出来たのは、多くの個体から形成されるグループを作ったからである。そのグループは、最初の段階ではボスによる恐怖支配の小さなものだろうが、言葉の出現と自己の相対的認識がそのグループに多層的な構造を可能にして、大きく且つ強力にした。(補足1)その成長のプロセスを獲得したグループは、何れ国家と呼べる様にまで成長するだろう。その人と人との間の協力関係を築く行為やそれを支える考え方について、抽象化されたのが“善”という概念である。その善のモデルについて、以下に具体的に説明する。
2)言葉は論理を構成する道具であるから、言葉を得たことは同時に、人が自己を観測の対象とする能力を獲得したことを意味する。他の生物では自己は絶対的であり、従って観測の対象ではないので、自己犠牲も自殺もあり得ない。
自己を相対的に把握する能力を得た人間は、自分の所属する運命共同体のグループを、少なくとも自分の生命以上の存在として把握することになる。それは、そのグループの消滅は自分の命の他に、自分の血族など周囲の人の命をも亡くすることになるからである。
その段階のグループを形成するようになって初めて、自己を犠牲にして自分のグループを支えることが可能になり、「善」が生まれるのである。その善の論理と自己の相対化は、個の能力に応じた積極的なグループへの参加を即し、グループを多層的に大きく成長させた。そのグループの内部は「社会」と呼べる空間となる。その結果、メンバーはより強力で安全な「生」を享受することになる。その正のフィードバックにより、グループはやがて国家と呼べるようになり、善が人間社会に根付くことになったと考える。
自分を認識する能力は、遺伝子に書き込まれたものであるが、自分を犠牲にする協力関係(つまり善)の発生は文化である。それが遺伝子に書き込めない理由は、その反対の悪が生命にとって本質的であるからである。それはまた、自分のグループを存続させるために、他のグループに対して敵対行為をするために必要だからである。人間の歴史は、その争いの物語である。
3)敵に勝つため、グループ内部で行えば悪である行為を敵に対して行う。敵を弱める行為、殲滅する行為は、味方の生存にとって必須であり、従って善である。つまり、現在我々が持つ善悪の物差しはグループ内部では成立するが、境界を跨ぐ出来事の場合には逆転する場合が多い。つまり、善と悪は普遍的な概念でなく、グループ内部に限られるのである。
現在、善悪の成立境界として明白なのは国境である。パスポートを初めて交付してもらった人は、その中に書かれた文章から、自分の命を保障する国家という存在を改めて知ることになる。国境を越えれば、個人としての権利の保障など本来ない。
従って、国家の最重要な義務は、自国民の命の安全と行動の自由を護る(まもる)ことにある。国民の義務は、その国家を自分の能力に応じて支えることである。(補足2)
補足:
1)恐怖が支配するグループは猿など他の生物に見られる。この場合、結局決断は一匹のボスの能力で決まり、複雑な大きなグループを維持できない。それは独裁国家や全体主義国家にも見られる欠陥である。並列に知恵を並べて、そこから方針を決断する体制により初めて大きな「人間特有のグループ(社会)」を形成できる。それを支えるのは、メンバー間の自発的で持続的な「善」に基づく協力である。
2)日本海側から多くの日本人が北朝鮮に拉致された。これは北朝鮮が国家として行ったのであるから、宣戦布告なき戦争行為である。それを単に北朝鮮の犯罪と見なすごまかしがまかり通っているのは、日本国は国家の体をなしていないことの証明である。また、拉致被害者を取り返す努力をしないのは、国家の怠慢である。従って、拉致被害者の会が北朝鮮を非難するのはお門違いであり、非難すべきは国家としての義務を果たさない日本国政府である。
北朝鮮の軟着陸(核抜きでの朝鮮戦争の終結)に米、中、日は協力すべき
一昨日の李克強中国首相と河野洋平元衆議院議長との北朝鮮問題に関する会談で、李克強首相は「朝鮮半島の非核化と安定、対話による解決が必要だというのが中国の一貫した考えだ」としたうえで、「中国と日本でともにできることがある」と話し、協力の必要性を強調したということである。今朝のモーニングサテライトでは、日本政府は米国にたいして、北朝鮮攻撃の際には事前協議をするように要請したと報じていた。戦争の足跡が遠くで聞こえる。
中国は北朝鮮との関係を、朝貢国の延長の様に考えてきたと思う。その密接な北朝鮮との関係は、暴れ者北朝鮮の監視役という国際的地位を得ることに繋がったが、その役割についての国際的な評価は、北朝鮮の核開発で非常に低くなっている。また、金正恩がトップになってからは、中国は仮想敵国のように言及されている。
また、中国は北朝鮮の地下資源にたいする支配権を重要だと考えているらしい。中国はこれらの利権を一旦考慮の外において、北朝鮮問題への国際的寄与を果たして欲しい。つまり、独立国の北朝鮮を育てる方向で、米国と協議すべきだと思う。北朝鮮と米国の関係は、戦前の日米関係に似ている。米国は、北朝鮮を陰陽両面から挑発し、北朝鮮が先制攻撃するのを待っているように見える。(補足1)
米国がすべきことは、朝鮮戦争を終結して北朝鮮を承認し、平和条約を締結することである。北朝鮮は当然、核兵器の廃棄と今後持たないことと、IAEAの定期的査察に合意することである。最も難しい問題は、北朝鮮の政治体制である。金正恩が自ら敷いた恐怖政治から脱却出来るように、この平和条約締結に相当の期間を取り、そのなかで広い範囲からアドヴァイザーを受け入れさせる様にすべきだと思う。
日本ができることは、小泉政権のときに一度トライしたことだと思うが、北朝鮮の承認と基本条約の締結である。その際に、小泉政権が予定した程度の経済協力が必要だろうが、それは米国との平和条約が済んでからの問題だと思う。この時、拉致問題解決という狭い範囲に目標を定めて交渉を行ったとすれば、それは根本的なミスであり、小泉氏は無能者に違いない。
これらの筋書きは、以前にブログで指摘したように、本来なら潘基文氏が国連の事務総長であったときに、国連が調整役を行うべきだったのだが、今回は米中と北朝鮮が話をまとめるべきだと思う。https://blogs.yahoo.co.jp/mopyesr/42389602.html
補足:
1)戦争は、そのまま景気刺激のための財政支出となり、米国のGDPを押し上げる。シリアへ発射したクルーズミサイルは合計50億円程度だというが、それはそのまま軍需産業の売上になり、GDPの上昇となる。今朝のモーニングサテライトでは、関係企業の株価が上昇していると言っていた。その中には、ロッキード・マーチンなど馴染みの名前があった。
追加:https://www.youtube.com/watch?v=9dpAKPNWg48 にある百田尚樹さんの解説を聞いてください。ついでに、コメント欄のMohkorigoriのコメントも読んで下さい。
中国は北朝鮮との関係を、朝貢国の延長の様に考えてきたと思う。その密接な北朝鮮との関係は、暴れ者北朝鮮の監視役という国際的地位を得ることに繋がったが、その役割についての国際的な評価は、北朝鮮の核開発で非常に低くなっている。また、金正恩がトップになってからは、中国は仮想敵国のように言及されている。
また、中国は北朝鮮の地下資源にたいする支配権を重要だと考えているらしい。中国はこれらの利権を一旦考慮の外において、北朝鮮問題への国際的寄与を果たして欲しい。つまり、独立国の北朝鮮を育てる方向で、米国と協議すべきだと思う。北朝鮮と米国の関係は、戦前の日米関係に似ている。米国は、北朝鮮を陰陽両面から挑発し、北朝鮮が先制攻撃するのを待っているように見える。(補足1)
米国がすべきことは、朝鮮戦争を終結して北朝鮮を承認し、平和条約を締結することである。北朝鮮は当然、核兵器の廃棄と今後持たないことと、IAEAの定期的査察に合意することである。最も難しい問題は、北朝鮮の政治体制である。金正恩が自ら敷いた恐怖政治から脱却出来るように、この平和条約締結に相当の期間を取り、そのなかで広い範囲からアドヴァイザーを受け入れさせる様にすべきだと思う。
日本ができることは、小泉政権のときに一度トライしたことだと思うが、北朝鮮の承認と基本条約の締結である。その際に、小泉政権が予定した程度の経済協力が必要だろうが、それは米国との平和条約が済んでからの問題だと思う。この時、拉致問題解決という狭い範囲に目標を定めて交渉を行ったとすれば、それは根本的なミスであり、小泉氏は無能者に違いない。
これらの筋書きは、以前にブログで指摘したように、本来なら潘基文氏が国連の事務総長であったときに、国連が調整役を行うべきだったのだが、今回は米中と北朝鮮が話をまとめるべきだと思う。https://blogs.yahoo.co.jp/mopyesr/42389602.html
補足:
1)戦争は、そのまま景気刺激のための財政支出となり、米国のGDPを押し上げる。シリアへ発射したクルーズミサイルは合計50億円程度だというが、それはそのまま軍需産業の売上になり、GDPの上昇となる。今朝のモーニングサテライトでは、関係企業の株価が上昇していると言っていた。その中には、ロッキード・マーチンなど馴染みの名前があった。
追加:https://www.youtube.com/watch?v=9dpAKPNWg48 にある百田尚樹さんの解説を聞いてください。ついでに、コメント欄のMohkorigoriのコメントも読んで下さい。
2017年4月8日土曜日
保守とは何か:摘菜収のミシマの警告という本を読んだが何が言いたいのかわからなかった
1)最近、摘菜収の「ミシマの警告」という本を読んだ。副題は、”保守を偽装するB層の害毒”である。B層とは、マスコミ報道に流されやすい比較的IQの低い人たちのことである。(補足1)著者は、小泉、安倍、橋下、小池の4氏を支援する人たちの大多数をその様に(B層と)考えて、日本は破壊されつつあると言っている。
この本の前半のテーマは分かりやすく、「日本で何故健全な保守勢力が育たないか」である。読者としての私が理解したところでは、その答えは議会制民主主義の歴史に学んでいないからである。つまり西欧では、キリスト教から発生した啓蒙思想(補足2)が民主主義を生み、その欠陥を補修した形の議会主義が定着している。日本は明治以降、その結果を輸入したが、その歴史に学んでいないのである。
その辺りを、三島由紀夫の著述を引用して書いている。この前半部分は我々理系バカには勉強になるが(補足3)、後半は著者の現実離れした解析に付き合うことになる。小池東京都知事や安倍政権の批判、数年前に大阪府知事だった頃の橋下維新を攻撃するところで終わっている。
著者は直接民主主義と間接民主主義を明確に区別し、前者を民主主義、後者を議会主義と呼んでいる。三島由紀夫は議会主義を擁護する立場であったとしている。保守(主義)は、「何とかイズムを信奉しないで過去から受け継いだものを大事にして、現実的改善で対応する政治姿勢」である。
三島が議会制を擁護しようとしたというが、それが主題ならそして西欧の議会主義の歴史を考えれば、参議院の改革や一票の格差是正などに話が行くべきだがその点は何も書かれていない。この人は保守且つ改善が嫌いだからだろう。
これまでやってきた延長上に現実的な改良を加え、その範囲に答えを見いだす保守の姿勢は成熟国家にはふさわしいが、日本など西欧のものまねで議会制を導入した国では、形だけのマネに終わっており、元々十分に機能していない点が多々あると思う。
三島が真っ当な保守だとの触れ込みだが、石原慎太郎が三島に「共和制という選択はありえないですか」と聞いた時、三島は「あなたが共和制を主張したら、私はあなたを殺す」と言ったという。(P135)その姿勢は保守ではなく、国粋主義のものだろう。イデオロギーを持ち出すのは保守ではないのなら、国粋主義を持ち出す三島は保守ではないということになるが、著者はどう考えているのだろうか?
2)繰り返しになるが、保守で国家の運営ができるのは、成熟した国家且つ孤立した国家の場合である。国際社会で生きていくには、不連続的に変化する国際情勢に対応しなければならないので、革新的な政治姿勢も必要である。幕末の日本はまさにその様な状況であり、保守ではなく薩長の革命政権が天皇制を採用して国難を乗り切った。その辺りの認識はこの著者には何もない。
著者は、最近の小泉政権や安倍政権の政治、更に、大阪維新の会の政治を衆愚政治に堕落した(直接)民主主義的政治と看做している。最近の小池都政も同じ解釈で俎板に載せている。味噌も糞も一緒にした議論である。 https://www.youtube.com/watch?v=8MbURcYJGsY
原因として、保守が反共産に堕落した後、本来の保守が日本に戻っていないことをあげている。それも真実だろうが、上記のようにそれだけではない。本物の議会制が未だ一度も日本国に導入されていないと考えるべきだろう。
その処方箋を議論せずに、現状の悪口だけを並べて不平不満を言っているように感じた。その改革すべきところを真面目に議論しようとした勢力をも、保守的でないという理由だけで味噌糞に批判する姿勢には嫌悪感すら感じる。つまり、小池都政と橋下府政の区別をしていない。
橋下氏は、太田房江知事の無責任府政から引き継いだ大阪府を、財政破綻寸前から建てなおしたと私は考えている。道州制も、地域の伝統を新たに利用することで日本国に新しい生きるエネルギーを生み出すには最適だと思う。小池氏はポピュリストであるが、橋下氏を同等のポピュリストと捉えるのには反対である。
B層という知能の低い大多数の支援を受けた小泉政権や安倍政権を批判するのはわからない訳ではない。しかし、B層に阿る政権とB層をカルチベイト(cultivate)して、真っ当な政治勢力に育てようとした勢力とを一緒にするのは、東京人の傲慢である。また、この本や「アンチクリスト」の現代語訳の言葉使いの荒さから、この著者がまともな知性を備えた方には思えない。(4月9日早朝編集)
補足:
1)著者によると、2005年の郵政選挙の際、自民党が広告会社に作成させた企画書に登場する概念だそうである。(52頁)構造改革に賛成でIQの低い人たちを指す。
2)人間に共通の理性があり、その普遍性を主張する思想。フランス革命、英国の議会制民主主義や三権分立の考えは、そこから発生した。ウィキペディア参照
3)スペインの哲学者のオルテガも大衆を批判する一人である。彼は、近代化に伴い新たにエリート層として台頭し始めた専門家層、とくに「科学者」を、「近代の原始人、近代の野蛮人」と批判した。。
この本の前半のテーマは分かりやすく、「日本で何故健全な保守勢力が育たないか」である。読者としての私が理解したところでは、その答えは議会制民主主義の歴史に学んでいないからである。つまり西欧では、キリスト教から発生した啓蒙思想(補足2)が民主主義を生み、その欠陥を補修した形の議会主義が定着している。日本は明治以降、その結果を輸入したが、その歴史に学んでいないのである。
その辺りを、三島由紀夫の著述を引用して書いている。この前半部分は我々理系バカには勉強になるが(補足3)、後半は著者の現実離れした解析に付き合うことになる。小池東京都知事や安倍政権の批判、数年前に大阪府知事だった頃の橋下維新を攻撃するところで終わっている。
著者は直接民主主義と間接民主主義を明確に区別し、前者を民主主義、後者を議会主義と呼んでいる。三島由紀夫は議会主義を擁護する立場であったとしている。保守(主義)は、「何とかイズムを信奉しないで過去から受け継いだものを大事にして、現実的改善で対応する政治姿勢」である。
三島が議会制を擁護しようとしたというが、それが主題ならそして西欧の議会主義の歴史を考えれば、参議院の改革や一票の格差是正などに話が行くべきだがその点は何も書かれていない。この人は保守且つ改善が嫌いだからだろう。
これまでやってきた延長上に現実的な改良を加え、その範囲に答えを見いだす保守の姿勢は成熟国家にはふさわしいが、日本など西欧のものまねで議会制を導入した国では、形だけのマネに終わっており、元々十分に機能していない点が多々あると思う。
三島が真っ当な保守だとの触れ込みだが、石原慎太郎が三島に「共和制という選択はありえないですか」と聞いた時、三島は「あなたが共和制を主張したら、私はあなたを殺す」と言ったという。(P135)その姿勢は保守ではなく、国粋主義のものだろう。イデオロギーを持ち出すのは保守ではないのなら、国粋主義を持ち出す三島は保守ではないということになるが、著者はどう考えているのだろうか?
2)繰り返しになるが、保守で国家の運営ができるのは、成熟した国家且つ孤立した国家の場合である。国際社会で生きていくには、不連続的に変化する国際情勢に対応しなければならないので、革新的な政治姿勢も必要である。幕末の日本はまさにその様な状況であり、保守ではなく薩長の革命政権が天皇制を採用して国難を乗り切った。その辺りの認識はこの著者には何もない。
著者は、最近の小泉政権や安倍政権の政治、更に、大阪維新の会の政治を衆愚政治に堕落した(直接)民主主義的政治と看做している。最近の小池都政も同じ解釈で俎板に載せている。味噌も糞も一緒にした議論である。 https://www.youtube.com/watch?v=8MbURcYJGsY
原因として、保守が反共産に堕落した後、本来の保守が日本に戻っていないことをあげている。それも真実だろうが、上記のようにそれだけではない。本物の議会制が未だ一度も日本国に導入されていないと考えるべきだろう。
その処方箋を議論せずに、現状の悪口だけを並べて不平不満を言っているように感じた。その改革すべきところを真面目に議論しようとした勢力をも、保守的でないという理由だけで味噌糞に批判する姿勢には嫌悪感すら感じる。つまり、小池都政と橋下府政の区別をしていない。
橋下氏は、太田房江知事の無責任府政から引き継いだ大阪府を、財政破綻寸前から建てなおしたと私は考えている。道州制も、地域の伝統を新たに利用することで日本国に新しい生きるエネルギーを生み出すには最適だと思う。小池氏はポピュリストであるが、橋下氏を同等のポピュリストと捉えるのには反対である。
B層という知能の低い大多数の支援を受けた小泉政権や安倍政権を批判するのはわからない訳ではない。しかし、B層に阿る政権とB層をカルチベイト(cultivate)して、真っ当な政治勢力に育てようとした勢力とを一緒にするのは、東京人の傲慢である。また、この本や「アンチクリスト」の現代語訳の言葉使いの荒さから、この著者がまともな知性を備えた方には思えない。(4月9日早朝編集)
補足:
1)著者によると、2005年の郵政選挙の際、自民党が広告会社に作成させた企画書に登場する概念だそうである。(52頁)構造改革に賛成でIQの低い人たちを指す。
2)人間に共通の理性があり、その普遍性を主張する思想。フランス革命、英国の議会制民主主義や三権分立の考えは、そこから発生した。ウィキペディア参照
3)スペインの哲学者のオルテガも大衆を批判する一人である。彼は、近代化に伴い新たにエリート層として台頭し始めた専門家層、とくに「科学者」を、「近代の原始人、近代の野蛮人」と批判した。。
2017年4月6日木曜日
安倍自民党政権と天皇元首制:森友問題と教育勅語
1)最近の森友学園への国有地格安払い下げ問題は、外国にも広く報道されているという。しかし、その視点は日本の報道機関のそれとはかなり異なっている。つまり、西欧諸国の報道機関の視線の先にあるのは、教育勅語を幼稚園で教えるような学園であり、それが首相の支援を得ているかもしれない国「日本」である。(以下のCNNの解説の後半) http://edition.cnn.com/2017/03/22/asia/japan-school-scandal/
産経ニュースによると、菅官房長官は4日の記者会見において「政府として積極的に教育勅語を教育現場で活用する考えは全くない」と強調しつつ、「教育基本法の趣旨を踏まえながら、学習指導要領に沿って学校現場の判断で行うべきである。それ以上でもそれ以下でもない」と不明瞭な政府の姿勢を語った。 http://www.sankei.com/politics/news/170404/plt1704040057-n1.html
この発言は、“教育勅語を従来のように歴史教育で教えるだけでなく、それ以外の部分、例えば道徳や国語の教材として用いることも、直ちに憲法や教育基本法の精神に合致しないと決めつける訳ではない”という表明である。教育勅語の暗誦は幼児教育としては相応しいとは言えないが、教育現場一般において教育勅語を直ちに否定したくないという安倍政権の姿勢を表している。
しかし、教育勅語を歴史教育ではなく、道徳や国語の教材として用いることは、憲法の精神に違反する。何故なら、教育勅語の中心に「一旦緩急アレバ義勇公二奉ジ、以テ天壌無窮ノ皇運ヲ扶翼スベシ」(いざとなれば天皇の為に命を賭けて戦いなさい)と書かれているからである。そして、その姿勢は天皇の忠良なる臣民というだけでなく祖先の遺風を尊重することになると書かれている。
これらの文章は、天皇が日本国民統合の「象徴」であるとする、日本国憲法の考え方に反する。菅官房長官は、これが「憲法や教育基本法の精神に合致しないという訳ではない」とどうして言えるのか?
ここで思い出すべきは、自民党の改正憲法の草案である。その第一条には、「天皇は国家の元首である」と明記されているので、その憲法に改定された時には教育勅語は一定の位置を再度獲得することになる。つまり、官房長官の談話は、憲法改正を目指す安倍政権の姿勢を踏まえているのである。
2)民主主義という基本的価値を日本も受け入れた筈ではないのか?
最近読んだ本にニーチェのアンチクリストの現代語訳版があり、その概要と感想を数日前に書いた そこには、人間の性質や能力の優劣の分布は大きく、高度に人工的に組み上げられピラミッド型の社会において、キリスト教的な全ての人々の自由、平等、博愛といった価値を政治の世界に展開した民主主義政治は破滅への道であり、その政治体制の発明はユダヤ民族の企みであると記述してあった。(「キリスト教は邪教です」摘菜収訳、ブログ記事:https://blogs.yahoo.co.jp/mopyesr/43225234.html)
英国やフランスなど西欧の歴史において、そのキリスト教文化の中で議会制民主主義の政治体制を作り上げた。その政治体制が不十分極まりないと言っても、それ以上の体制を知らない(チャーチルのことば)というのが近代の結論だったと思う。それを受け入れ、且つ、全体主義に陥った反省を込めて、近代国家として再スタートするべく制定したのが、現在の日本国憲法の筈である。
その日本国憲法に欠陥が残るとしても、それは第9条:日本国軍を持ち得ないという条文であっても、第1条:天皇が日本国民統合の象徴であるという条文ではない。それを改定して天皇を国家の元首とし、過去の精神風土の再現を目指すのは「歴史修正主義(リビジョニスト)」の名乗りを上げることではないのか。
3)国際政治において、国家の方向は善悪よりも長期的視点で見た損得で決めるべきだと思う。善悪に関して、共通の物差しは存在しないからである。従って、欧米の政治文化が今後も続くと考える以上、欧米の基本的価値である自由、平等、人権とそれに基づく民主主義を共有することは、最善という訳ではないが得であると思う。そのためには、現在の民主主義体制に至った西欧の歴史プロセスやその際に発展した政治哲学から学ぶべきだと思う。(補足1) また、不足する部分(アンチクリストにあるような)の補完に関しても欧米を見本にすれば良いと思う。
明治維新以降の日本は、西欧の進んだ科学技術と政治体制を学び実施することを急いだ。そのために、議会制民主主義という政治の形を学んだが、その成立の過程をあまり学ばなかったのではないのか。東アジア諸国は、英国やフランスで作られた現在の標準的政治体制形成のプロセスを知らないので、西欧と深刻に対立する可能性を持っている。
この地球上に生き残る文明が、西欧文明である可能性が高いとすれば、遠回りかもしれないが、西欧の政治体制の成立過程を国民の常識として持つべきだと思う。それは政治の世界における、ISO (工業製品の国際規格)のようなものだからである。
その視点から、現在自民党(多くの自民党幹部が参加している日本会議)の考える日本国憲法草案(天皇を元首とする)は、日本国の将来あるべき姿とは一致しないと思う。教育勅語の内容は、個人の自由や平等といった概念とは真正面から衝突し、輸入したはずの西欧型民主主義の精神とは一致しない。(補足2)今上天皇が天皇の地位に関係して、「象徴としての天皇のあるべき姿」を昨年の談話で何度も言われたのは、天皇を利用する政治のあり方に疑義を持たれているのだと思う。
補足:
1)社会契約説からジョン・ロックの政府二論までのところを少し”ネット勉強”をした。後者の考え方が参考になったので、以下に”超簡単に”概略を記す。(理系人間なので、このあたりには元々無知です。)
自然状態の人間集団から国家と国民の体制を作ることは、自然権(人間が生まれつき持つ権利)の一部を一旦国家に譲渡することになる。その権利を継承した立法府が国民の意思を法として作り上げ、それを行政府が実行する。それが国民の意思を十分反映しないときに、政府が支配者にならないためには、国民は抵抗権を保持しなければならない。その役割をするのが最高裁判所である。以上が、国民主権国家の具体的な形であると思う。
Common Wealth (共通の富)が国家の意味であることに注目するべきだと思う。
2)英国はUnited Kingdomであり、王国である。つまり、エリザベス女王は皇帝ではない。イギリスには国民が自由を宣言した権利の章典を不成典憲法としてもつ。天皇はEmperorであり帝国の主である。そのまま国家元首にすれば、日本帝国になるのは当然ではないか。
産経ニュースによると、菅官房長官は4日の記者会見において「政府として積極的に教育勅語を教育現場で活用する考えは全くない」と強調しつつ、「教育基本法の趣旨を踏まえながら、学習指導要領に沿って学校現場の判断で行うべきである。それ以上でもそれ以下でもない」と不明瞭な政府の姿勢を語った。 http://www.sankei.com/politics/news/170404/plt1704040057-n1.html
この発言は、“教育勅語を従来のように歴史教育で教えるだけでなく、それ以外の部分、例えば道徳や国語の教材として用いることも、直ちに憲法や教育基本法の精神に合致しないと決めつける訳ではない”という表明である。教育勅語の暗誦は幼児教育としては相応しいとは言えないが、教育現場一般において教育勅語を直ちに否定したくないという安倍政権の姿勢を表している。
しかし、教育勅語を歴史教育ではなく、道徳や国語の教材として用いることは、憲法の精神に違反する。何故なら、教育勅語の中心に「一旦緩急アレバ義勇公二奉ジ、以テ天壌無窮ノ皇運ヲ扶翼スベシ」(いざとなれば天皇の為に命を賭けて戦いなさい)と書かれているからである。そして、その姿勢は天皇の忠良なる臣民というだけでなく祖先の遺風を尊重することになると書かれている。
これらの文章は、天皇が日本国民統合の「象徴」であるとする、日本国憲法の考え方に反する。菅官房長官は、これが「憲法や教育基本法の精神に合致しないという訳ではない」とどうして言えるのか?
ここで思い出すべきは、自民党の改正憲法の草案である。その第一条には、「天皇は国家の元首である」と明記されているので、その憲法に改定された時には教育勅語は一定の位置を再度獲得することになる。つまり、官房長官の談話は、憲法改正を目指す安倍政権の姿勢を踏まえているのである。
2)民主主義という基本的価値を日本も受け入れた筈ではないのか?
最近読んだ本にニーチェのアンチクリストの現代語訳版があり、その概要と感想を数日前に書いた そこには、人間の性質や能力の優劣の分布は大きく、高度に人工的に組み上げられピラミッド型の社会において、キリスト教的な全ての人々の自由、平等、博愛といった価値を政治の世界に展開した民主主義政治は破滅への道であり、その政治体制の発明はユダヤ民族の企みであると記述してあった。(「キリスト教は邪教です」摘菜収訳、ブログ記事:https://blogs.yahoo.co.jp/mopyesr/43225234.html)
英国やフランスなど西欧の歴史において、そのキリスト教文化の中で議会制民主主義の政治体制を作り上げた。その政治体制が不十分極まりないと言っても、それ以上の体制を知らない(チャーチルのことば)というのが近代の結論だったと思う。それを受け入れ、且つ、全体主義に陥った反省を込めて、近代国家として再スタートするべく制定したのが、現在の日本国憲法の筈である。
その日本国憲法に欠陥が残るとしても、それは第9条:日本国軍を持ち得ないという条文であっても、第1条:天皇が日本国民統合の象徴であるという条文ではない。それを改定して天皇を国家の元首とし、過去の精神風土の再現を目指すのは「歴史修正主義(リビジョニスト)」の名乗りを上げることではないのか。
3)国際政治において、国家の方向は善悪よりも長期的視点で見た損得で決めるべきだと思う。善悪に関して、共通の物差しは存在しないからである。従って、欧米の政治文化が今後も続くと考える以上、欧米の基本的価値である自由、平等、人権とそれに基づく民主主義を共有することは、最善という訳ではないが得であると思う。そのためには、現在の民主主義体制に至った西欧の歴史プロセスやその際に発展した政治哲学から学ぶべきだと思う。(補足1) また、不足する部分(アンチクリストにあるような)の補完に関しても欧米を見本にすれば良いと思う。
明治維新以降の日本は、西欧の進んだ科学技術と政治体制を学び実施することを急いだ。そのために、議会制民主主義という政治の形を学んだが、その成立の過程をあまり学ばなかったのではないのか。東アジア諸国は、英国やフランスで作られた現在の標準的政治体制形成のプロセスを知らないので、西欧と深刻に対立する可能性を持っている。
この地球上に生き残る文明が、西欧文明である可能性が高いとすれば、遠回りかもしれないが、西欧の政治体制の成立過程を国民の常識として持つべきだと思う。それは政治の世界における、ISO (工業製品の国際規格)のようなものだからである。
その視点から、現在自民党(多くの自民党幹部が参加している日本会議)の考える日本国憲法草案(天皇を元首とする)は、日本国の将来あるべき姿とは一致しないと思う。教育勅語の内容は、個人の自由や平等といった概念とは真正面から衝突し、輸入したはずの西欧型民主主義の精神とは一致しない。(補足2)今上天皇が天皇の地位に関係して、「象徴としての天皇のあるべき姿」を昨年の談話で何度も言われたのは、天皇を利用する政治のあり方に疑義を持たれているのだと思う。
補足:
1)社会契約説からジョン・ロックの政府二論までのところを少し”ネット勉強”をした。後者の考え方が参考になったので、以下に”超簡単に”概略を記す。(理系人間なので、このあたりには元々無知です。)
自然状態の人間集団から国家と国民の体制を作ることは、自然権(人間が生まれつき持つ権利)の一部を一旦国家に譲渡することになる。その権利を継承した立法府が国民の意思を法として作り上げ、それを行政府が実行する。それが国民の意思を十分反映しないときに、政府が支配者にならないためには、国民は抵抗権を保持しなければならない。その役割をするのが最高裁判所である。以上が、国民主権国家の具体的な形であると思う。
Common Wealth (共通の富)が国家の意味であることに注目するべきだと思う。
2)英国はUnited Kingdomであり、王国である。つまり、エリザベス女王は皇帝ではない。イギリスには国民が自由を宣言した権利の章典を不成典憲法としてもつ。天皇はEmperorであり帝国の主である。そのまま国家元首にすれば、日本帝国になるのは当然ではないか。
2017年4月5日水曜日
北朝鮮のミサイルが米国に届くかもしれないからといって、何故米国は北朝鮮を攻撃しなければならなくなったと言うのか?
日本に北朝鮮からミサイルが届くようになって久しいが、日本は北朝鮮を攻撃しなければならないとは考えていない。中国から米国にミサイルが届くようになって久しいが、米国は中国を攻撃すべきだとは言っていない。
北朝鮮が大陸間弾道ミサイルに核弾頭をつけたとしても、それを米国に打ち込むことは自殺行為だからある筈がない。金正日や金正恩をMad Manだと宣伝しても、誰が信用するのか?直接対話を拒絶している米国を対話のテーブルに招くために、核兵器開発をしていると最初から一貫して言っていたでは無いのか。
何を米国は焦っているのかわからない。米国が北朝鮮の国家承認をすれば何もかも静かになるのなら、簡単なことである。朝鮮半島を自由主義圏として統一する意思など朝鮮戦争でマッカーサーを解雇した時から一貫して無いのだから。
焦ったふりをして、北朝鮮を挑発しているだけだろう。もし、北朝鮮が先に攻撃してきた場合、真珠湾の時と同様、遠慮なく戦争ができる。ボーイングやロッキードなどの方々と肩を並べて、そんな話をしているのでは無いのか?
同盟国とそこに配備された米国軍に対する核の脅威を考えてのことなら、とっくの昔に北朝鮮に対して軍事行動をしていた筈だ。それを考えるのなら、今からでも日本や韓国に核配備をすれば済むことだ。朴正煕を暗殺したのは核開発を考えたからだという説がある。朴正煕が核開発計画に成功していたら、半島を統一した可能性が高いと思う。
この20年間の対北朝鮮政策は失敗だったなんていう発言は冗談だろう。元から、6カ国協議なんか、馬鹿げた枠組みを作って、韓国や日本が北朝鮮の核の脅威に怯えるまで時間稼ぎをしていたのだろう。
もう少しで、核の小型化が成功したところで、米国は西太平洋から引き上げるつもりだろう。それまでに一稼ぎできるのなら、それに越したことはないと、今準備をしているのだろう。最終的な目的は、要するに、日本、韓国、台湾などの経済的競争相手を潰すために、北朝鮮を育てたのでは無いだろうか。
地球は狭い。そこに繁栄できる国の数や人間の数は限られている。欧米人は、ローマクラブの成長の限界のような考えに基づいて、長期の戦略を立てている筈だ。当座の経済的利益からも、遠い将来の競争を考えても、東アジアの台頭は抑えたいと言うのが、基本戦略では無いのか。日本の対米追従の方々、どう思われますか?
北朝鮮が大陸間弾道ミサイルに核弾頭をつけたとしても、それを米国に打ち込むことは自殺行為だからある筈がない。金正日や金正恩をMad Manだと宣伝しても、誰が信用するのか?直接対話を拒絶している米国を対話のテーブルに招くために、核兵器開発をしていると最初から一貫して言っていたでは無いのか。
何を米国は焦っているのかわからない。米国が北朝鮮の国家承認をすれば何もかも静かになるのなら、簡単なことである。朝鮮半島を自由主義圏として統一する意思など朝鮮戦争でマッカーサーを解雇した時から一貫して無いのだから。
焦ったふりをして、北朝鮮を挑発しているだけだろう。もし、北朝鮮が先に攻撃してきた場合、真珠湾の時と同様、遠慮なく戦争ができる。ボーイングやロッキードなどの方々と肩を並べて、そんな話をしているのでは無いのか?
同盟国とそこに配備された米国軍に対する核の脅威を考えてのことなら、とっくの昔に北朝鮮に対して軍事行動をしていた筈だ。それを考えるのなら、今からでも日本や韓国に核配備をすれば済むことだ。朴正煕を暗殺したのは核開発を考えたからだという説がある。朴正煕が核開発計画に成功していたら、半島を統一した可能性が高いと思う。
この20年間の対北朝鮮政策は失敗だったなんていう発言は冗談だろう。元から、6カ国協議なんか、馬鹿げた枠組みを作って、韓国や日本が北朝鮮の核の脅威に怯えるまで時間稼ぎをしていたのだろう。
もう少しで、核の小型化が成功したところで、米国は西太平洋から引き上げるつもりだろう。それまでに一稼ぎできるのなら、それに越したことはないと、今準備をしているのだろう。最終的な目的は、要するに、日本、韓国、台湾などの経済的競争相手を潰すために、北朝鮮を育てたのでは無いだろうか。
地球は狭い。そこに繁栄できる国の数や人間の数は限られている。欧米人は、ローマクラブの成長の限界のような考えに基づいて、長期の戦略を立てている筈だ。当座の経済的利益からも、遠い将来の競争を考えても、東アジアの台頭は抑えたいと言うのが、基本戦略では無いのか。日本の対米追従の方々、どう思われますか?
2017年4月4日火曜日
主要農作物種子法の廃止法案を何の議論もなく通した衆議院
1)先月23日、衆議院は主要農作物種子法の廃止法案の質疑と即日可決を行った。このニュースは、日本共産党の機関紙である赤旗誌上を除いてほとんど報道されなかった。しかし、重要な問題を含む可能性が3月29日にアップロードされた動画上で、経済評論家の三橋貴明氏により指摘された。
https://www.youtube.com/watch?v=Gj5C-T9bQHE&lc=z13ceduygyrqgjiiw04cihoodpnhvneb3ow0k.1491198850140924
ここで主要農作物とは、稲、大麦、はだか麦、小麦及び大豆である。この法律は、主要農作物の優良な種子の生産及び普及を促進するため、種子の生産についての圃場審査その他の措置を行うことを目的とし、昭和27年に制定された。
その後、農業協同組合新聞(3月30日号)も、この法律の廃止は国民の基礎的食料である米、麦、大豆の種子を国が守るという政策を放棄するもので、種子の供給不足、外資系企業の参入による種子の支配などの懸念が生じているとの記事を掲載している。
この法律の廃止は、規制改革推進会議の議論が出発点にあるが、自民党の票田である農協が心配する様な法律を、審議もろくにしないで、即日可決するのは異常である。上記動画の紹介文(キャッチフレーズだろう)には、森友疑惑の真の目的は日本の食の安全を破壊する工作を隠す為と書かれている。
2)三橋氏の話から、この法案の廃止の背景として米国企業のロビー活動、または米国政府の圧力などの存在が推察される。
米国のバイオ関連企業にモンサント社という会社がある。ベトナム戦争の時に使われた枯葉剤の製造で有名になったこの企業は、遺伝子組み換え作物の種子の90%の世界シェアを持つ。つまり、除草剤などの農薬とそれに耐性を持つ遺伝子組み換え種子を用いる栽培法で、農業の世界支配を狙っているというのである。
実際、モンサント社の売り上げは、2005年に62億ドルだったが、2008年には110億ドル、2014年に160億ドルと増加している。この4四半期も連続して驚異的な利益増を記録している会社である。https://finance.yahoo.com/news/monsanto-mon-post-q2-earnings-134301076.html
モンサントの除草剤と遺伝子組み上げ種子を使う農業は生産性が高いが、いろんな危険性がある。一旦モンサント社式の農業を始めると、在来種を使う農業に戻れないことや、遺伝子組み換え食品の安全性は証明されていないことなどである。
種子法があればモンサント式農業は日本でできないが、そのモンサント社にとっての“障害”の一つを取り除くことになりはしないか(を目的にしているのではないか)と、三橋氏は指摘しているのである。
何故日本のマスコミは、いつも食の安全には相当神経質なのに、このニュースを報道しなかったのだろうか? マスコミが政府の米国追従姿勢を忖度したのではないかという司会者の冗談は、冗談で終わるのだろうか?
ここで主要農作物とは、稲、大麦、はだか麦、小麦及び大豆である。この法律は、主要農作物の優良な種子の生産及び普及を促進するため、種子の生産についての圃場審査その他の措置を行うことを目的とし、昭和27年に制定された。
その後、農業協同組合新聞(3月30日号)も、この法律の廃止は国民の基礎的食料である米、麦、大豆の種子を国が守るという政策を放棄するもので、種子の供給不足、外資系企業の参入による種子の支配などの懸念が生じているとの記事を掲載している。
この法律の廃止は、規制改革推進会議の議論が出発点にあるが、自民党の票田である農協が心配する様な法律を、審議もろくにしないで、即日可決するのは異常である。上記動画の紹介文(キャッチフレーズだろう)には、森友疑惑の真の目的は日本の食の安全を破壊する工作を隠す為と書かれている。
2)三橋氏の話から、この法案の廃止の背景として米国企業のロビー活動、または米国政府の圧力などの存在が推察される。
米国のバイオ関連企業にモンサント社という会社がある。ベトナム戦争の時に使われた枯葉剤の製造で有名になったこの企業は、遺伝子組み換え作物の種子の90%の世界シェアを持つ。つまり、除草剤などの農薬とそれに耐性を持つ遺伝子組み換え種子を用いる栽培法で、農業の世界支配を狙っているというのである。
実際、モンサント社の売り上げは、2005年に62億ドルだったが、2008年には110億ドル、2014年に160億ドルと増加している。この4四半期も連続して驚異的な利益増を記録している会社である。https://finance.yahoo.com/news/monsanto-mon-post-q2-earnings-134301076.html
モンサントの除草剤と遺伝子組み上げ種子を使う農業は生産性が高いが、いろんな危険性がある。一旦モンサント社式の農業を始めると、在来種を使う農業に戻れないことや、遺伝子組み換え食品の安全性は証明されていないことなどである。
種子法があればモンサント式農業は日本でできないが、そのモンサント社にとっての“障害”の一つを取り除くことになりはしないか(を目的にしているのではないか)と、三橋氏は指摘しているのである。
何故日本のマスコミは、いつも食の安全には相当神経質なのに、このニュースを報道しなかったのだろうか? マスコミが政府の米国追従姿勢を忖度したのではないかという司会者の冗談は、冗談で終わるのだろうか?
2017年4月3日月曜日
麻生副総理:北朝鮮有事警戒の呼びかけ?
3月31日の記者会見において、麻生財務相が北朝鮮情勢が緊迫していると喋ったという。何時ものように新聞には何も書いてないが、4月の米韓演習中から5月の韓国大統領選挙前までに何かが起こるだろう。https://www.youtube.com/watch?v=VIBZEJuOorA
米国の平壌爆撃、または特殊部隊の潜入、あるいは、急転直下の核廃棄と北朝鮮承認のセットとかのうちの一つ。
米国は、韓国軍と合同で朝鮮戦争を再開し、北朝鮮を占領するまで戦うというほどの覚悟はないだろう。中国の習近平は、北部戦区は十分抑えていないという説もあるので、積極的介入の約束は簡単にはできない。(昨年だったか、米中露による信託統治案が拒否されている。)中国での内紛(江沢民派と習近平)の可能性を恐れるからだ。
習近平の訪米が近い。その際、北朝鮮に援軍を送るふりや、米国避難を声高にするが、実際には何もしないという密約が中国がする最大限の譲歩だろうと思う。その見返りが、貿易不均衡の攻撃はあまりしないというのなら良いが、日本が絡んでくるのではないかと心配である。
対北朝鮮の作戦で最も簡単なのは、クーデターを工作して朝鮮内に米国の脅しを素直に聞く傀儡を作ることだが、そんなシナリオは事前には書けないだろう。やはり先ずは、特殊部隊を使った限定的な作戦だろう。その後に、誰かをトップに送り込む。ヨーロッパで大使か何かをしている金正日の腹違いの弟、金平日とか金平一とかいう人が急遽帰国して混乱を収拾するという筋書きである。
そのあと、米国と北朝鮮の和平の話し合いが始まる可能性がある。金正恩の下での米朝和解では、核兵器の廃棄までは進まないが(進まないと米国が予想していると思う)、新しく成立した北朝鮮の政府ならその線で話し合いが進む可能性がある。
ただ、特殊部隊を送り込んだ直後に金正恩の知るところとなると、ミサイルが日本の米軍基地に飛んで来たり、京城が攻撃されたりする可能性がある。それを避けるのにはもっと規模を小さくして、数人のスナイパーや無人機で金正恩が表舞台に出ざるを得ない時を狙うのが良いと考えるだろう。4月15日の金日成誕生日、4月25日の朝鮮人民軍創設記念日、5月1日のメーデーが候補だと思う。
それまでは、複数のシナリオを用意し大規模な攻撃を計画していると北朝鮮に思わせる。北朝鮮の諜報機関が、それを追いかけている間に小規模な作戦を実行するのである。素人の私が考えることは、この程度である。
米国の平壌爆撃、または特殊部隊の潜入、あるいは、急転直下の核廃棄と北朝鮮承認のセットとかのうちの一つ。
米国は、韓国軍と合同で朝鮮戦争を再開し、北朝鮮を占領するまで戦うというほどの覚悟はないだろう。中国の習近平は、北部戦区は十分抑えていないという説もあるので、積極的介入の約束は簡単にはできない。(昨年だったか、米中露による信託統治案が拒否されている。)中国での内紛(江沢民派と習近平)の可能性を恐れるからだ。
習近平の訪米が近い。その際、北朝鮮に援軍を送るふりや、米国避難を声高にするが、実際には何もしないという密約が中国がする最大限の譲歩だろうと思う。その見返りが、貿易不均衡の攻撃はあまりしないというのなら良いが、日本が絡んでくるのではないかと心配である。
対北朝鮮の作戦で最も簡単なのは、クーデターを工作して朝鮮内に米国の脅しを素直に聞く傀儡を作ることだが、そんなシナリオは事前には書けないだろう。やはり先ずは、特殊部隊を使った限定的な作戦だろう。その後に、誰かをトップに送り込む。ヨーロッパで大使か何かをしている金正日の腹違いの弟、金平日とか金平一とかいう人が急遽帰国して混乱を収拾するという筋書きである。
そのあと、米国と北朝鮮の和平の話し合いが始まる可能性がある。金正恩の下での米朝和解では、核兵器の廃棄までは進まないが(進まないと米国が予想していると思う)、新しく成立した北朝鮮の政府ならその線で話し合いが進む可能性がある。
ただ、特殊部隊を送り込んだ直後に金正恩の知るところとなると、ミサイルが日本の米軍基地に飛んで来たり、京城が攻撃されたりする可能性がある。それを避けるのにはもっと規模を小さくして、数人のスナイパーや無人機で金正恩が表舞台に出ざるを得ない時を狙うのが良いと考えるだろう。4月15日の金日成誕生日、4月25日の朝鮮人民軍創設記念日、5月1日のメーデーが候補だと思う。
それまでは、複数のシナリオを用意し大規模な攻撃を計画していると北朝鮮に思わせる。北朝鮮の諜報機関が、それを追いかけている間に小規模な作戦を実行するのである。素人の私が考えることは、この程度である。